※ダークサイド覚醒以前


 隠すならばもっと上手くやるべきだ。さくらはそう思う。前方に立つ瞬木の影を踏みつけてみる。痛がるはずもなく、執拗に頭部の影を爪先で叩く。叩けば埃が出るだろうか。チームが結束するときに限って考え込む瞬木の薄暗い部分。算段は、もっと内側で素早く行わなければならない。触れられたくないはずなのに、それ以上に誰にもわかるはずがないと高を括っている態度がいただけない。自分と大切な人だけを守るために、他人の好奇心が最大の敵であるということが身に染みていないのだろうか。
 韓国戦前、真名部の瞬木に対する糾弾が耳の奥に響く。過去の汚点はどこまでもついてくる。返上することは容易ではない。だからさくらの両親は、彼女が一番ではなかった大会のトロフィーを飾ってはくれなかった。さくらよりも優れた人間がいると認めることになってしまうから。まだ幼いさくらより優秀な人間がいることは、広い目で見れば当然のことなのだが、両親の瞳に一番の自分を映さなければと逸っていたころのさくらには理解できるはずもないことだった。さくらが悔しいと思っているかすら問題ではなかったのだ。両親が満足するか否か、それだけの話。
 瞬木が万引きの前科があると知っても、さくらはそれを理由に軽蔑するほどの関係がそもそもなかった。ただチームメイトとして、同類だと思われてはならないと察知したから距離を取ろうとした。キャプテンの天馬に叱られてしまったけれど。さくらたちは自分たちが日本代表に参加する際の契約が正式に履行されればそれでよかった。同じように天馬も自分たちがサッカーをしてくれれば純粋にサッカーを好きでなくてもそれでよかったのだろうかと穿った見方をしてしまうこともある。もっとも、言動の端々にさくらが一時でも想像するような冷淡さは微塵も含まれていないことは明らかだったけれども。
 ――キャプテンはいい人だわ。
 さくらは思う。だからハラハラするのだ。天馬と瞬木が並んで、笑顔で談笑している姿を見かけてしまうと。どちらに気を揉んでいるのだろう。笑顔の裏で、不完全な仮面をつけたまま天馬を凍らせるような発言をするかもしれない瞬木に? それとも、相手の笑顔の裏を疑うことすらできないまま瞬木の地雷を踏んづけてしまうかもしれない天馬に? さくらが案じる余地のないことだ。
 そう、さくらには関係がない。スタジアムの入り口の休憩エリアで二人きり。一人掛けのソファにそれぞれ腰を下ろしながら、瞬木が何もない空間をぼんやりとではなくはっきりと意図的に見つめていること。それが排他的に、さくらに話し掛けられることを拒んでいるのだと訴えている。隙を見せてはいけない。味方はいないのだからと言わんばかりに。瞬木はこんな風に、不用意に味方のふりすら忘れて警戒心の塊になってしまう。さくらが言えた話ではないとして、これではボロが出る日は近いだろう。

「ねえ瞬木――」
「………」
「瞬木ったら!」
「……なに」
「あんた、もうちょっと愛想よくしなさいよ。誰が見てるかわからないんだし」
「へえ、ご心配どうも」
「単純にムカつくって話よ!」
「野咲さんはいいわけ? そんなガサツな態度で。猫被り直せば?」
「あたしはもう瞬木ほど周りを警戒する必要ないし」
「―――」

 さくらの発言を、悦に入っていると捉えたのか瞬木の眉がぴくりと上がる。気付いたけれども怯まないし、悪いとも思わない。彼女は瞬木を思いやらない。思いやればどうせ「同情できるご身分かよ」とでも言って噛みつくのだろう。面倒くさい男だと思う。そして自分は面倒くさい女なのだ。そうでなければ、瞬木の上辺だけをなぞり信頼の真似事だけでもしてあげられたはずだ。
 正直、気は合わないだろう。瞬木はどうやら弟たちが大切で、日本代表に参加する条件も弟たちともっと大きな家に住めるようにしてもらうという、さくらにはこれまで時間を費やしてきた競技から離れるほど魅力的な条件には思えないもの。さくらの定規で瞬木の価値観を量っても無駄なのに、比較して思考して嫌悪する。生産性のない、無意義な時間だ。けれどどうして一緒にいるのだろう。鉢合わせた事実を受け流して、それじゃあとにこやかに手を振って去っていく場所はいくらでもあるだろうに。

「ねえ瞬木」
「……今度はなに」
「あたし、邪魔?」
「――は?」

 その問いに、対する答えに何の意味があるというのだ。顰められた表情が雄弁すぎて、さくらはまた瞬木の仮面は欠陥品だと判ぜざるを得ない。模範解答は「そんなことないよ」の笑顔添え。その回答へのさくらの態度は「鼻白む」だ。
 ――馬鹿な瞬木。一度疑われたら、取り戻せないのに。
 焦点をずらして、瞬木の輪郭がぼやける。
 ――まるで見抜いて欲しいみたいで目も当てられないわよ。
 薄暗い他人様の根っこに目を向けるなんてボランティア精神を持ち合わせている人間が、こんな場所に都合よく存在する訳がないのに。
 皆帆あたりならば好奇心でつつくだろうか。触れても無関心に流してしまう人もいるだろう。正面から直視して受け止める人もいるだろうか。心当たりが脳裏を掠めて直ぐに打ち消す。さくらは当事者ではないのだから、期待できるはずがない。そこまで他人に入れこんだりはしないはずだ。さくらとて一番になりたいという気持ちは形が揺らいでも消えることはなく彼女の信念として内側に居座っている。
 だから瞬木の素顔が、さくらの道を塞ぐほどの幅を以て全体の輪を乱すなら。不必要に暴かれた彼の過去に距離を取ろうとしたあの日と同じ振る舞いをするだろう。だってさくらは、瞬木のことが嫌いだから。出来の悪い過去の自分を見ているようで煩わしい。
 それなのに、さくらも瞬木も一向に席を立つ気配がない。ソファの上で膝を抱えたさくらは移動する気がないことを示しているようで、瞬木は肘掛を使って顎を手に乗せる形で沈黙している。さくらの問いかけに、結局答える気はないようだった。さくらも気付いていたがわざわざ指摘するほどのことでもないと口を噤んだ。
 沈黙は重たく、けれどもやはり自ら進んで席を立とうとはしない理由をさくらは逃げ出したと思われるのは癪だからと自分に言い聞かせた。恐らくは瞬木も似たような意地を張っている。もしくは、そう思い込もうとしている。
 集団の寄る辺なさに、手厳しく手を払われた方が安らぐなんて自覚はまるで寂しいと言っているようなものではないか。
 ――愛想よくなんかしてくれなくていいのよ。
 胸の内で呟いた言葉は瞬木には届かずにさくらの内側で溶ける。沈黙が重たい。けれどお互いの傍にいて沈黙が降りる事実がどうしようもなく気安いという想いが漏れ出さないようさくらは抱えた膝に額を押し付けた。相変わらず顰められている、瞬木の役に立たないひび割れた仮面を見ないで済むように。うっかり手を伸ばしてしまわないように。
 夕飯の準備が出来たとマネージャーの葵が呼びにくるまで、二人が席を立つことはなかった。



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60万打企画/奏羅様リクエスト

あたたかかった、少しだけ窮屈だった
Title by『3gramme.』



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