※地球帰還後


 広々とした床に敷かれたカーペットから身を起こすと縮こまっていた筋肉が悲鳴をあげる。肩や首を回し筋肉をほぐしながら周囲を見渡すと、昨夜の飲食の痕跡がローテブルの上にそのまま残されていた。小さな弟たちが家を空けている日で本当に良かったと思う(瞬木は普段、弟たちに出したものは使い終わったら仕舞っておくよう整理整頓を言い聞かせているので、怠惰の証拠を目撃されるヘマは避けたかった)。それから、テーブルの下から覗きこめば身体を丸めて眠りこけている天馬の背中を見つけた。スペースだけは有り余っているのに、天馬の寝姿は窮屈そうだった。立ち上がり、カーテンを開ける。天馬の顔に朝日が差し込んで、瞬木はその穏やかな寝顔から直接瞳に日差しを受けたかのような反射的動作で目を逸らした。
 イナズマジャパンに召集される際に提示した瞬木の条件は、黒岩が地球に帰還しないという事態にあっても豪炎寺を筆頭としたサッカー協会によって無事叶えられた。弟たちをもっと広い家に住まわせてやりたい。叶えてくれるのは結構だが、もう少しこちらの家族構成を鑑みて物件を選んでほしかったというのが瞬木の贅沢な感想だった。将来的に見れば弟たちが成長してからも悠々と暮らせる広さなのかもしれないが、現段階だけを見れば広いというよりは広過ぎた。弟たちが揃って友だちの家に泊まりに行くと言い、瞬木ひとり取り残された途端その広さを持て余してしまう程度には。

「う、う〜ん」
「キャプテン、朝だぞ。寝るなら一度起きてベッドに行ってくれ」
「――朝?」
「朝」

 眩しさに意識を浮上させながらも微睡みに漂っていた天馬の傍らにしゃがみこむ。寝惚けていても会話はできるらしい。まだ眠たいという態度に瞼を閉じていた天馬が、しかし一瞬で「朝練っ!!」という叫び声と共に跳ね起きた。それからいつもの習慣なのだろう、ベッドから飛び降りようとしたところでどうやらここは自分の部屋のベッドの上ではないことに気が付いて、先程の瞬木と同じく周囲をきょろきょろと見渡し始めた。

「あ、ああ、瞬木ん家か……」
「おはようキャプテン。ほら、起きるなら顔洗って来いよ」
「おはよう。あれー、いつの間に寝ちゃったんだろ」
「さあな」

 根が素直な天馬が、寝惚けていたこともあり素直に起き上がり顔を洗いに行こうと歩き出し、数歩してから「洗面所ってどこー?」とテーブルの上の食器を纏めている瞬木に尋ねる。リビングを出て真っ直ぐ歩いて扉を二つ過ぎた部屋だと教え、この家に引っ越してきたばかりのとき寝惚けた弟にも同じことを言ったことを思い出した。
 シンクに食器を手際よく放り込む。がちゃがちゃと音を立てるそれらの中身が綺麗に完食されていることがせめてもの幸いだった。水につけて汚れを浮かせている間にテーブルを拭いて、テレビのリモコンのスイッチを押す。するとどうしてかテレビの電源が消えていることを示す赤いランプが小さく灯ってしまった。

