子どもみたいな人。春奈は今まで何度も吹雪に対して――仮にも年上であることは重々承知の上で、だからこそ――この言葉を繰り返し聞かせてきたのだけれど、使い古されていく言葉は日常内のあらゆる消耗品と同様に効き目が弱くなっていく。初めの内は春奈に子どもみたいと言われる度、そんな言い方をされるなんて心外だと居住まいを正してもくれていたのだが近頃ではめっきり「そんなこと言われましても」といった具合だ。
 そんなこと言われましても、これが僕だから。
 ならば春奈も受け入れるしかないだろう。諦念とか惰性とか、そういった感情で。胸の内で人目を憚る必要もなく恥じらいすら捨てられたのならば愛情といったもので。
 ここ数日調子を落としている洗濯機の前に椅子を置き腰掛けて春奈は本を読む。目を離すと停止してしまっている洗濯機に付きっきりで、落ちた電源を即座に再び入れ直す春奈を目撃した吹雪は初め本気で洗濯機を羨ましがった。
 春奈さんは僕より洗濯機と親密なんだね。
 馬鹿を言わないでくださいよとリビングに吹雪を残して、春奈は彼の相手をしている内に「すすぎ」の段階で停止していた洗濯機を前に「いい加減にしてよ」と前髪を掻きあげて、しかし水浸しの状態の洗濯物を干すこともできないと大人しくまた電源を入れ直した。ほんの少し意識を逸らしただけでこれなのだ。手のかかること――洗濯機と、それからもうひとつ――だとまた椅子に腰をおろし、脚を組む。ごうんごうんと動き出した洗濯機に暫く疑いの眼差しを投げかけて、それからまた手にしていた文庫本に視線を落とした。
 いつもなら休日の朝、洗濯機を回している間に洗い物や掃除など並列して進められることがいくつもあるのに。しかし春奈には洗濯を後回しにすることができなかった。洗濯した衣類は朝の内に干して、さっさと取り込んでしまう方が正しいリズムのように思える。それは春奈の生活リズムではなく、洗濯というもののリズムだ。

「……やっぱり買い換えよう」
「じゃあ乾燥機能ついてるやつにしようよ」

 洗濯機のある洗面所の入り口から顔だけを覗かせて、吹雪が春奈の独り言に割り込んでくる。
「リビングでゆっくりしててくださいって言ったじゃないですか」と気遣いではなく厄介払いの体で言えば彼は出会ったときから変わらない太めの眉を「困ったことになったんだ」という具合に下げて――彼は本当に困ったときにも甘えたいと意図的に働いているときにも同じように眉を動かす――心から思っているかどうかはさておき非常に申し訳なさそうに口を開いた。

「座布団にコーヒー零しちゃって……」
「ええ!?」
「カバーだけでも洗わないとと思って」
「無茶言わないでくださいよ、まったく!」

 このポンコツに片足を突っ込んでいる洗濯機に、一日二度の労働を強いるのは酷と言うものだ。そして本日の労働は既に洗いを通り過ぎてすすぎ、脱水を待つのみ。今更蓋を開けて珍客を放り込むなんて真似は出来ない。そんなにクッションカバーの汚れを落とすことが諦められないのなら潔く手洗いするべきだろう。どうしてこうタイミングが悪いのか、春奈が一つの仕事をこなそうとするとそれに引っ付くようにして無関係ではないがどう表現した所で余計な手間を増やしてくるのか。

「また吹雪さんは子どもみたいなことする……」

 恨めしげな声を出しても、やはり吹雪は「そんなこと言われましても」と眉を下げたまま。それはまるで春奈が細かいことで彼を責め立てているような罪悪感を与えようとして来るから性質が悪い。世の女性たちは吹雪のこんな顔を甘い顔立ちだなんて表現するのだろうか。やめて欲しい。
 春奈が吹雪と一緒に暮らし始めた頃から――或いはお互いの家に上がることに遠慮を覚えなくなった頃には既に――家事について及第点の基準が違うことに彼女ははっきりと気付いていた。吹雪が大雑把過ぎるわけでも、春奈が細かすぎるわけでもなく、きっと地盤になっているこれまでの生活の差だった。その差を擦り合わせて、お互いが納得できる範囲まで矯正する必要を春奈は感じなかったし、そもそも吹雪に至っては気にもしていなかったろう。だから春奈はその差を認めたうえで、自分が手を着けた家事は自分がやりたいようにやったし、吹雪がやってくれることに対して文句もつけなかった。何せ幼少期に家族を亡くして以来自分の身の回りのことは最低限自分でこなしてきたのであろう吹雪は、大抵のことはそつなくこなしてくれた。頼まれれば嫌な顔ひとつせずに電球の付け替えもゴミ出しも風呂掃除もやってくれたし、頼まれなくても春奈の手が空いていないときは何かやっておくことはないかと聞いてくれる。不満はない。それでもこうして「子どもみたい」と呆れ、嗜めることを繰り返すのは何故なのか、春奈は不思議で仕方がない。
 例えば、春奈が冷蔵庫からバームクーヘン――何だっていい、恐らく苺のショートケーキだったことも、小腹を満たすためのラーメンだったこともあったはずだ――を切り分けているときに吹雪にも一緒に食べるかと聞いたときは要らないと返事をするくせに――だから春奈は自分の分だけを切り出して、残りはきっちり封をし直して冷蔵庫にしまった――彼女が一人でバームクーヘンを食べているとやっぱり僕にも頂戴とすり寄ってくるような、そんなとき。
 また吹雪さんは子どもみたいにころころ意見を変えて――!
 怒ってみせるけれど、春奈には意見をころころ変えることがすなわち子どもっぽいことかどうかはわからない。子どもにだって頑固で意見を変えることができない子は大勢いるだろう。春奈の周囲には、昔からそちらの方が多かった気もする。
 だから、春奈が吹雪に感じてしまう子どもっぽさはもっと別の場所にあるのだろう。

