まどろみの後だった。落ちた影が、うららかな日差しを塞いでしまっていた。天馬の瞼は、ほんの少しの抵抗で、心地よい暖かさを取り戻せるのではと期待した。肌寒さは大敵で、風邪をひいてしまっては困るのに部活後の半袖は徐々に体温を逃がしてしまう。天馬の前に立っている彼は、日差しを塞いでいる彼は、きっともう帰る支度も万全に見下ろしているのだろう。自分を蔑ろにしてまで他人の面倒をみようとしない姿勢が好きだった。たぶん、お兄さんのこととなると話は別だろうけれど、自分が人間として器用でないことを知っているが故の誠実さは、天馬に駆け寄って行くことを躊躇わせなかったから。

「天馬、起きろ、風邪をひく」
「――うん」
「起きてるのか」
「うん、でもねえなんだか、なんだかとっても動きたくないんだ」
「馬鹿言うな」

 目を閉じたまま、しかし明瞭な返事は天馬の意識が覚醒していることを剣城に教え、機嫌を損ねた。世話が焼ける、面倒を見るのは幼馴染の少女の役目だった。それをむず痒く思う思春期すら迎えていないくせに、格好つけることも覚えない。幾ばくか、過ぎる時間は少年たちを大人にしていくだろうにどうしてか、天馬だけはいつまでも幼いままなのではないかと、おかしな不安を浮かべるほどに。
 小さなくしゃみ。瞼をこする天馬に、剣城はその手首を掴んで強引に立たせてしまうこともできた。ただ、目の前で晒されている天馬の幼稚さが、叱責するような振る舞いを取らせることを剣城に躊躇わせ、隣に腰を下ろすことを選ばせた。苛めているように映っては決まりが悪い。

「暖かいねえ」
「くしゃみしてただろ」
「あれは剣城が、おれの前に立って影を作ったからだよ」
「俺のせいか」
「せいって言うんじゃなくて……ねえ?」
「ねえって何だ」

 再び届いた日差しに天馬ははにかむように口元を綻ばせた。横目で見ていても幸せそうな、太陽を浴びた穏やかな笑みだった。何ともまあ、無防備で、愛らしいものだと剣城は溜息を吐いて、まろい頬を摘まみ引っ張った。痛いよと困った眉の下がりは剣城をいくらか満足させた。それでもどうしてか、頑ななまでに閉じられたままの瞼がいったい何を主張しているのかがわからない。
 そんなに眠りたいのなら、さっさと帰って風呂に入って着替えてから柔らかなベッドに沈んでしまえばいい。夕飯の時間になれば優しい管理人が起こしてくれるだろう。日向ぼっこの延長にあるまどろみが心地いいことに全くの無理解であるわけではないが、いつもならば練習が終わると同時に駆け出して、更衣室で着替えたと思いきや河川敷で自主練する仲間を探し始める始末だったので、今日の緩慢な停滞はどこか意外で、剣城の中にある天馬へのイメージとは齟齬があり収まりが悪かった。それを一方的な押し付けだと知っているから、ありふれた表面上の世話を焼く言葉しか差し出すことができない。
 そんな剣城の探るような眼差しを受けて、しかし気付く由もない天馬は頬や腕、肌に当たる日差しの暖かさを感じることに神経を集中させていた。どうしてか、この心地よさが一等素晴らしいもののように思われた。それから頭の片隅で、キャプテンとしての事務的なことを考える。もう部室には誰も残っていないかなだとか、鍵の閉め忘れをしないようにしないとだとか、部誌には今日狩屋の調子が良かったことを書いてあげようだとか、剣城のシュートは相変わらず格好良かっただとか。ああでもこれは、おれの主観だから、また神童先輩にそういうことは本人に直接伝えるようにと叱られてしまうかもしれないなあだとか。
 とりとめのないことばかりだ、日常は。めまぐるしいのに緩やかで、楽しいことをしているはずなのに苦しくて、ずっと一緒にいたいのにいつかは離れてしまうゴールが用意されていて、大好きなのに言葉にして伝えることなんてできやしなくて。あまり不用意に触れられては困るのだ。先程剣城につままれた頬だけがぴりぴりと痛みを訴えるのは、彼の力加減のせいなんかじゃなかった。痛めつけるには、あまりに優しい手付きだったのだから。

「――剣城?」
「………」
「寝ちゃった?」
「お前じゃあるまいし」
「だって無視するから」
「人聞きの悪いことを言うな」

 聞こえていたって、言葉を返しようのないことだってある。あまり迷子のような声を出すもんじゃない。捕まえてしまいたくなるから。
 お互いに、不用意を繰り返す子どもの駆け引き手前の戯れだった。構い合うことこそが繋がりの証だと思っていた。信じることは無条件に絆を深めてもきたけれど、それは特別ではなかったから、仲間という括りは思いの外簡単に広がっていく。全く以て、サッカーとは偉大なものだと思ってしまうほどに。

「暖かいねえ」
「……そうだな」
「サッカーしようか」
「何でそうなる」
「幸せだなあって思ったから、何となく」
「俺はもう着替え終わってる」
「…そっか、残念」

 いつまでももたついていたのは天馬の方だけれど、思った以上に落胆を滲ませる声音に剣城の胸が痛んでしまうのは甘やかしが過ぎるだろうか。剣城にはもうさじ加減がわからなくなってしまった、天馬とその他への天秤。もしかしたらとっくに傾いて、地面に落ちてしまっているのかもしれない。
 閉じてしまった選択肢を増やしてあげるのは、剣城の役目だ。

「一度家に帰って、」
「―――うん」
「一時間後に河川敷集合」
「三十分後がいい」
「そうするとお前帰らないでその格好のまま河川敷に行くだろ」
「ダメなの」
「俺がお前を待たせることになるから、一度帰れ」

 それでも文句があるのならばもう妥協はしないという意志表示に、立ち上がり、両手をポケットに突っこんでさっさと歩き出す。そうでもしなければ、どんな譲歩を引き出されそうになるかわかったものではなかった。

「一時間後、一時間後ね!!」
「寝過ごすなよ」
「寝ないよ!目、ばっちり覚めたから!!」

 わかりやすい反応、餌を貰った飼い犬か、おもちゃやお菓子を与えられた幼子のようだった。それでも、自分の言葉ひとつでここまではしゃぎ出す天馬に、剣城もやはり悪い気はしないのだ。
 いつの間にかぱっちりと開かれた瞳が小さくなっていく剣城の背を映し、見送る。そうしてから、天馬はようやく全速力で部室に荷物を取りに駆け出した。まどろみを連れてきた温もりは、絶えず二人の上に注いでいる。絶好のサッカー日和として、受け取っておく。恋と呼ぶにはまだ早い、しかし後戻りも利かない想いを抱えて、少年たちは河川敷に走った。


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ぼくがいるよ、きみのそばにはぼくがいる、他の誰かじゃない、まぎれもないぼくだ
Title by『るるる』





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