「点けっぱなしかよ」

 習慣として身に着いた質素と倹約の精神により思わず舌打ちする。そしてようやく昨晩の記憶が蘇ってきた。
 昨日は弟たちが友だちの家に泊まりに行くことになっていたので、瞬木は天馬を招いたのだ。一人が寂しいというほど幼くも可愛らしくもないが、いつか遊びに行きたいと天馬は常々言っていたし、彼の言ういつかは先延ばしの方便ではなく許可さえあれば今この瞬間にでも突撃するという意味であり、それならば自分から招いた方が勝手がいいだろうと判断した。弟たちの留守に連れ込んだのは三人分の面倒は見きれないというのと、純粋な下心からだ。下心と書いて性欲と結びつけるほど盛ってはいないつもりだが、弟たちがいると下手をすれば天馬にまで兄貴面をするはめになるかもしれなかった。何せ瞬木が宇宙一になり地球に帰って来てからは弟たちもサッカーに興味を持ち始めているらしく、そんな所に宇宙一のサッカー馬鹿を呼び出せば確実に持って行かれる。それは弟たちを天馬になのか、天馬を弟たちになのか。どちらにせよ瞬木は面白くない。独占欲は強い方なのかもしれないなと思いながら、瞬木は今度こそテレビを着けた。天気予報は快晴を告げている。
 昨晩は天馬と夕飯を食べながら(以前天馬が瞬木の料理は美味しいと言ってくれたので調子に乗って大量に作ってしまった)、彼が持ってきたサッカー海外リーグのDVDを見ていた。何試合分あるんだという枚数を、天馬は神童から借りて来たらしい。瞬木にはサッカーはすることは楽しくとも観戦することに楽しみを見出していなかったこともあり、よほど有名な選手でなければ名前も知らない。途中何度か席を立って食器を先に洗ってしまおうと思ったのだが(ダイニングキッチンなので、洗い物をしながらでもテレビは見える位置にある)、瞬木の隣で観戦していた天馬が画面の中のプレイに興奮する度に抱き着いてくるわ、固唾を飲んで展開を見守っている最中に瞬木の服の裾をきつく握りしめるわでどうにも離れがたくなってしまい記憶にある限り最後までその場を動かずに一緒に観戦した。
 ――それから。
 天馬が持ってきたDVDを全て観終わって(この時テレビを消さなかったのだ)、すごかったねと訴えてくる彼の顔が勢いで瞬木の眼前すぐ傍に近付けられた。天馬にとってその距離は戸惑うようなものじゃない。スキンシップの多い子どもの天馬は部活仲間と抱き合うのも肩を組むのも当たり前だったから。けれど瞬木相手にその間合いはひどく迂闊で、彼の傍にいるときだけ天馬もそのことに気付いた。それから、一度踏み込んでしまった間合いから慌てて踵を返しても逃げ切ることができないこともわかっていた。
 だから天馬は、瞬木の体重が自分に圧し掛かってきていることに気が付いてもそれを押し返そうとはしなかった。

「瞬木?」

 顔を洗ってきた天馬がリモコンを握ったままテレビの前で立ち尽くしている瞬木を不思議そうに見つめている。振り向いて、視線を絡めて、再び数時間前の記憶を辿る。
 天馬に圧し掛かって、瞬木はキスをした。抵抗しないことは、従順だからでも屈服しているからでもなく対等だからだとわかっていた。そのことが瞬木の胸を柔らかく、しかし呼吸が止まるほど押し潰していた。天馬に触れるといつもこうだから、自分の身体のことながら困ったものだと目を細める。
 好きだと告げることよりも、好きだと認めることの方が怖かったと打ち明けたら天馬は何と言うだろう。きっと笑うだろう。瞬木らしいと受け入れてくれるだろう。都合のいい妄想なのに、瞬木の描くそれら全てを天馬はいつだって体現してくれる。だから瞬木は何度だって天馬に触れたいと思うようになった。そんな甘えたがりな欲を閉じ込めていた檻の枷を外したのも天馬なのだ。だから責任を取る義務が天馬にはある。
 上擦った声が上着の裾から入り込む手を拒んでいたけれど、そんな弱々しい抗議に効力があるはずがない。止まらない熱と、止まらないという意志を瞳に宿して見つめれば、全く同じ目をした自分の姿を互いの瞳に映してそれが続きを許可したとイコールで結ばれる。そうすれば、後はうっかり寝落ちしてしまうほどくたびれるまで暴れるだけだ。

「あ、今日も天気いいんだ?」

 瞬木の背後で流れる天気予報に天馬が相好を崩す。どうせ今日も絶好のサッカー日和だなどと思っているのだろう。だが瞬木は意地の悪い笑顔を浮かべると「今日はサッカーを無理だろ」と天馬の肩に手を置く。

「……瞬木?」
「昨日の続き、しようか」
「昨日の、続き?」
「そう」
「――朝だよ?」
「時間は関係ないだろ」

 瞬木の言葉の意味を把握した天馬は顔を赤くしながらどうしたものかと視線を彷徨わせていたが、やがて観念したのか小さく頷いた。その仕草に瞬木はにやにやと笑ってしまう。

「何笑ってるんだよ!」
「いや? 好きだなって思っただけだけど?」
「いっ、言わなくていいよわかってるから!!」
「……天馬のそういうとこ、ほんと好きだわ」

 自分なんかに、真正面から好かれている事実を受け入れていること。怯まないこと。寧ろ挑むように真っ直ぐに立っていること。
 けれど今はそのどれも言葉にすることは選ばずに、身体に直接教えることにした。その方が手っ取り早いときもある。先程まで寝ていたカーペットの上に倒れるように雪崩れ込みながら、食器は弟たちが帰ってくる夕方までに洗っておけばいいだろうと、瞬木は優先事項に優秀な兄としての姿よりも、自分の下で緊張した面持ちのまま見上げてくる天馬を愛する獣になることを選んだ。
 絡めたお互いの手に、差し込んだ陽光が当たっていた。今日はとても天気がいい。



―――――――――――

ふたつのしあわせが溶け込んだ空
Title by『春告げチーリン』



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -