相手に首を振らせにくい頼み方を意識したことはない。ただ、霧野や倉間辺りに言わせると、神童の茜に対する物の頼み方は非常に断りにくい、ずるい頼み方であるらしい。
 ――山菜に頼みたいんだけど、駄目か?
 この、駄目かの部分が余計なのだと誰もが言う。けれど駄目かどうか窺うのが礼儀だと神童は思っているから、どうしても付け足してしまう。うん、駄目。そうきっぱりと断れる人間の方が少ないことを、神童はきっと頭のどこかでわかっている。



 午前中で終わったサッカー部の練習の帰り際に、茜を捕まえた。文字通り、帰ろうと先を歩く水鳥と葵の背に追いつく為に駆け出そうとした茜の腕を掴んだ。反動で神童に倒れ込む形になった彼女の肩を空いていた方の手で受け止めて、それから漸く名前を呼んで、頼みがあるのだと話を持ちかけた。何てことない、備品の買い出しだったけれど、頼みごとと前置くことが大事なのだ。誘う言葉に、下手な響きと申し訳なさが滲んでくれれば儲けものだった。

「今から備品の買い出しに行くんだが、誰かマネージャーにも付き合って貰いたいんだ。それで――山菜に頼みたいんだけど、駄目か?」

 そんな誘い文句で、神童は茜の午後の予定を奪った。マネージャーの三人で行く予定だった絶賛セール中のアイスクリームはまたの機会と流してもらいやってきたスポーツ用品店で、しかし彼女は手持無沙汰、神童の斜め後ろで息を潜め、足音すら極力立てないようにしているかの如くついてきている。買い足さなければならない備品のメモも、商品を放り込む籠も、それぞれ神童の右手と左手に握られてしまっていては茜にはすることがなかった。だって挙げ句に神童は商品すら自分の手で取ってカゴに放り込んでしまうから。
 茜の態度がぎこちないことなどお構いなしに、神童は時々茜を振り返ってはただそこにいることを確認して、一人納得して頷いてまた商品を探し始めてしまう。彼の瞳が真っ直ぐ茜を捕える度に、彼女の肩はびくりと跳ねるのだが、そこから推察される二人の不都合な気まずさなんて気にも留めない。無視しているのか、無関心なのか。それすら茜には判断できない。年がら年中快適に過ごせるよう調整されているはずの店内の空調の働きも、茜の周囲だけまるで効いていないかのように一筋背中に嫌な汗が伝った。
 好き勝手に茜を振り回しているのは神童の方なのに、彼女はただ彼が自分を何もしようとしないお荷物な女だと認識することが怖かった。
 結局、購入した商品をレジに通して会計を済ませるまで、茜に出来ることはなかった。支払いは神童が、袋詰めは店員が。そして当たり前のように神童に手渡される袋を、茜は呆然と見つめている。

「シン様、私、持ちます」
「ん? いや結構重いから俺が持つよ」

 微笑まれて、いつもの茜なら「シン様、優しい」などと頬を染めてカメラのシャッターを高速で切りまくっているところなのだがこの時ばかりは最後の寄り辺にひょいと逃げられてしまった心細さが迫ってくる。
 それじゃあ部室にこの荷物を置きに戻ろうと歩き始める神童に、やはり茜は自分もついていくべきなのだろうとは思っても果たしてその必要性があるのだろうかという疑問が胸中から拭い去れずに足は地面に張り付いて重たい。
 そうしてまた、突然に神童がぱっと振り向いて、茜はぎょっとして、間には沈黙が残った。店内のときのそれよりも二人の距離は開いていて、茜は神童の瞳に自分の姿を確認することは出来なかったけれど彼は間違いなく彼女を真っ直ぐに見ていた。それから地面に視線を落とし、自分の足元からさっと彼女の足もとまで走らせたそれがまた茜の顔を捉えて、そのままこてん、と首を傾げた。まるで無垢であると言わんばかりの表情で。勿論、いくら茜が神童に熱を上げているからといって十四歳の少年を、ましてや少し前まで汚い大人の都合に覆われていたサッカーを愛するあまりに顔を歪め、涙を流し、歯を食いしばって生きていた彼を、天使のように純粋だとは思っていない。ただ不思議なのだろう。神童は、茜が歩きだしていないことが、その理由が理解できない。それこそ、自分が振り向いたときすぐに彼女の姿が確認できなければおかしいと心底信じているかのように。
 思い至った瞬間、茜は小走りで神童との間に横たわっていた距離を埋めた。神童は「うん、そうだ、それだ」と満足したのか一度頷いて、また真っ直ぐに歩き出していた。

