豪炎寺の手元には、厚意によって手渡され、ついぞ開くことがなかったアルバムがあった。サッカーの大会であったり、その仲間たちとの集まりであったり学校行事であったり。自分でカメラを持ち歩いて思い出を保存することに心を砕かなかった豪炎寺の過去の軌跡はいつも彼の胸の中と、同じ経験を共有した仲間との会話の端々、それから彼の意図しない場所で思い出を写真に収めていた誰かからのお裾分けによって保持されていた。特に中学の卒業式に夏未からアルバムを手渡されたときは流石に驚いて、そこまでしてもらわなくとも大切な時間を忘れたりはしないと受け取ることを遠慮しそうになった。けれど夏未は別に貴方にだけ特別にこさえたわけではないからと、半ば強引にそのアルバムを豪炎寺に押し付けて去っていった。その特別の否定が、探るまでもない嘘であったことは背をむける際に赤くなっていた夏未の耳を見ればわかることで、しかし豪炎寺は礼を言うこともなく、お節介と不満を抱くほど重たくも感じないままそのアルバムを自室のクローゼットにしまってしまった。思い出話なら、写真など見なくても募る話はいくらでもあるはずで、豪炎寺は自身の口数の少なさを自覚しているし、積極的にアルバムなんて持ち出して過去を振り返るのはきっと自分以外の誰かの役目だろうと思っていた。実際、高校に進学してからの相変わらずサッカーを中心とした生活を構成する面子は中学時代と大差なく、思い出話はどうせ数か月後には同じ舞台に飛び込んでくるはずの後輩たちと顔を合わせたときくらいにしか花を咲かせなかった。
 その頃の豪炎寺と夏未の関係は、周囲から見ている限り友だち以上恋人未満といったところで、男女間の友情の有無はさておき隣に並んでいると妙な安心感を周囲に与えてくれる、お似合いと勝手に括られている状態だった。当人たちは過去から現在にかけて何ら変化を迎えておらず、どうしてかそれは高校生活の間も変わることはないのだろうなと、豪炎寺の方は周囲からの評判をしっかりと聞き及んで、それでいて黙殺することを決めていた。一対の男女に付き纏う下世話な評を自ら言葉にして、当事者がもう片方の当事者に持ちかけるなんてとんでもない。少なくとも豪炎寺はそう思っていた。もしくは単純に夏未の反応が窺い知れずに逃げていただけなのかもしれない。そんなことを、全て通り過ぎた後の未来の彼は他人事のように嗤ってみせるのだ。

「もう少し、過去を大事にしたっていいんじゃないかしら」
「―――?」
「未来ばかり見据えることが前向きとは限らないと思うわ」
「……そうだな」
「適当な返事してまったくもう、」
「怒ってるのか」
「無神経よ」

 こんな、まるで重要性を感じられない会話を交わしたのは高校三年生になったばかりの頃、進路指導室でのことだった。夏休みまでは進路のことなど真剣に考える必要はないと捉えている同級生が大半のなか、朧気にこの先に進路へのイメージがある二人は偶々暇を持て余した放課後に大学の資料を何の気なしに眺めていた。
 どうせ豪炎寺はサッカーを最優先することが決まっていたも同然で、夏未も父の仕事の手伝いを大前提に未来を見ていた。生真面目なふりをして、真剣さを欠いた放課後だった。
 夏未の言葉は、未来を探れば過去を起点にしてしまうことによる思い出話の始まりだと思った。具体的な出来事が語られることはなく、抽象的な直線を描いて進行方向を明かすことだけが大切ではないと彼女は言った。その意味を豪炎寺は測りあぐねて、ただそれは違うと確固たる否定的な印象も持たなかったから同意の返事を送った。その直前の沈黙が、豪炎寺のいい加減さを夏未に示したようで、彼女は形の整った眉の尻を上げて彼の言葉を叩いた。見慣れた、凛とした芯の表れでもある、付き合いのない人間からは怒っているのかと疑われる夏未の表情に怯むことができなかったから、豪炎寺の言葉は時々無神経になって見当違いに彼女の不興を買う。それが親しさ故であることを当人たちが知っていて、だからきっと第三者に修正の手助けをして貰えるような、決定的な亀裂を生むこともなく時間ばかりを無為に消費していた。
 ふとした瞬間に、中学の卒業式の日夏未から押し付けられたアルバムの存在を思い出すことはあった。けれどそれは自室にいるときではなくて大抵近くに夏未の顔を見つけたときで、かつ一瞬のこと。手に取ることはなく、ただあの日受け取った特別だけが豪炎寺の胸に消えそうで消えない火として燻り続けている。
 高校の卒業式の日、豪炎寺は夏未と言葉すら交わす暇がなかったことを覚えている。

