丸窓から覗く宇宙は気の所為だろうか、今まで何気なく眺めていたときよりも輝いているように映る。この先、葵がどれだけ長生きをしたとしても恐らくはもう二度とこの光景を見ることはないだろう。そう思うと、出来るだけ長く、かつ鮮明にこの光景を眺めて置かなくてはと気持ちが逸った。 地球への帰路。自分たちの旅路を、こんな風に評する経験をした地球人は(この広大な括りもきっと)葵を含め地球代表として選出されたアースイレブンの面々だけだ。ギャラクシーノーツ号の技術自体、今回のグランドセレスタ・ギャラクシー参加に伴い銀河連邦評議会から借り受けたものであるから、地球とその他の惑星が交流を持つようになるにはまだまだ膨大な時間を要するのだろう。 ファラム・オービアスで、これまで自分たちの星の命運をかけて戦ってきた面々と多大な重責から解放されて笑顔で語り合うアースイレブンの仲間たちを見つめながら、葵も満ち足りた気持ちだった。天馬の、みんなの役に立ちたいと思いながら乗り込んだ船だけれど、フィールドに立つ重責はきっと葵には計り知れないものがあったはずだ。まさか地球の命運だけではなく宇宙の命運をかけた戦いに巻き込まれるとは思いもしなかったけれど、天馬たちならきっと乗り越えられると信じていた。 ――ずいぶん遠くまで来たんだなあ。 振り返る。進行方向に逆らって向けた視線の先には何もない。もうみんな眠ってしまっているだろうか。ワープに入るのは、体感時間として朝を迎えてからということになっている。葵も、マネージャーの部屋として与えられた最後尾の車両に戻らなければならない。初めは混乱していた本来のみのりも、外に出られない状況だけは把握してくれたらしく、大人しく葵の隣のベッドで眠っていることだろう。 もう一度振り返る。今度は、進行方向に体を向ける。出会ったのは、小学生の頃だった。足元ばかりを見て、ボールを蹴りながら長短さまざまな間隔に置いた瓶や缶の間を抜けることに四苦八苦していた男の子。経験者ではない葵には判じられなかったが、きっと下手くそと呼ばれてしまう拙さだった。それでも諦めないひたむきさを、葵は転がって来たボールを手渡した瞬間に合わさった瞳に見つけた。恐らくはあの時に、自分は天馬が起こす風に巻き込まれてしまったのだ。思い出して、葵の口元は緩く弧を描き笑みとなる。ずいぶん遠くまで来た。天馬に巻き込まれるようにして。けれどこれは紛れもなく、葵自身の意志だった。 「――葵?」 「! 天馬、まだ寝てなかったの?」 「ちょっと目が冷めちゃったから、水飲みに行こうと思って。葵は?」 「んー? 天馬のこと考えてた。ちょっとだけ」 突然、葵の心地よい回想を遮るように車両を連結している扉が開いた。タイミングが良いのか悪いのか、現れたのは天馬で、寝ぼけ眼をこする彼に葵は苦笑する。逞しいんだか、そうでないんだか。足に着かないボールを慌てて追い駆ける少年は、ひとりぼっちでサッカーをしていた少年は、もう何処にもいないのだけれど。こうして、フィールドを出た天馬の傍にいると、あの日の少年に自分は寄り添っているのだなと思えた。 水を飲みに行くと言ったのに、天馬は葵を通り越して行かなかった。食堂車は、葵の後ろに在る扉を抜ければすぐだ。天馬のことを考えていたと際どい発言をしてみたものの、その台詞にはノータッチで、けれど無視もしていないのか彼の眼差しはじっと葵の顔を捕えている。そう、視線というよりは眼差しだ。「なあに?」と首を傾げることも気恥ずかしくなるような、柔らかな熱が絡まっている。この眼差しだけは、きっと出会った頃から変わってしまっている。嫌悪感なんて抱いてはいないけれど、ちょっとだけ苦しい。ずいぶん遠くまで来てしまった。また、そんな言葉が脳裏を掠めた。 「――あのね、葵」 「うん」 「俺、ずっと雷門でサッカーしたいって思ってた。あの日、サッカーと出会った日からずっと思ってた」 「うん、知ってたよ」 「その夢を叶えて、雷門でサッカーして、信じられないけど過去や未来でもサッカーして、もっともっと信じられないけど、こうして宇宙でもサッカーしてさ」 「うん、すごいね」 「その何処にでも葵がいたね」 「―――、」 「葵がいて、本当に良かった」 「……寝惚けてるの?」 「違うよ! 何か、ずいぶん遠くまで来たなあって思ったから、言いたくなったんだ」 不貞腐れて頬を膨らませる天馬の言葉に、葵は頷いた。ちぐはぐな反応かもしれない。けれど、葵が思っていたことを天馬も感じていたのだと素直に納得したことを表すには適切な仕草だった。ずいぶん遠くまで来た。きっとこれ以上遠くへ出向くことはないだろう。けれどこれが天馬の旅路の一区切りということではないはずだ。彼はこれからもサッカーを続けていく。新しい仲間と、新しい場所で、新しい風を引き連れて。どれだけの人を巻き込むのだろう。どこまで駆け抜けていくのだろう。葵には、想像もできない場所まで。 ――けれど。 「忘れないでね」 「――ん?」 「天馬のそばには、私がいるよ」 ――私の瞳は、いつまでも天馬を映し続けるよ。 見失わない距離を、ここで誓う。絡まった眼差しに葵が籠めた想いは、天馬のそれと同じものだ。今はまだ拙くて言葉にしようとするとほどけてしまう。だけどわかっているから焦らなくていいのだと、怠慢とは違う安堵があった。 葵の宣誓に、天馬は嬉しいと笑みを零して「よろしく」と手を伸ばす。迷うことなくその手を取って、仲間たちが寝静まっている最中の戯れに二人して声を上げて笑った。握手なんて、健闘を讃え合うライバルでもないのにと。 戯れ。そう一蹴してしまう宇宙の片隅で交わす宣誓の尊さは、共に歩く過程の二人には重たい。握り合った手の感触と温かさも、万人には打ち明けられない航行のささやかな一コマに過ぎない。けれど忘れない。そのことを天馬も、葵もそれが摂理と言わんばかりに当然として受け止めている。 「じゃあ、葵のそばには、俺がいるんだね」 衒いのない微笑みが二人の世界を照らす。宇宙の暗闇の前には小さすぎる光だとして、そんなことは一向に構わなかった。 ずいぶん遠くまで来た。これからもっと遠くへ行く。その時、何処にいたとしても隣にお互いがいること。それだけを、二人は知っている。 ――――――――――― まるであしたの光のよう Title by『春告げチーリン』 |