※捏造



 今頃、佐田は職員室で教師に怒られているに違いない。
 練習に遅れないようにねと言って、他の部員たちを部室から追い立てて太陽は部屋の中央にある長椅子に座る。これは本当に長椅子なのか、もしくはただの物置か。それが太陽には疑問だったけれど――材質が布でないせいでいまいち判然としないのだ――、部員たちは荷物を置いたり座ったり時には寝転んだりと、入部してきた当初から設置されていた備品に今更疑問を抱いたりはしないようだった。
 もしかしたら、まだ一年生の太陽はこの部室に馴染んでいないということかもしれない。検査入院やらで同じ一年生の部員たちよりもこの空間に足を運んだペースは少なかったし、長年の入院生活の退屈を紛らわすために、どうでもいいことに疑問を覚えるのは太陽のささやかな暇つぶしのひとつだった。
 座る勢いが良すぎたのか、尻が痛い。しかし誰もいない部室で大袈裟に痛がっても仕方がないので、太陽は長椅子の端にぐしゃぐしゃに放り出されていたユニフォームを手に取る。太陽が部室に顔を出すと同時に慌てて飛び出して行ったキーパーの佐田が放り出して行ったもの。丁度着替えていたのだろう。呼び出したのは数学の教師らしい。学年が違う太陽は、挨拶すら交わしたことがない。課題のプリントを提出していないことにご立腹だと言われ、佐田は引き出しに突っ込んだままだったと大慌てで駆けて行った。それでも、戸口ですれ違った太陽には「悪い! 部活遅れるかも!」と足を止めないまま言い残した。声が大きいから、多少距離が開いていっても佐田の声が小さくなることはなかった。太陽は状況が飲み込めずに右手を挙げて彼を送り出した。トイレでも我慢していたのかなと首を傾げた。何せユニフォームを着ようとしていた途中で呼び止められたからといって、そのユニフォームを放り出して行ってしまったのだから。校内をタンクトップでうろつけば怒られるに決まっている。
 太陽はとっくに部活に参加する準備を整えている。キャプテンである彼が姿を見せなければいつまで経っても他の部員が動き出せない。けれども。同時に太陽は知っている。うちの部員たちは、キャプテンがいないからといって怠けたり統率がとれずにほどけてしまったりするような緩いチームではないということを。今年のホーリーロードだって、雷門に当たるまで殆ど太陽を不在にして見事勝ち上がって行ったのだから。かといってキャプテンとして、太陽が蔑ろにされているというわけではない。チームの中心として信頼しているからこその、一種の団結の証だと思っている。「十年に一人の逸材」と称されるだけあって、太陽のプレイと選手としての存在感は並々ならぬ影響をチームに与えているのかもしれない。太陽本人には、はっきりとわからないことではあるけれど。
 ふと思い立って、腕に着けていたキャプテンマークを外す。もはや習慣となり、ユニフォームに着替える流れの一部として腕をぴったりと締めつけている緑色の、それ。入院中に出会った、今では最高のライバルでもある天馬の左腕に着いていたのはたしか赤色だった。一年生がキャプテンマークを着けるチームはそう多くない。三年生が抜けた後ばかりの新生チームだったらないこともないだろうが、太陽の場合は話が違う。入学すると同時に、その実力が評価されて――実力のある者がチームを束ねるべきだという方針のもと――キャプテンに任命された。さすがに、キャプテンの指名までフィフスセクターが行っていたとは思いたくない。チームメイトの自分に対する態度からも、諦念で受け入れてくれていたとは思えないので。
 では太陽がキャプテンになる以前のまとめ役は誰だったのかと想像すると、いつも佐田だろうなという結論に落ち着く。キーパーなだけあって部員たちをよく見ているし、大きな声で仲間たちを鼓舞する様も板についていた。入部したばかりの太陽に親切にしてくれたのも佐田だったし、面倒見の良い人間なのだろう。
 佐田の人となりを思い出すにつれ、何となく、本当に何となく、外したキャプテンマークを膝の上に乗せていた彼のユニフォームの左袖に合わせてみる。キーパーだけ色の違う、太陽たちが着ている青色とは違い赤色のユニフォーム。緑色は、よく映えているように見えた。それは決して、佐田の人徳を加味しての印象ではないと太陽は思っている。
 ――ただ。
 太陽は内心でひとり呟く。ただ、自分も仲間たちに背中を示すのではなく佐田の背中に全て任せてみることができたら。そんなことを思っただけ。ポジション的には、どうあがいても佐田の背中を見ることはできないけれど。あくまで比喩として、誰かに何かを任せられる安心感。支えて貰える喜び。太陽は知っている。仲間たちにとっくに教わっている。けれどそうやって背中を押されたとき、太陽はひとりぼっちだったことを思い出す。それが寂しくて申し訳なくて、たった一度でいいからもっとしっかりした誰かの背中に隠れてしまいたくなる。
 そんなことをしても、苦笑しながら手招いてくれる仲間たちだと知っているからこその妄想に過ぎないとしても。太陽は想像する。候補として、佐田は申し分なかった。

