痛めつけない程度の優しさが必要だった。押し付けと、刺々しさ。さくらが持っていたのは自己防衛の手段であり、後々痛めつけることになる相手からの非難を躱すための鎧といってもよかった。それはつまり優しさではなく、嘘だったのかもしれない。
 集団に馴染むにはにこにこしていればいい。そうすれば過度な警戒はされないはずだから。もっとも、それは本当の意味で馴染むことからは程遠いけれど、本心ではそもそもそれを望んでいないのだから一向に構わなかった。新体操の世界でどうすれば自分だけが一番に輝けるか、それだけが野咲さくらの至上命題であったのだから。しかしその目的の為に、新体操の世界を飛び出したことが彼女にとってひとつの転機となったことは間違いなかった。個人プレイから集団プレイに移行し成果を出そうとすれば否が応でも他者との連携が必須となる。笑顔の仮面をつけたままこなせると思った義務は思いの外困難で、苦痛に顔を顰めれば目敏く見咎められ、やがてさくら自身の頑なな心にまでぶしつけに言葉を贈る。懐柔されたわけではないの、そう必死に唇を噛み締めた。ただやるからには全力で、1番を求める姿勢を失ったりはしない。舞台が違っても、さくらひとりの功績ではないとしても、それでも。
 もしもひとりぼっちだった頃のさくらを知っている誰かが、今の彼女を指差して変わったねと唱えたとしても彼女は半分肯定し、半分否定するだろう。輝きたがる少女の根っこは変わっていない。ただ余計なものを見ないようにと俯いていた視線を少し上に移してみただけのこと。これまで障害か、捨石か程度にしか意識して来なかった他人のこともわずかばかり目に入るようになってきた。考えるようにもなった。勿論、内側に潜り込もうとは相変わらず思っていないし、ただ関わることに対するさくらの気持ちが気軽なだけ。けれどそれが、彼女にはやけに大きな意味があった。仲間という言葉に、頭ごなしに嫌悪感を抱くようなことはもうしなかった。
 サッカーを始めたばかりの面子が、各々楽しんで真剣にプレイに取り組むようになって、それをさくらは否定しない。けれど初めから、何の変化もなくただそこにいるだけの彼が、妙に浮いているように思えた。

「瞬木って出会ってから全然変わらないわよね」

 他人を踏み台にすることはやめようと思っても、それはイコールへりくだることではない。さくらの率直な物言いは、相手に嫌悪されることを計算しない。だから、瞬木の訝しむような視線に若干の警戒心が宿っていたとしてもさくらは歩を引かない。不満があるのならば、言葉にしてくれなければわからない。しかし瞬木に限って第一声で他者を糾弾する台詞を吐き出すとは思わない。
 どうやら過去に素行不良があったらしい。さくらには関係のないこと。ただそれを理由に糾弾されても、瞬木は何も言い返さなかった。ただ睨み返すだけ。それは返す言葉がないからではなく、瞬木隼人という人間を粗悪と決めてかかる他人に何を言っても無駄だという諦観。しかしそれ故に害するのであれば屈服はしないという反抗心。関わらない方が無難だと判断を下すのは、何も糾弾する側だけではないのだ。彼等は気付かないのだろうか。瞬木の瞳に宿るどす黒い闇、嫌悪であり侮蔑、しかしやがては通り過ぎて無に行き着く絶望的な断絶に。

「変わらないもなにも、出会ってからそんなに時間は経ってないんじゃない?」

 そう肩を竦めて見せる瞬木に、さくらはほらねと得意げに内心でほくそ笑む。添えられた笑顔が寒々しい。それもそうねと話題を断ち切って欲しいのだろう。他人に自分の変化がないと分析する目で見つめられていることが厭わしいのだろう。朧気にわかってしまう。他人を信頼に値しないと決めつけたことのある人間には、きっと。
 だがさくらの場合、瞬木ほど極端ではなかった。内側に閉じこもる原因に、他人の悪意は関係なかった。どこまでも純粋に圧し掛かる両親の期待と、それに応えたいさくらの幼さ、またそれが自身の望みだと思い込める頑なさが拗れてしまっただけだった。だから、きっかけが外部からの働き掛けにあったとしても、さくらの心構えひとつでいつでも飛び出せたはずの世界が、今。
 けれど瞬木の場合は勝手が違うのだろう。彼は外部との関わりの内に歪んで行った。守らなければならない小さな二つの温もりの為に、熱を奪われて冷えていく役目を背負った。どうにも面倒くさい、さくらよりずっと強固な頑なさでようやく作り上げた城の中から一向に出てこようとしないのだ。外の世界は悪意に満ちているからと、油断することなく警戒の目を走らせている。

「短くても、みんな色々あったでしょ。だけどあんた、初めからいい子ちゃんやっててそこから一歩も動いてないじゃん」
「いい子ちゃん、ねえ」
「そろそろ芝居じみてるわ」
「いいよ。お節介な人間ほど騙しやすいんだから」
「あーあ、キャプテン可哀想」
「おれはキャプテンのことだとは言ってないけど?」
「他に誰かいるの?」
「わかってるなら、放っておいてくれないか」

 背けられた顔に、さくらは奥歯を噛んで不快を示す。どうもこの瞬木は演じる癖に極める気はないようだ。あっさりと素の不遜な態度が顔を出す。
 ――へたくそ!
 言わないけれど、暴言。角を立てたくないくせに、だから拒絶ではなく浮遊と流浪が好ましいのか。確かに辺りを見渡して瞬木の内側に干渉しようとして彼を苛立たせるお節介はこのチームにはひとりくらいしか思い浮かばなくて、そんな彼の周囲には大勢の人がいる。彼によく似た、同じ道を突き進む幼馴染だとか、一歩引いて道を示す先輩だとか、しれっと隣を歩いてなんやかんやと息の合う同級生だとか、他にも大勢。

「分が悪いんじゃないの?」

 さくらの親切な忠告は、瞬木に睨まれて、拒まれて終わった。心まで読めないだろうに、何を言われたかわかってしまう時点で危機感はあるのだろう。結果に対してではなく、直面する衝突それ自体に。
 効果はないだろうけれど、もしも天馬がさくらの前で瞬木に駆け寄ろうとしたそのときは。「そうっとしておいてあげようよ」くらい言ってあげてもいい。まあ、やっぱり、確実に。何の効果はないだろうけれども。



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弱者が居なくちゃ困る人間だっているじゃない。
Title by『告別』





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