沈黙を苦手としている訳ではない。しかし自分の未だ短い人生の記憶を振り返ってみると、女子と二人きりの状況で沈黙を用意されたことなど一度たりともなかった。自分に告白する女子が目の前で緊張しているのか鯉のように口をぱくぱくさせていたことなら何度かあったが。だがそれならば全く問題なかった。にっこり笑って告白なら迷惑だからとばっさり切り捨てれば良かったのだから。 びっしょりと濡れた左肩に意識を傾けながら思う。 こうして同方向に向かって歩いている今ですら自分の気持ちは一方通行でしかないのだろうと。隣を歩く冬花の視線はずっと前。一度たりともミストレの方へは向けられない。 今、ミストレと冬花は俗にいう相合い傘をしながら並んで歩いている。当然、傘は男であるミストレが持っている。普段から鍛えているから腕の疲労に苦しむこともないのだが、空中で傘を固定して持つのは案外面倒なのだと、ミストレは生まれて初めて知った。 傘は冬花のものだった。折り畳みの、淡い水色の傘。飾り気のないそれを広げた瞬間、ミストレは訳もなく冬花らしいと思った。言葉にすると、それは貴方の勝手なイメージでしょうと手厳しく叩き落とされそうな気がしたから黙っていたけれど。 十数分前、ミストレは突然の土砂降りを前にして、雨宿りの為にコンビニの軒先で立ち尽くしていた。偶然店内から買い物を終えた冬花が出てきて彼に気付くも、そのまま軽く会釈をして過ぎ去ろうとしたのを慌てて引き留めた。心底興味が無さそうに何か、と尋ねる冬花の素っ気なさにも既にミストレは慣れ始めていた。しかし諦めてはいない。これは意地なのだと、ミストレはいつも自分に言い聞かせて、冬花を想い続ける自分を鼓舞している。 傘がないと呟いたミストレに、冬花は冷静にこのコンビニで買えば良いと切り返す。財布を持っていないと言えば彼女はさも不愉快だと言いたげな空気を纏う。 「世の中の女の子が、全員が全員貴方に物を恵んでくれる訳じゃないでしょう、ミストレーネ君」 雨で徐々に下がり始めていた気温が、一気に下がったような気がした。 冬花は、ミストレへのちょっとした嫌悪を吐き出す時、彼をミストレーネ君と呼ぶ。普段、表情を一切変えずにさらりと毒を吐く癖のある冬花の、このあからさまな悪態はなかなかにミストレを打ちのめしている。 そして冬花自身は何事もなかったように鞄から折り畳み傘を取り出す。暗くなる前に帰ってね、とまた会釈をして去ろうとする冬花に決死の覚悟で食い下がり、今ミストレは自分が好意を寄せる女の子と相合い傘をして歩いているのである。傘に入れてと頼んだ時の、冬花の不快を隠さない顔を、ミストレはきっと一生忘れないだろう。 女子にあんな嫌そうな顔をされたのは初めてだ。この思考回路が冬花に邪険に扱われる第一要因だとは、ミストレは未だに気付かない。 それでも、狭い折り畳み傘の下、冬花が濡れないようにと彼女側に傘を寄せて自分の肩を濡らしたりして。冬花のペースを乱さないようにと慣れないスローペースで歩く自分がいることに、ミストレは気付いていて、戸惑っている。冬花への好意を自覚しながら、それによって確実に変化していく自分自身を、ミストレはここ最近ずっと持て余している。 「ミストレ君」 「…んー?」 「……何でもありません」 「…そ、」 冬花はきっと気付いている。らしくもなく女の子を気遣ってミストレの肩がびしょ濡れなことも、慣れないペースにミストレが歩き難いと感じていることも。しかしその根底にあるミストレが冬花に向けている好意には気付いていないのだろう。 それでも、冬花はミストレへの礼を飲み込んだ。理由は、彼が男の子だから。目に見えない優しさと少しの見栄は、最後まで見ないフリをする。 だから、代わりにせめてこれ以上ミストレが濡れないようにと彼の方に寄れば途端に動揺した気配が伝わって来た。 「…どうかした?」 「別に」 「前を見て歩かないと転んじゃうよ」 「……そんなドジじゃない」 冬花から顔を背けるようにして歩くミストレに、一応の忠言。まさか彼が、突然の自分からの接近に赤くなった顔を隠そうとしているとは、冬花は全く思わない。 ――全く以てフェアじゃない。 自分ばかりが冬花の一挙一動に振り回されている気がして、実際その通りでなかなか顔の熱が引かない。ずぶ濡れの左肩はもう冷えきっているのに、赤いままの顔だとか今にも触れそうな肩や傘を持つ右手だとか。そんな冬花に近ければ近いほどミストレのそれらの箇所は熱を帯びて全く冷めないのだ。 落ち着かない。慣れない気遣いも、沈黙も、近過ぎる冬花の温度も。 だからこの帰り道が早く終わって欲しくて、だけどずっと続いても欲しくて。むず痒い気持ちとアンバランスな熱を誤魔化すように、ミストレは傘を強く握り直した。 ――――――――――― それでも僕は好きだからね Title by『告別』 |