「――ふうん」

 まるで興味がないと言いたげな瞬木に、さくらはぴくりと眉を顰めた。前髪で隠されないそれは、彼女の感情の機微を豊かに主張する。猫を被ることをやめてしまった相手の前で、さくらは驚くほど無防備で、取り繕い方を忘れてしまっていた。それでいて、いつだって臨戦態勢は整えていたくて、感情を発散することは反射的に行えても相手の感情を受け入れることには慎重にならざるを得ない。
 ――我儘。
 瞬木は、さくらの姿勢を単純明快に呼び指した。その一語はさくらを、或いは大抵の人間を不機嫌にさせたけれど、思いつく反論は論破されずとも彼の機嫌を損ねることが分かっていたからさくらは黙っていた。他人の不機嫌を受け入れるのにも彼女には勇気が必要だった。
 ――瞬木だって、我儘だ。
 この言葉は、さくらを、大抵の人間を、瞬木すらも不機嫌にさせるだろう。



 嫉妬深い人間は重たい。だから嫌いだ。
 恋人という存在を得た人間は、その相手のありのままを好いているようでいてその実的確な言葉で相手を把握したがる。私のことを愛してくれているの、優しいの、笑顔が素敵だの。片想いの主体的でいて相手の決定権も確かに理解していた頃の気持ちのままで語れたらいいのに。結ばれれば関係性だけでなく想いの形も使える言葉も変わってしまうのだろうか。さくらは恋バナの類が嫌いではなかったし、寧ろ好きだった。親密に顔を突き合わせて語り合う友だちは以前はいなかったけれど、最近はそうでもない。ただ、やはり噂話や片想いの浮かれ話を聞いているときのほうがよほど気楽だと知った。既に付き合っている人間の恋人への愚痴を聞かされるのは疲れる。嫉妬深いの、本当にアタシのこと愛しているのかしら、アタシより友だちを優先するなんてどういうつもりなのかしら、ねえどう思う? どうすればいいのかわからない。さくらは他人事には他人事という立場しか取れないと、そんなに不満があるなら別れてしまえばいいのにと思う。
 ――じゃあ別れてしまいなさいよ。あなたも、瞬木とは。あんな男とは。
 脳内にぽっと浮かんできた言葉はさくらにも跳ね返って来て、彼女は腹が立つ。
 ――いやよ、だって私、まだ瞬木のこと好きだもん。
 まだ。自分で言っておきながらぞっとする。
 この想いに限界があるかもしれないことに、さくらは泣きたくなる。



 瞬木と付き合い始めてから、最初から、漠然とした予感がさくらにはあった。
 この好意は、私を滑稽な気持ちにさせて苦しめるかもしれない。瞬木は、私が望むようには私への気持ちを示してくれないかもしれない。
 瞬木の人柄を見ていればわかることで、彼は他人が自分から離れていくことも、傍に居ても裏があるということも、そういう人間が自分の周囲を固める大半だということを理解していた。そしていつの間にか周囲に合わせて自分を殺し波風を立てないことを良しとしてきた人間が、いつしか自分の意見を殺さずに波風を恐れないことを選んだ。変わらなかったのは、周囲の人間に変化を求めないこと。
 恋人という枠が、瞬木の中でどれほど特別なのかはわからない。彼の大切な弟たちよりは下で、アースイレブンの仲間たちよりは頭一つくらい上に置いてくれているだろうか。有象無象の女の子たちよりは格別な差を持っていると思いたいけれど。
 手は繋いだ。帰り道は家まで送って――瞬木はしゃんと車道側を歩いてくれた――くれたし、さくらからの誘いではないデートもした。部活による予定のドタキャンは、二人とも忙しい身だったので埋め合わせには期待しないことが暗黙のルールだったし不満もない。キスをして、セックスも――それほど頻繁にではないけれど――した。二人きりの部屋で、意味もなくひっついていることに照れくささよりも安らぎを覚えるようになって、恐らく学生の身である二人が恋人として享受できる大半のことをつつがなくこなしてきたと思う。それなのにさくらの心が落ち着かないのは、それは全部瞬木のせいだとさくらは怒りだしたい気持ちをギリギリで堪えている。