「ねえ豪炎寺君、アルバムあげたの覚えてる?」

 咄嗟に何のことを言っているのかわからなかった。大学の食堂で向かい合わせに座り、次の講義で使用するレジュメに目を落としながらの言葉に、豪炎寺は交わらない視線をぼんやりと送り続け、数秒の間の後に「卒業式のか」と答えた。
 夏未は豪炎寺が覚えているとは予想外だったようで、顔を上げて「驚いたわ」と正直な感想を口にした。それから「けれど中身は見ていないのでしょう?」と、思わず豪炎寺が言葉に詰まってしまう真実を容赦なく言い当てた。

「惰性で持っているだけなら捨ててちょうだい」
「――何故」
「思い出を放置されるというのはなかなか気持ちのいいものではないわ」
「アルバムなんて誰だってたまにしか開かないだろう」
「違うわ。あれはただのアルバムじゃないの。写真を張っただけの冊子じゃないのよ」
「………?」
「あれは私の大切な――貴方への想いを詰めた恋心そのものだったのよ」
「――は、」
「まあ、昔の話だけれど。だから、もし大掃除でもして手に取る機会があればさっさと捨てて貰えると嬉しいわ」
「いいのか」
「貴方は本当に時々驚くほど無神経ね」

 思いも寄らない過去からの告白は、嘗ては眉を顰めていた豪炎寺の無神経さに対してまるで彼自体が過去であると言わんばかりに微笑む夏未の口元に添えられた左手の薬指に嵌まっているシルバーのリングに一瞬で脳を冷まされた。気楽に付き合えるという理由で、夏未はパートナーを選ばない。豪炎寺もきっと、そんなことはわかりきっていた。だからいつまでも、示し合わせるでもなくそれぞれが歩く道の延長で連れ立って来たのだろう。何も背負わない、それが二人の基本的な在り方だった。ただ、夏未はきっとそこから一度動こうとした。それがあの中学の卒業式の日で、豪炎寺は気付かず彼女の想いを無碍にした。ひどいことをしたものだと我ながら呆れてしまう。
 幼い頃の恋心の名残を捨ててくれと夏未は言った。いいのかと問い、その返事は貰えなかったけれど、きっと構わないと彼女は本気で思っている。けれども。
 ――よくないな、これは。
 今更になって手放したくないと思い始めた我儘に、豪炎寺は精一杯蓋をしようとする。あの遠い過去の日から続く平行線の行き先を、現在のこの瞬間から遠く離れ離れになっていく。或いは、以前からずっと二人は別々の方向を向いていたのかもしれないけれど。

『俺はお前が好きだよ』

 そんなことを今更と知りながら打ち明ければ、未来の二人の距離はどうなるか。きっと碌でもないことだ。相手のいる女性に想いを寄せるということは。けれどそれが夏未であるならば、過去も現在も未来も心の片隅を彼女に浸食されたまま生きて行くことも決して不幸なことではないと、彼女の清算の言葉を顧みない無神経さのまま豪炎寺は思った。



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過去も現在も未来もお前に食い尽くされてしまうなら幸せだろうよ
Title by『告別』






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