雷門を訪れる上でいつも目当てとしている人物がいないことなど百も承知で、太陽は解放されたままの門を通り抜けた。規模の大きい学校なのに、随分と不用心だとその恩恵に与かった気楽さで太陽は周囲を見渡す。学ラン姿の生徒がちらほらと帰路に就く流れに逆らいながら闊歩するブレザー姿の彼は一際浮いて映っていた。勿論集まる視線は異端を見つめる好奇心だけではなく太陽の整った顔立ちだとか、どこかで見たことがあるようなという既視感にも影響されているのだろうけれど、そのどれもが太陽にはどうでもいいことだった。目的の建物は数ある部活動の中で――いくら素晴らしい成績を残しているとはいっても――豪奢すぎるだろうというくらい大きな建造物だった。下手をすれば同敷地内に建ついくつかの建物すら凌駕していそうな風格を放っている。数カ月前は、太陽も密かに通っていた建物だ。
 サッカー棟を目指しながら、しかしいつも太陽がやってくる度に目印にしていた松風天馬はいないのだからと、果たして自分はどんな言葉を第一声にすれば怪しまれないだろうかと思案する。今頃天馬は地球を救う為に宇宙航行中だ。世界大会の代表にサッカーのサの字も知らないような素人集団が選ばれたときはそれなりに落ち込んだものだが、実はこの世界大会はフェイクで本当は地球の存亡をかけて地球代表としてサッカーをすると聞かされたときは天馬に全幅の信頼と親愛を寄せている太陽ですらも「この子頭大丈夫かな」と彼の額に手を当ててしまった。世の中には太陽の知らない常識がごろごろと転がっているものだ。
 未来人の力を借りて時空を越え、歴史上の偉人と交流し時には物語の世界にすら介入し、未来でサッカーをすることも、一概に他人に信じて貰えるとは言えない事案なのだが。太陽は自分が身を置いてきた現実を特異と考えることをしなかったので、今はただ天馬の不在に幸運を祈りながら寂しさを覚える一般人なのである。十年に一人の逸材と呼ばれるサッカー界の寵児であるけれど。十三歳という年齢に見合わず異性にモテモテではあるけれど。地球代表として宇宙に出ていったり、大きすぎる部室に恒常的に疑問も持たず出入りしたりしていない時点で自分は一般人なのだと太陽は信じている。あとは、花壇の植え込みに上半身を突っ込んだ状態で発見されない点に於いて自分は一般人でかつ常識的なのだと、太陽はサッカー棟手前の花壇にて立ち止まる。顔が見えなくても誰だか察しがついてしまうのは、雷門の生徒の中でも珍しくタイツを着用しているからだろうがそれにしても奇抜な行動を彼女ならしそうだなというイメージがあるからだ。違うかもしれないという疑念は微塵も浮かばないまま、太陽は植え込みに向かって名前を読んだ。まさかこんな珍妙な体勢で寝ているわけがないだろう。

「――茜さん!」

 反応は、一回で示された。もごもごと身体を植え込みから引っこ抜こうとする動きと、恐らくどこかが引っかかったことに対する抵抗のような動き。手を貸そうかと思ったが、どこに手を振れていいかわからなかったので太陽は待っていた。
 草まみれになりながら現れたのは、予想と違わず雷門サッカー部のマネージャーである山菜茜だった。太陽が雷門の一員としてサッカーをしていた期間のわずかな交流しか持てなかった彼女は、三人いるマネージャーの中でなかなか奇抜な女性だという印象を彼に与えていた。そもそもマネージャーがカメラを常備していることも不思議だったし、神童のことを「シン様」という呼称で呼んでいたことも面白かった。SF3級らしく――その称号の示す程度というものは不明なままだが――太陽たちには難解だった話題をさらっと理解したりもしていたし、未知の状況にもどこか楽しんでいるような笑顔が印象的だった。そしてこれはマネージャー全員の仕業であるが、彼女たちの作ったおにぎりの奇特な味は忘れられない。砂糖やら何やら盛大に栄養価だけで選び抜かれた具材と味を思い返しては、太陽は未だにコンビニのおにぎりコーナーを前に立ち尽くしてしまう。愛情と味の比率の正しさに正解はあるのだろうかと、そんな取り留めのないことを考えてはもう食べる機会もないかもしれないと意外な寂しさを覚えている自分に気付くのだ。

「太陽くん、久しぶり」

 ひょっこり頭を覗かせて、汚れた頬もついたままの葉も気にせず再会の挨拶代わりに茜は太陽に向かってシャッターをきった。声を遮られないよう、無事撮影を終えたことを示すシャッター音が止むよう間をもって太陽は茜に挨拶を返した。幸いなことに、太陽が雷門の敷地内に存在していることを茜は全く気にするそぶりを見せなかった。居るか居ないか。在るか無いか。動機はともかく目の前にいるもの、そんなことは見ればわかると言わんばかりの泰然とした微笑みだった。
 茜が何をしていたか、それもまた聞かなくてもわかる。写真を撮っていたのだろう。被写体を求めて直進した結果、植え込みに突っ込むくらい茜ならば通常運転でやらかしそうだ。

「今日、部活休みだよ」
「え、そうなんですか」
「だからね、私は一人で撮影会」

 軽く身嗜みを整えて、茜はさっさと歩き出す。慌てて後を追いかけながら、落としきれなかった葉っぱを彼女の頭から取り払ってやった。どこへ行くかも尋ねない太陽と、どこまで着いて来る気か尋ねない茜。気紛れに立ち止まり、シャッターを切る茜に合わせて立ち止まり、彼女が再び歩き出すのを待っている太陽。ふと傍から見たら自分たちはどんな関係だと勘繰られるのかが気になった。制服も違う、一緒に何かをしているわけでもないのにそれでも楽しそうに見えるであろう自分たちは。

「ねえねえ茜さん、茜さんは僕のことどう思いますか?」
「――どう?」
「うーん、一緒にいることに関して、邪魔だなとか思います?」
「暇なのかなって思ってるよ」

 そっけなくも取れる茜の言葉に、太陽は肩を落とした。確かに暇でもなければわざわざ雷門までやってきたりはしないだろう。若しくは事前に約束を交わしていない限りは。その約束を交わせる相手がいないこともわかりきっている場所にやってきて、偶々遭遇した茜にのこのこと並び歩いている。恐らくこれは勿体ない時間の使い方なのだ。

「でも茜さんを見つけたとき、茜さんだって思ったんですよ。ちょっと嬉しくなりました」
「部活、休みじゃなかったら良かったのにね」
「そういう意味じゃなくて」

 知ってる人間に会えた安堵感の話をしているわけではないのだと、太陽は詳細を明らかにしようか一瞬迷った。けれど全てを言葉にするには、太陽にも茜にもわかっていないことが多すぎる気がして肩を竦めて、言いたいことはあるけれど言いませんという態度を装った。

「茜さんがいてよかったなって、本当に思ってますよ」
「うふふ、太陽くんお上手」
「本当なんですってば!」
「うん。私もね、葉っぱの中から顔を出して、見上げたときの太陽くんキラキラしてたから、撮れたのはよかった」

 顔を見合わせて微笑みながら、けれどやはりお互いの言葉に齟齬があることを太陽はもどかしく感じている。茜はただのびのびと自由に歩き回る。久しぶりの他校生、年下の男の子と予期せぬ邂逅と道連れの時間を窮屈とは微塵も感じさせない人柄で。茜のそういうところを、太陽は好きだなあと胸の内で唱える。そういうところ、という限定に違和感を覚えながら、ついていく。



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あなたの隣に立ってみた
Title by『るるる』



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