少しずつ帰り道が暗闇に落ちて行く。子どもたちの遊ぶ声も遠ざかり、いつの間にか夏は遠くへ行ってしまったと知った。半袖を仕舞う、けれど日差しの下で暑さに捲り上げた袖を戻す度にまっさらな白に寄った皺が鬱陶しくて仕方なかった。カーディガンは今度の休日に新しく買ってもらう約束を母親と交わしたばかりだった。それでも、気温に惑わされず、しっかりと吟味して選ぶつもり。学ランで暑さも寒さも問わず走り回っている天馬にはきっとわからない悩みだ。

「この間、冷凍庫からアイス出てきて。たぶん夏に買った奴、食べ忘れてたんだと思うんだけどさ」
「なにそれ、まさか食べたの?」
「食べたよ、お風呂上りだったし、賞味期限過ぎてなかったから」
「そう、なら安心ね」

 影が長い。いまにも追い抜かれ、離されていくであろう身長の心許ないこと。見上げることは構わない、けれどこの距離、話す声が遠ざかることが寂しい。
 夏が終わり、秋が来た。何度も繰り返してきたサイクルに、今更の感慨はなく、ただ毎度のこと、季節が過ぎるのはあっという間だと、過ごしてきた相応の日数を夏という一語でひと括りにしてさも短く捉えて語る。天馬に至っては、ある日突然朝目覚めたら秋になっていたんだと大仰に語り出す。そんなまさか、たったの一晩で。笑ってみせたけれど、そんな風に季節の変わり目が明瞭ならば、このシャツに皺を作ったりはしなかっただろうにと瑣末な羨望が浮かぶ。

「今年からね、アイロンは自分でかけなくちゃなの」
「今まで自分でやってなかったの?」
「お母さん」
「でも葵、最近は髪、跳ねてるよね?」
「洗い物の話!毛先はそういう風にしてるの!寝癖みたいに言わない!」
「ごめんごめん」

 話題の提供は交互に。時々は噛み合わなくて、お互い首を傾げてはすぐに修正する。失礼な男の子の言は、お姉さんぶって拗ねてから直ぐに許してあげるのがマナー。学習しないことを咎めても仕方がない。腹を立てずに付き合い続けること、それが幼馴染の特権だった。

「秋ネエが、衣替えの前に学ランをクリーニングに出しなさいって言うから」
「うん」
「出したんだけど」
「うん」
「よく考えると、夏服に衣替えしたときに出してさあ、それをクローゼットに仕舞ってたから必要なかったんじゃないかなって後から気付いたんだ」
「いいじゃない。制服がピシッとしてるのはいいこと」
「そうだけど…」

 不服そうに、袖口を摘まんでじろじろと見つめる天馬の隣で、葵は両腕を抱き込むようにさする。彼の学ランの袖はきれいで、葵のシャツの袖は寄れている。そのことが気になったから、隠そうとした。もっと寒かったら、カーディガンを着て歩いていたのに。けれどそれは去年のもの、くたびれた感じがして、葵は登校する際ぎりぎりまで悩んでベッドの上に放り投げてきた。どちらにせよ、彼女の眉は顰められていただろう。

「葵、寒いの?」
「――少しだけ。最近、調節が難しくて、やんなっちゃう」
「寒いならサッカーするといいよ。走るから、すぐ暑くなるよ」
「それで汗かいて、冷えてまた寒くなるんでしょ。やだよ、着替え持ち歩いてないもん」
「わがままだなあ」
「ちっとも!」

 汗をかいた衣類をところ構わず脱ぎ散らかす貴方とは違うのよ、なんて言わないけれど。洗濯してあげることも畳んであげることも厭わないけれど、当たり前だと自惚れて欲しくはないのだ。
 ――貴方の世話を焼く私はまぎれもない女の子だということ、おわかり?
 唇を尖らせて、若干の斜め上、流し目は気付かれないまま。帰り道、女の子と並んで歩いている意味を、天馬は葵を幼馴染と囲いを設けて思考を放棄している。このままじゃあ、二人きりなんていつ崩れ去ってもおかしくないというのに。けれどそんな不確定要素に怯えて、今この瞬間の二人きりを台無しにしてしまうのも勿体ないから気丈にも、ただ笑う。

「今年は手袋も新しくしなくちゃ」
「手袋もって、他には何?」
「カーディガン、週末に買いに行くの」
「去年のは?葵そんなに大きくなってないよ、着れるでしょ」
「やあよ、袖口つんつるてんだもん」
「嘘だあ」

 はしゃぐ声が、宵の入り口の静寂に虚しく響く。けれど温かい気がするのは笑顔のおかげ。けらけらと笑う天馬の言葉、そう、確かに嘘だけれど。女の子はたったの一年でうんと大人っぽくなるものだから。前髪を作って、後ろ髪を伸ばすそれだけで、周囲の女の子はびっくりするくらいざわめくこと、いつか天馬も知るだろう。

「おれはねえ、マフラーでも編むよ」
「できるの?」
「秋ネエができるから、教わろうかな」
「無理だと思うな〜、部屋で編み物するくらいなら外でサッカーしてれば寒がる暇もないとか思ってるでしょ。天馬は!」
「はあ?できるよ、寝る前とか、雨の日とか、時間あるんだからさ」
「ふうん、じゃあ競争する?編み始める日を決めて、どっちが先に完成させるか勝負しようよ」
「いいよ!負けないからな」
「言ったわね?」

 段々と表情が読み取れなくなって、けれどまざまざと浮かんでくる。不服に唇を尖らせる天馬と、口端をあげて歯を見せて笑う葵。彼女のこんな笑い方を見るのは天馬ひとりで、突き合う無邪気さが尾を引いた。
 競争は楽しい。二人の秘め事であれば猶更。天馬はきっと誰かに話してしまうだろうけれど、男の子だから、横槍を入れて飛び込んでくる野暮な輩もそうはいないと踏んでいる。
 だから、そう。残りの問題は、天馬も葵も無事マフラーを完成させたとして。それを交換しようと提案するタイミング、それだけだ。
 週末の買い物、ターゲットはカーディガン。それから勝負に必要な毛糸と編み棒。色は、できるだけ天馬に似合う色を選びたい。
 あっという間にやってくるであろう秋の次、堪える寒さを思いながら葵は再度腕を擦った。



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あの子は複雑な恋の遺伝子でできている
Title by『にやり』


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