手渡しばかりのクッキーが剣城の口に放り込まれていく様を、葵は机に肘をつき、手に顎を乗せてさも不思議な光景を目の当たりにしているかのように眺めていた。
 何回目かのやり取りであるかは意識して数えないようにしていた。その間、渡し続けたのはクッキーのみだ。レパートリーの幅に限界があることは理解している。中学一年生の女の子に過度な期待はしないでいただきたい。もっとも、剣城が葵の料理の腕前に期待するはずもないだろう。葵と彼の関係は同じ部活のマネージャーと選手でしかないのだから、おにぎりさえ無難に作れればこの雷門では立派にやっていけるのだ――生憎、マネージャーたちは常日頃から選手の栄養バランスを考慮した結果奇抜な具をおにぎりにぶちこんで選手たちの舌を苦しめてはいるのだが――。だから葵の作るクッキーの味のバリエーションはバターに始まりココアを通過して時折紅茶の葉を散らしてみたりもしつつ結局またバターに戻ってくるのだ。型に拘って死角に飽きが来ないようにしようかと考えたこともあるが、近頃クッキーばかり作っている葵に対する親からの金銭的援助は徐々に打ち切られつつあり、材料費のことを考えれば家に元からある型でぽこぽこくり抜いていくしかない。大事なのは味である――そしてその味のバリエーションがないから視覚的面白さに走ろうとしていたのだと思考は堂々巡りを繰り返す――。
 だからこそ葵は不思議に思うのだ。もう口実も思いつかない回数差し出されてきた葵のクッキーを、剣城が何も言わず、無感動に映るほど淡々と咀嚼していく姿を。最初は受け取るだけだった。食べるタイミングは剣城に任せられていて、見かけと裏腹に優しい彼だから全部は食べられなかったとしても捨てるようなことはしないだろう。だからこそ葵はなけなしの勇気を振り絞って剣城を呼び止めることが出来る。ただ自分の掌の上に載っていた包みが剣城の手に渡るだけで、初めの内はきっと満足できていた。
 しかしいつの間にか、回数を重ねるにつれ会話も少なく渡されるクッキーを鬱陶しく思っているのではないかという一抹の不安が葵の顔にありありと浮かんだとき、丁度クッキーを受け取ったばかりの剣城はその場でラッピングの封を切って中身を口に放り込んだ。ゆっくりと、よく噛みながら、最後まで全部。それ以来、剣城は葵がクッキーを手渡す度にその場で中身を完食してみせるようになった。葵が何も言わないから、剣城も何も言わずに受け取って食べる。黙々とそれを繰り返し、葵はやっぱり不思議だとも、申し訳ないとも思うのだ。
 きっかけは、ほんの小さな羨望だった。家庭科の実習で作ったクッキーを、女の子たちが口々に剣城にあげたいねと身を寄せ合って話し合っている姿に、葵はいいなと思ってしまった。葵の作ったクッキーは、既に彼女のお腹と幼馴染とその親友のお腹に収まっていた。その女の子たちが剣城に実際クッキーを手渡せたかはわからない。たらいいなと思ってしまった気持ちを自覚している以上、じっとしていることが出来なかった葵はまた自分でクッキーを作った。上手く剣城に渡せなかったときの言い訳用として、幼馴染たちの分もこさえていた。何と言い訳したのだったか、家庭科の授業では不出来だったとか、意外にも料理上手な幼馴染やその保護者となっている年上の女性に感化されてだとか、不自然ではない言葉で「お試しに」と差し出したことは覚えている。優しい剣城は、疑ってもくれなかった。

「剣城くんは優しいね」

 甘いものが好物なわけではないだろうに。打ち切るタイミングすら見失ってしまって、葵が手渡すクッキーを食べながら、剣城は礼ではない言葉に視線を空に彷徨わせただけだった。食べながら喋ったりはしない行儀のよさに葵は微笑む。剣城は優しく、良い人だと思える。
 示し合わせたわけではないのに、剣城は葵が頻繁にクッキーを手渡しにくることを誰にも口外していないらしかった。葵の幼馴染にさえ、その話題を出すことはない。単純に、彼が一人でいるときばかりを狙って葵が話し掛けてきていたから察してくれたのかもしれない。言い訳にその幼馴染に感化されていると持ち出したから、知られたら気恥ずかしいだろうと気を回してくれたのだろうか。葵はそのひとつひとつを探らずに、状況に甘えている。クッキーを作る腕前は、着々と上達していた。

「ねえ剣城くん」
「――何だ」

 クッキーの入っていた袋を片手でぐしゃりと潰しながら答えてくれる。変なところで優しくて、しかしやはり男の子だなという粗雑さを覗かせる彼の為に、葵はラッピングに凝ることはとっくにやめていたので彼の拳の中に嘆いたりはしなかった。

「クッキー美味しい?」
「ああ。悪くない」
「いっぱい食べて飽きたでしょう」
「……答えづらい質問だな」
「うん、わざと。ごめんね」

 葵はずっと不思議で仕方なかった。言葉足らずに剣城にクッキーを渡し続ける自分の不甲斐なさも、何も言わずにそれを受け取り食し続ける剣城にも。そうなるだけの関係も、辿り着きたい関係も、これっぽっちも描けやしない停滞期に足を突っ込んでいる。甘えているのは、いつだって葵の方なのだろうけれども。

「私、たしか剣城くんには試食をお願いってクッキーを食べて貰うようになったんだよね」
「たしかって……」
「ごめんね、建前だったから、実はあんまり記憶に残ってないんだ」
「建前」

 会話の主導権は葵にあって、剣城は彼女の言葉の一部を拾って繰り返すだけだ。それがきちんと聞いているという意思表示だった。会話を始めたのも、奇妙な習慣を生んでしまったのも葵なのだから、最後まで葵が先導しなければならないのだろう。

「ねえ、剣城くん。明日もクッキー食べてくれる?」
「――――、」
「それでね、明日で最後にする。明日が本番。だから試食は今日でお終い」
「本番?」
「うん、本番」
「――わかった」
「ふふ、ありがとう!」

 精一杯の笑みを残して、葵は席を立つ。剣城もそれに倣い立ち上がるけれど、真っ直ぐに教室を出て行くつもりの葵とは違い、教室の前に在るゴミ箱に手の中にある、先程までクッキーが入っていた袋を捨てに行くのだろう。彼の行動に自分の存在が影響していることを、葵はまた不思議なことだとしげしげと剣城を見つめながら思う。
 しかし今日はそんな観察よりも早く帰って明日の「本番」に供えるべきだった。試食の時間はお終い。明日は本番、ありったけの想いを込めて剣城にクッキーを差し出さなければなるまい。これまでと同じように口の中にクッキーを放り込んだ剣城の、その後の第一声を想像する。今まで付き合ってくれてありがとうとお礼を言うべきは自分の方なのだけれど、それでもやはり第一声は剣城から発して欲しいと思うのだ。クッキーを手渡すと同時に、今までずっと好きでしたと告白するつもりの葵としては。
 一人の男の子に、飽きることなくクッキーを贈り続ける理由なんていくら取り繕ったってこれくらいしかないだろうにと他人事のように考える葵は、やはり何も察していない様子の剣城京介という人間が不思議で仕方がないのであった。
 勿論、そんなところも好きだけれども。



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60万打企画/美智様リクエスト

えっ付き合う方に考えてた
Title by『さよならの惑星』





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