「お手をどうぞ、お嬢様」

 どこかで聞いた事などある筈もない台詞。だけどおとぎの国ならば溢れているのではないかしらと思える台詞。だけどそんな国は世界中のどこを探してもありはしないと諦めている私は、夢が無いのか可愛げが無いのか。あるいはそのどちらもか。
 風丸先輩とのデートは凄く嬉しい。普段は部活で忙しいから放課後デートなんて出来ないし、休日も部活で真面目な彼は自主練を組んだりしてあまり丸一日オフということは珍しいから。しかも風丸先輩から今度の休日暇だったら一緒に出掛けないかだなんて、次はいつ聞けるかも知れない台詞。ああ、本当に録音しておけば良かった。
 やって来たのは遊園地。近場で、しかも割引の入場券を貰った風丸先輩がここにしようと言ったから。最初は凄く嬉しくて、もう中学生なのに、彼氏の前でマスコットの着ぐるみにはしゃいで風船を貰ってしまったりもしたけれど。今となってはちょっと不満。だって風丸先輩は今日一度も私に触れてくれない。手だって、宙ぶらりんのままで、片方は風船の紐を握りしめている。
 期待する方が浅ましいと言われてしまえばそうかもしれないけれど、でも私は期待をしていたんですと言い張る外あるまい。だって私と風丸先輩は付き合っていて、今日は久しぶりのデートで、休日ということもあってやたらと混雑している遊園地に来ているとなればそれなりの期待は自ずと内側から湧き上がって来るものだ。がっ付き過ぎなのかと自己嫌悪一歩手前までやって来た思考を必死に振り払う。だって今日は楽しいに決まっているデートなんだもの。

「音無…?具合悪いのか?」
「いいえ!全然!すこぶる体調良好です!」
「そ…そうか、なら良いんだが」

 不自然なくらい元気をアピールする音無の挙動は、実は先程から明らかに可笑しかったりする。言動というより表情がころころ変わる。見ていて面白い部分もあるのだが、その表情にありありと浮かぶ影を帯びた表情を見つけてしまっては面白がっている場合ではない。退屈そうな印象は受けないが、どうにも浮かない様子の音無の左手が握っている風船が視界に映り込む。
入園すると同時に駆け出した音無は、入口付近にいたマスコットから手渡された風船を嬉しそうに握りながら戻って来た。確かそれは小学生以下じゃないと貰えない筈だったのだが、こんなに顔を輝かせた女の子が近寄ってきたらマスコットの中の人間もあげない訳にはいかなかったのだろう。俺はこっそりマスコットに小さく頭を下げてその場から音無と離れた。
 それから暫く一緒に歩いていて思ったのだが、この風船、何だか凄く邪魔な気がする。アトラクションに乗る際に邪魔という面もあるが、それ以上に音無の片手を塞いでしまっているというのが非常に俺としては腹立たしかった。これだと、空いている方の音無の手を繋いでしまうと、彼女の行動が圧倒的に制限されて迷惑になってしまうような気がしてどうも手を繋ぎ倦ねてしまう。
 彼女はただでさえ興味のもったもの、視界に入り込んだものに迷わず走り出すようなお転婆な一面がある。両手を塞ぐなんて、危険極まりないだろう。結果として、行くあてのない俺の両手は上着の両ポケットに大人しく収まっているのである。タイミングを完全に逃してしまった俺の両手は今だって音無の片手を独占している元凶の風船を忌々しく思っている訳だ。
 久しぶりのデート、二人きりの時間に自分だけが妙に張り切ってしまっているようで、段々恥ずかしくなって来てしまうが、だって好きだから仕方がないと開き直ることにしている。

「そろそろお昼だな、」
「そうですね…お店が混む前に食べに行きますか?」
「ああ、そうしようか」

 こうした時ですら、風丸先輩は穏やかに微笑みながら私を促すだけだから、私も大人しく従うしか出来ない。喧嘩もしてないのに、こんなに近くにいるのにどうして物足りないなんて思ってしまうのだろう。欲張りは良くない。だけど、風丸先輩ならきっと私を駄目にしないラインで私を甘やかしてくれるってもう知ってしまっているから余計にいけないのかもしれない。
 手を、繋ぎたいですと、もういっそのこと言葉にしてしまえばいいのかもしれない。別に恥ずかしい言葉では無いだろう。何度でも言うけれど、私達は、恋人同士なのだから。

「なあ、音無」
「風丸先輩!私、風丸先輩にお願いが!」
「何だ?」
「…いえ、…風丸先輩お先にどうぞ」

 見事に被った言葉の口火は私の空回りしたような空気が何だか居た堪れない。風丸先輩は特に気にしていないみたいだけど、私はやっぱり恥ずかしい。女の子なのに、好きな男の子より勢いよく喋るなんて落ち着きが足りない。これは今後の私の課題の一つとして心に刻んでおこう。
 思考が聊か脱線したが直ぐに風丸先輩の言葉を待つ。風丸先輩は一瞬言い淀んだようにも見えたが直ぐに私を見つめて手を伸ばして口を開いた。

「その風船、俺にくれないか?」
「…へ?」
「勿論、後で返すよ」
「ああ、はい、どうぞ…」

 訳も分からず手にしていた風船を風丸先輩に渡す。受け取った風丸先輩は風船の紐を右腕の手首に巻いて結んでいる。何故そんなことをするのか分からなくて、ただじっと風丸先輩を見ていた。作業を終えて私の視線に気付いた風丸先輩は、風船を巻いた方とは逆の手を、先程の様に差し出しながら微笑んだ。

「お手をどうぞ、お嬢様?」
「!」

 少し気恥ずかしそうに添えられた言葉と、この数時間頭を悩まし続けた苦悩への最良の結果。「はい!」と元気良く答えて風丸先輩の手を握る。優しく包み返された彼の左手は温かくて大きい。私の大好きな、私だけを包んでくれる手だ。
 やっぱりご飯はもう少し後でもいいかもしれない。二時間待ちのアトラクションの列にだって喜んで並んであげたいくらい、今の私と風丸先輩は幸せなのだから。


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あなたとマーチ
Title by『にやり』




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