※茜不在・神童+霧野


 宇宙から雷門に帰って来た神童がふと気付いてしまったこと。茜の姿を見つける頻度がやけに減った。マネージャーとしての仕事は一番甲斐甲斐しかった葵が不在にしている間にスキルアップしたのかドリンクとタオルの補充、用具の準備も滞りがないどころか気付いたら準備されているという完璧な仕様になっていた。けれどどういうわけか、その仕事をこなしている人間の姿が見つけられないのである。以前は仕事をしているところは神童たちの練習と同時進行であることからも姿が見えなくともそれほど気にならなかったが、代わりに茜がトレードマークのピンクのカメラを構え自分たちのベストショットを映そうと、フィールドの白線ぎりぎりの位置に立っている姿を見かけていたのだが、それすらもない。どうしたことかと気にかかるも、別に障害があるわけではない。マネージャーとしての仕事を真っ当にこなしている茜がそれ以外のときどこにいようと報告する義務はないし、知ったところでどうしようという意図も神童にはない。けれど、山菜茜という少女の不在をはっきりと自覚する視野というものに、妙にリアルな確信があることが不思議だった。

「――茜は最近、散歩にハマってるんだよな」

 神童の疑問に答えをくれたのは、サッカー棟に向かう道を共に歩いていた霧野だった。話題は今日の部活の練習メニューについてであったはずが、いつの間にか茜の話題になっていたらしい。しっかりと耳を傾けていた筈なのに、話題の変換か突飛すぎたためか軽い相槌すら打てないまま、どういうことだろうと神童はまじまじと霧野の横顔を見つめ、できればもう少し詳細を放してくれないかと期待する。
 霧野はズボンの尻ポケットから取り出した携帯を操作すると、それを神童に手渡した。開かれている画面はメールの受信ボックスだったので、一瞬神童は目を細めたけれど、当人が差し出しているのだから目を通すことを憚る必要はないと割り切りスクロールを下に操作していく。一つのメールに数枚の写真が添付されたメールは、霧野曰く何通も届いており、時々容量不足で読み込めないことすらあるそうだ。霧野はこの一連の会話の中で、茜が散歩を始めてから道中の風景を面白くもなくただの思いつきで収めた写真が送られてくるのだとか、この散歩中の所作の為に彼女の携帯はガラケーからスマホに変わったのだとかそのせいで送られてくる画像のサイズを調整しないものだから霧野のガラケーは容量不足で画像を受信できないのだとか様々なことを喋っていたのだが、神童の耳には半分も入って来なかった。霧野が茜のアドレスを下の名前だけで登録していることだとか、本文は画像のみでも件名に簡潔な「撮った」という用件の文章が添えられており語尾につけられたハートマークの親密さだとかが神童をひどく動揺させてしまった。

「霧野は山菜と仲がいいのか?」
「――ん? いや、普通じゃないか? そういうメール、別に珍しくないだろ」
「そうなのか」
「浜野辺りは写メ送り返してるみたいだけどな。この間茜が釣堀の写真ばかりもういらないって言ってたし」
「………」
「神童?」
「それは、俺たちが雷門を空けていた間に生まれた習慣なんだろうか」
「うーん、そうなんじゃないか?」

 神童に関して察しのいい霧野は、彼が何やら落ち込み始めたことがわかったので彼の言葉を否定しないことを選んだ。本当は、神童のいう「それ」が茜の散歩についてか他愛ないメールを部員と送りあうことについてなのか判断はつかなかったが、どちらでもいいと霧野は判断する。茜が恋する乙女の恥じらいで以て神童にはメールを送ったことがないことを知っている。神童が用事もないのに女子にメールする人間でないことも。そしてサッカー部のキャプテンでもなくなってしまった神童が茜にメールする用事など滅多に発生しないことも。そんな現状を普通として――普通であることが事実だとしても――甘んじてしまうところが霧野にはじれったくて仕方がないのだけれど、言わない。神童が考え込む顔つきで自分の携帯を握っている。茜からのメールを見せてしまったのは霧野であったが真剣に凝視されるとは思わなかった。明確に打ち明けられたことはないけれど、霧野の想像する範疇の想いを神童が抱えていたとしたら。自分はどうしようもなく浅慮な男ではないかと霧野は憮然とした気持ちになる。勿論、全てがもしもの話だ。
 霧野が黙り込んでしまったので、神童はそこで漸く預かっていた携帯を彼に返した。霧野はそれを取り出したポケットではなく鞄の中にしまった。置き場所を定めない物の保存方法は紛失の可能性を高めるのではと思いながらも神童は口を噤む。自分の意見はいささか生真面目すぎると知っている。

「――散歩というのは」
「うん」
「楽しいんだろうか」
「さあ?」

 探り方が雑だと思った。霧野は横目で神童の表情を窺う。やはり真剣に考えて選んだ言葉なのだ。楽しいのかという、疑問符の欠落したテノールは否定文のように捉えられても文句はいえないだろう。晩冬の寒さの中歩き回ることを心配しているのだとしたら、その気配は神童と親しい人間を傍に置かなければ恐らく誰にも汲み取っては貰えない。ピンクのカメラをサッカー棟に与えられたロッカーに大切にしまいこんで、使いなれないスマホで撮影された写メを見ても、霧野には茜が楽しいのかそうでないのかはわからない。ただその写メをきっかけに話し込んでいる茜と浜野や水鳥を見ている限りではとても楽しそうだった。
 しかし神童が知りたい答えは、本人も無自覚に茜の深窓に入り込みたくて宙を漂っている。慎重に紡ぎだす言葉の全てが、こうして無意味に散らかって行くのだ。

「神童はまどろっこしいんだな」
「何だ急に」
「そんで、そういうまどろっこしい切っ先を避けるのは、茜は得意そうだ」
「…………」
「一緒に歩けばいいじゃん」
「何の話だ?」
「神童の話だよ」

 おかしそうに笑う霧野に、神童は益々訝しげだった。本校舎からサッカー棟へ続く通路を渡る。視線を逸らすと、通路下の植え込みの付近に茜がしゃがみ込んでいた。花の咲く時期じゃない草木に手を突っ込んでいる。また、撮影かもしれない。霧野は見つけた茜の姿を神童に教えなかった。通路を渡り終えると視界から外れる茜から、真っ先に自分の携帯にメールが届いていたりしたら、どう取り繕っていいかわからなかったから。

「なあ霧野、散歩って――」
「本人に聞けばいいじゃないか」

 どこまで続くのかわからない神童の言葉を遮って、霧野は最大限呆れていることが伝わるよう肩を竦めてみせた。怯んで言葉を詰まらせる幼馴染を、ここで甘やかすわけにはいかない。鞄の中に放り込んだ携帯のマナーモードの震えている感触にそっと溜息を吐く。
 ――本人に言えばいいじゃないか。
 神童が不在の間、撮り溜めた欠片は茜の活動日誌みたいなものだった。直接見せる予定のないものを嵩ませていくことを茜は何とも思わないのか、友人たちに躊躇いなく披露してしまう。中途半端に満たしてしまうから、肝心の一歩が疎かになってしまうのだと言い聞かせるには実際霧野は部外者だった。神童が勘繰るほど茜と親密でもなかった。だから安心してくれと言えないのか、霧野の思う神童のまどろっこしさなのだけれども。

「俺も、名前で呼んでみても平気だろうか」

 性懲りもなく真顔で尋ねてくる神童に、それこそ本人に言えばいいだろうと霧野は彼のふくらはぎを蹴っ飛ばしてやった。



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きっと地球の裏側みたに遠い
Title by『3gramme』



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