「シン様、お疲れさま」
「うん、山菜も。急に付き合ってもらってすまなかったな」
「ううん、いいの。マネージャーだし」
「そうか」

 予想はしていたのだけれど、サッカー棟に戻って来てからの神童は一度も茜に荷物を任せることなく、それでも時折彼女の方を振り返りながら、買ってきた品々を然るべき場所にしまっていった。普段マネージャーしか触らないような救急箱の中身すら、神童は茜に確認を取りながらそれでも自分の手で詰め終えてしまった。これでは益々茜のいる意味がない。水鳥と葵と行くはずだったアイスクリーム屋のセールはいつまでだっただろうか。所在なさを誤魔化すために、別のことを考える。今日までじゃなければいい。せめて来週末までやっていてくれれば。これではわざわざ予定を先延ばしにしてもらった意味が全くないし、働く隙間がないのが問題とはいえこのままでは二人に自分が一緒に出掛けられなかったことの正当性を証明できない気がした。

「今日はすいませんでした」

 だから思わず謝っていた。きちんとできなくて。たぶん自分は、水鳥たちと別れて神童と歩きはじめてからの一切を間違えてこなしてしまった。神童は確かにマネージャーに一緒に来てもらいたいと言っていたのに、振り返れば神童の傍に佇んでいるだけの自分は山菜茜でもマネージャーでもある必要がない。これを不手際と呼ばずに何と呼ぶのだろう。
 しかし神童は、茜の謝罪の意味がわからないのかまた首を傾げた。帰り道、自分と茜の間に距離が開いてしまったことが理解できていなかったときのように。

「私、今日何もしなかったから」
「? 一緒に来てくれただろう? そもそも俺が無理に頼み込んだようなものだし」
「でも、それなのにシン様が一人で行ったのと変わらなかった」
「そんなことはないさ」
「ある」

 真実は私の言葉にあるのだと、言いきって口を噤む茜に、神童は驚いてしまう。
 一緒についてきてくれるよう頼んだのは自分なのだから、もっと鷹揚に「私はわざわざついていってあげたのよ」と胸を張っていてくれればいいのに。それはそれでまあ、彼女らしくない気もする。
 神童はただ、たった一つシンプルな頼みごとをした。方法は言葉で素直に願うことで、しかし彼をよく知る人間はそれを素直というよりはずるいやり方だと眉を顰める。神童に寛容で、だからこそ不躾な分析をする幼馴染なんかは特に。

 ――瀬戸たちと出掛けるよりも、俺と一緒に出掛けて欲しいんだけど、駄目か?

 そう、本音を守らないで言えたら良かったのかもしれない。でも実際口にしたのは、二人の(神童にしてみれば)物足りない関係をダシにした、仕事を匂わせる文句で、でも神童は茜に仕事を頼みたかったわけじゃないから結局彼女には本当に一緒に出掛けて貰っただけだった。それが何より、茜が神童の頼みごとを真っ当に完遂したことになるのだけれど、やはりそんなことを彼女が知る由もないのだ。



「やっぱり山菜に付き合って欲しいんだけど駄目かって聞いてからの方が、色々なところに回りくどいこと言わずに一緒に出掛けられるんだろうか」
 ひたすら謝り倒す茜を宥めて、それでも自分は感謝していると礼の言葉で終わらせて別れてから、直ぐに取り出した携帯で幼馴染に電話を掛ける。
 神童の前置きもない相談ごとに、不躾な分析をする幼馴染はあからまな呆れの溜息を吐いてから、この欲しいものに対する手の伸ばし方がおかしい幼馴染のためか、そんな幼馴染の欲しいものである少女のためかはわからないまま。

『お前、その文句そのままで茜に告白するつもりならマジでやめといた方が良いぜ』

 それだけを告げて、あっさりと通話を打ち切った。
 ――水鳥に殴られたり、部員たちから白い目で見られてもいいならまあやってみれば?
 最後の言葉を飲み込んだのは間違いなくとばっちりを食らいたくない自分のために。
 きっと首を振らないであろうそれなりに親しい少女の姿を思い浮かべて、彼は小さく息を吐く。全く、ずるい頼み方をする男である――と。



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もう、呪いにしか聞こえない
Title by『3gramme.』



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