「午後から洗濯機見に行く?」
「待ってください、お安くないんですよ。ああもう、来月は節約かなあ……」
「何で? 僕が買えばいいじゃない」
「全額出させるわけにはいきませんよ。フェアじゃないです」
「フェア……。じゃあ乾燥機能付きのを選ばせてくれればいいからさ」
「とにかくちょっと待って――ってまた止まってるじゃないですか!」

 やはり吹雪の相手をしていると今度は洗濯機がへそを曲げたようにその動きを止めてしまう。
 またスイッチを押し直す。何度目だろう。こうして触れているときは従順なのに、ちょっと離れてしまうとダメだ。とはいえもう随分長い間使用しているから、仕方ないのかもしれない。機械にだって寿命はある。たしか吹雪と一緒に暮らす前から使っていた物を、勿体ないからと引っ張って来たのだ。特別気に入る箇所があるわけではないけれど、なるほど親密には成り得るだろう。春奈は基本的に選択を吹雪に任せなかった。

「ほら、やっぱり洗濯機は僕が買わなくちゃ」

 ひとり沈みかけていた思考の波をかき分けて、吹雪は今度こそ子どもっぽいことを自覚した上で不調に喘ぐ洗濯機に拳骨を落とした。また電源が落ちる。春奈が抗議の声を上げるより早く、吹雪は甘えるように彼女の肩に頭を預けてきた。

「洗濯機なんかと仲良くしないで」

 同じ部屋で暮らしておきながら、何に嫉妬しているのだろう。可愛らしくもあるけれど、どこか頓珍漢で、呆れてしまう。

「もう、吹雪さんまた子どもっぽいこと言ってますよ」

 どう比べたって、洗濯機が吹雪に勝つことないのだから。春奈の意図したことは、しかし吹雪には伝わらなかった。どうも今日は配線が悪い。洗濯機も、吹雪も。もしかしたら私もどこか不調なのかしらと首を傾げたら、吹雪の頭にぶつかった。

「どれだけ春奈さんが僕のこと子どもみたいって言ってもね、それでも僕は大人だよ。春奈さんだってそうなんだよ。壊れた洗濯機を自分たちの力で調達しなきゃいけない程度には。そうやって数日後にはやってくる新品の洗濯機で洗うのだって僕ら二人の洗濯物なわけじゃない。名字も違う、生まれた場所も育った場所も親だって、他人同士で一緒に暮らしてる僕らのなんだよ。それが大人の暮らしっていうもんでしょ。他人だった春奈さんのこと好きになってさ、両想いでさ、一緒に暮らしててさ、それで――だから春奈さんの一番は僕でしょって誇らしくしていたいの、そんなに子どもっぽいことかな?」

 まくしたてる吹雪の腕は春奈の腰に回されてぎゅっと力がこめられていてほどけない。どこにも行かないのに、吹雪もそれを信じているのに、それでも二人きりのこの部屋で改めてその真実を詳らかにせずにはいられない。
 確かにこれは子どもっぽいというよりは、少々憶病すぎるだけかもしれない。
 それでも愛しいことに変わりはないのだから。寧ろそこまではっきりと言葉に出来るのならば、もっと決定的な言葉が欲しいと思ってしまう辺り春奈も充分大人の女になったのだ。

「――午後から洗濯機を見に行きましょう。吹雪さんが選んでくださいね。最低五年以上はもってくれなきゃ困りますよ。それからクッションカバーも新しいのにしましょうか」
「……うん」
「これは一緒に選びましょうね。二人の物です。私たちの部屋に置く、二人の物ですから」
「うん」

 午後の予定を決めてしまうと、あとはそれまでに残っている仕事を片付けていく時間の逆算が始まる。洗い物はさほど多くない。掃除機は吹雪にかけてもらおう。休日中に片付けようと思い持ち帰って来た書類は夜にすればいい。
 あとはとにかく、この洗濯機の頑張り次第。
 「頑張ってね」という春奈の想いが通じているのか、空気を読んだ洗濯機は大人しくごうんごうんと音を立てながら回っている。



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休日、洗濯機の前
20150628



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