「野咲さんって、俺のこと好きなんだっけ」

 好きと言われたいだけのからかいなら良かったのに。

「ふうん、」

 好きだよと返しても、寄越されるのは気のない言葉ばかりでいっそその質問を繰り返すならば嫌いになるよと言ってしまいたかった。それとも、その拒絶を待ちながら死んでしまった自分の気持ちを持て余しているのだろうか。それならば、さくらは泣きだして叫び出して瞬木をひっかいて、そして逃げてしまうだろう。
 ――怖い。
 好きなのに、万事最果てまで穏やかには生きていけないのが恋だった。そしてさくらは気付く。果たして私は瞬木と恋をして、結ばれて、一体何が欲しかったのだろうと。
 何度も好きと言わせてくる恋人を、恐らく世間一般は嫉妬深いか重たい人間だと呼ぶのだろう。けれど瞬木の場合は寧ろ逆で、彼は軽すぎるのだ。さくら以外の異性に移り気というのではなく、他人に対してあまりに期待しないで生きて来たものだから、同じくらい自分に我慢と妥協を繰り返しながら生きて来たから。昨日好きと言われても、今日には嫌いになっているかもしれない。瞬木は、さくらが恋した瞬木隼人という人間が不変でないが故繋ぎ止めておくことができないのだ。奇妙な話ではあるけれど、面倒な男ではあるけれど、さくらが嫌いと言えば瞬木は、ああ自分が彼女に嫌われる人間になったのだと、それだけのこととして事態を受け止めるだろう。
 泰然として憶病。どこか矛盾めいた瞬木の態度を、さくらはやはり我儘だと思う。

「瞬木って、私のこと好きだっけ」

 同じ言葉をさくらが尋ねたら、彼は何と答えるのだろう。迷わず好きと言ってくれないと、悲しいのだけれど。

「好きだよ」

 良かった、怒り出す理由はなくなった。

「野咲さんが俺のことを好きなのと同じくらい」

 ――その言葉が真実なら。

「瞬木はもっと私のこと好きになるべきなんだわ」

 私と同じくらいの想いで、何度も気持ちを確かめずにはいられなくなるくらいなら。もっと、本当に重たい男と鬱陶しがられるくらいに私を好きになるべきだわ。
 さくらの言葉に、瞬木はぽかんとしていた。怒ると思った。不満があるのかと。「不満はないけど、落ち着かないの」そう答える心構えもどこかでしていたのに、一瞬で必要なくなってしまった。相手に言葉をぶつけることは簡単で、得意だった。けれど受け入れるのは困難で、勇気がいる。それでも瞬木なら、彼の気持ちなら簡単な気がするのだ。
 ――私はたぶん、瞬木が欲しいのだから。
 それは果てが見えない考え方で、対象にするには厄介な事情を抱えた男だった。けれどやはり、抗い難いのが恋だから。落ちる快感を、絡め取られる困惑を、結ばれる歓喜を、どうか忘れないでいられたら――。

「――もっと、か」

 瞬木が、顎に手を当てて考え込む。そのポーズは皆帆を思い出すからやめて。さくらは眉を顰めて注意した。彼は面白そうに「今、それ言う?」と笑った。

「野咲さんは我儘だな」

 感心しないで欲しい。不機嫌が顔に出る。褒めてるのだと瞬木がさくらに手を伸ばす。前髪に指先が触れたところで、空気を読まない携帯の着信音が瞬木のすぐそばで鳴りだして、彼の視線はそちらに持って行かれる。
 ちゃんとこっち見て!
 さくらの手が、瞬木の腕を掴んで至近距離で見つめ合う。瞬木の手の中で点滅している着信のランプを一瞥する。この空気の読めなさは、身に覚えがある。

「――この着信、絶対皆帆からだと思うわ!」

 私、結構真剣に瞬木に何度目かわからない告白をしていたのよ!
 さくらの憤慨に、瞬木はそうだったのかと数回頷いた。それから「まあいいじゃん」と適当としか思えない宥め文句を口にする。

「好きなんだから、これからも何時だって、何回だって言ってよ」

 へらり。そんな、瞬木にしては珍しく邪気のない笑みだった。虚を突かれたのはさくらの方で、こっちが毎回どんな思いで好意を伝え直していると思っているのだと文句を言うよりも先に携帯を弄りだした瞬木に発言権は奪われた。

「あ、本当に皆帆からだ」

 これは愉快だと、さくらに向かって携帯の画面に表示された着信の相手の名前を見せてくる。その手から携帯をひったくって、さくらはそれを――本当に一瞬の判断で放り投げるのではなく――自身の上着のポケットに突っ込んだ。
 さくらの本格的な不機嫌を察知した瞬木は、今度はあやす手付きで彼女の頭を撫でた。しかしそんな安い慰めでは機嫌を直してはやらないのだと意気込んで、さくらはその両手を瞬木の背中に回した。
 今この瞬間、さくらは瞬木のことをきちんと好きだと思える。それが一番大切で、価値ある答えだった。



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4周年&70万打企画/mk様リクエスト

あんたが不安だって言うんなら何回だっていうよ、でもこっちだっていつもいつも怖いんだよ、いわすなら信じてよ、泣くんなら怒ってよ、もっとちゃんと期待していいよ、もっとちゃんとこっちみてよ
Title by『さよならの惑星』






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