「あれ? 太陽まだ部活行ってなかったのか」
「――おかえりなさい」
「ああ」
「怒られたでしょう」
「え? いや、課題自体はやってあったんだけど――」
「そんな格好でうろついて」
「あ、ああそっちか。うん、こっぴどく」
「飛び出して来たとき、びっくりしたし」
「なら教えてくれればいいだろー」

 佐田が戻ってくる気配に気づかなかった。しかし太陽の一連の行動は目撃していないらしい。太陽を見つけると同時に声を掛けたのだろう。考えたから、会話最後の佐田の訴えに「だって呼び止める隙もなく行っちゃったから」と答えることはできなかった。代わりに手にしていた彼のユニフォームを渡してやる。礼を言って、数秒で着終える。見慣れた格好だ。当然、その腕に緑色のキャプテンマークは存在しない。太陽の右手に残されたそれを、またいつも通り自分の左腕に着ける。このチームのキャプテンは雨宮太陽、自分だ。

「ねー、佐田先輩」
「何だ?」
「佐田先輩って、僕よりしっかりしてるよね」
「んー? どうだろうな。少なくとも俺はお前が課題のプリントを提出し忘れて慌てて廊下を走ってるところも、うっかり上着なしで校舎を徘徊して怒られてるところも見たことないから、お前の方がきちんとしてると思うよ」
「……きちんと?」
「うん」

 きちんとしているとか、だらしないとかそういう話をしたかったんじゃないのだと、太陽は悲しくなった。しかし自分の用いた表現もきっと正しくなかったのだと気付き、その気持ちを押し留める。キャプテンだから、実力が物を言うべきだから。先輩に対して敬語を使わなくても怒らないチーム、上級生、佐田。諸々を愛しく想い、感謝している。それもまた太陽にとって紛れもない事実だった。

「佐田先輩」
「ん?」
「遅れたら、罰として外周走ってもらうよ!」
「はあ!?」

 言い残してそそくさと太陽は部室を出た。佐田が慌ただしくロッカーを開ける音が響く。グローブを探しているのだろう。追いつかれないように、走った。いつもならとっくにグラウンドに出ている。けれどこのまま走って、グラウンドに到着すると同時に号令を掛ければ間に合うはずだ。
 一度きりで構わないから、左腕のキャプテンマークを佐田に預けて試合に臨んでみたいと思ったこと。そうすれば自分は真っ直ぐにゴールへ駆けて、シュートを放ちそれが決まったとき真っ先に佐田を振り返り、笑って貰えたらもっとこの新雲でプレイするサッカーが楽しくなるのにと思ったことは、終ぞ打ち明けられそうにない。



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欲を言えばの話
Title by『さよならの惑星』





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