御伽噺に寄り添うように、夢見心地が支配していた。赤らむ頬の熱が触れずともわかる。性分だから、焦ったりしないで欲しい。素顔を晒すことに募る羞恥心を打ち消すための薄化粧は、年相応からはみ出さないでいれば心許なく、かといって昔のように仮面ほど分厚くは塗りたくれない。度が過ぎれば、可愛くないのでしょう。友人たちから度が過ぎると称される由紀の恥じらいと比例するように、夏彦の口下手が行き過ぎているから、すれ違うくらいならば停滞してしまえばいいと思う。それはあくまで由紀の一存であって、不器用ながらに、たどたどしくとも一歩ずつ自分との距離を縮めようとする夏彦の望みを正確に汲み取ることはできない。彼に好かれているという自負を卑屈にならずに確信できるようになることだって由紀には重労働だ。今だって些細なきっかけで夏彦の睨むような視線を嫌悪と捉えないでいる自信がない。熟年夫婦のような疎通を図るにはまだまだ過ごした時間も交わした言葉も足りていない。
 初デートだねと、お日さま園の由紀を甘やかしてくれる女の子たちは湧き上がっていた。相手に若干の不安を覚えても、由紀がはっきりと夏彦を意中の相手と打ち明けたその日から、彼女たちは頼もしい味方となった。服装もメイクも面倒を見て貰わなければいつまで経っても準備が終わらない。そのままの貴方で充分よと有り触れた、心底から発せられた励ましは恋する乙女には役立たなかった。会話術なんて今更身につく技術でもないから、不安は最後まで拭えない。
 そもそも勝手にデートと称していいものかすら由紀には不安になってくる。誘いの声を掛けてくれたのは夏彦からで、大抵友だちと行動する由紀がひとりきりになるタイミングを見計らうのに二日かかったと杏からの情報で聞いている。それはつまり、夏彦が気になっている公開したての映画を観て帰って来るだけの単調な道の往復だとしても彼は相手を由紀と選んで決めていたということだ。誰でも良くて、偶々通りかかった自分を捕まえたわけではないのだと。同じ玄関から行ってきますと言葉を残してから始まるデートなんて漫画やドラマでもなかなか見つけられなくて参考にはならなかった。
 手を繋ぐなんてできないから、由紀は夏彦に置いて行かれないように集中することに必死だった。人混みの中、真っ直ぐ前を向いて歩くことは苦手で、喧騒にかき消されない声量で夏彦の名前を呼ぶこともきっと無理。もう少しだけゆっくり歩いてくれたら、そんな由紀の心の声は届かないまま逸る気持ちを抱えてどうにかはぐれることなく目的地の映画館まで辿り着いた。サッカーで鍛えた身体能力は、気を張っていると途端に疲労を募らせるらしく、足を止めて、ほっと吐き出した息には大袈裟な程の安堵が滲んでいた。

「チケット買ってくるから」
「え、えっと、お金」
「いい。誘ったのこっちだし、奢る」
「で、でも…!」

 由紀に財布を取り出す隙など与えずに、夏彦はさっさとチケット売り場に向かってしまう。上手く主張できなかった言葉が脳内でぐるぐると後悔を引き連れて回る。ずっと同じ場所に立ち尽くしているわけにも行かず、結局チケット売り場まで歩いていく。夏彦を待つ場所を定めてから、どうせなら何か飲み物でも買っておけば良かったと、さも此方が最善だったのではという候補が浮かぶ。けれど相手の詳しい好みもわからず、かといって自分の分だけを購入するのも意地が悪い。どうせ夏彦が戻るまで待つしかできないのだと場にそぐわない寂しさを抱えながらじっと彼を見つめながら立っている。どうしてもっと、思う通りに動けないのか、喋れないのか、私の身体、私の唇。それなのに、由紀の全身が夏彦を前にすると普段の倍以上の制限を受けたかのようにぎこちなくなってしまう。その不自然をどうか悪い方に解釈されないよう、由紀は祈るしかないのだ。
 わからないことだらけの初デートに、館内に入ってしまえば動き回る必要のない映画館を選んだことは由紀にとっても夏彦にとっても幸いなことと言えた。由紀は自分ばかりが未熟だと気に病んでいるが、夏彦も彼なりに自身の不甲斐なさを彼女限定で嘆いてばかりいる。気の強い相手ならば女子でも無遠慮に振舞えるが、粗野な言動に怯える少女が自分の身近にいて、しかもそんな相手に恋をするなんて夏彦とて思ってもみないことだったのだから。
 アームレストに手を乗せるような座り方を由紀はしないので、暗がりの中手を握り合ってときめくだなんてそんなイベントも起こらない。いくら好きな子を隣にしても、観たかった映画であることに変わりはなく、ついうっかり全力で楽しんでしまった夏彦に落ち度はない。尤も、彼の近しい友人たちがこの現場を監視していたら腑抜けだの、暴言を吐かれることは免れなかっただろう。
 夏彦の隣にいるだけで胸がいっぱいになってしまう由紀だから、不満らしい不満なんて浮かばない。帰り道の往来が行きよりも通行人が疎らで気を張らないで済むことに機嫌を良くしたくらいだ。帰りたくないなんて、まだそんなことは考えすら過ぎらない。与えられた機会を無難に乗り越えることにのみ意識が向いてしまう、不器用な距離感。

「――あ、」

 落ち着いていた気持ちは、夏彦が漏らした声に即座にぎくりと背筋を凍らせる。何か粗相をと直ぐに我が身を省みる姿勢は謙虚だろうか。しかしその答えを相手に照らして求めるよりも、夏彦の視線を辿って由紀も同じように小さく声を漏らしていた。
 立ち止まったのは、電器屋の店頭に設置された数台のテレビの前。こぞって同じ番組を映す最新の液晶に映し出されているのは、夏彦も、由紀もかつてサッカーで一戦交えたことのある円堂守率いるイナズマジャパンの快進撃を伝えるニュースだった。今頃ライオコット島で、FFIを勝ち進みながら四六時中サッカーに明け暮れているのだろう。お日さま園からもヒロトが選抜されているから、他人事と傍観するには近く、我が事のようにのめり込むにはヒロトとさほど親しくなかった。けれど関心は、正直知り合いが映るかもという野次馬精神から発揮されているわけではない。
 画面に映るサッカーボールを、どうしてか由紀は無性に恋しく思った。ボールならば躊躇わずに蹴れる。誰が相手でも、勝利の為に最善の相手を見つけ駆けあがりパスができる。夏彦にだって、それができる。取り繕う余力もなく、ありのままの自分でぶつかっていける。
 そんな期待を持ってボールを蹴ることは打算であり、大人に縛られることのない自由なサッカーを得た自分たちから最も遠ざけておくべき感情なのかもしれない。けれど、大切な人を大切と打ち明ける手段として用いることは。心を通わせる為にパスを繋ぐことは、決して間違っていないのだと思いたい。

「――夏彦君、今度…一緒にサッカー、しよう?」

 震える声で、もしかしたら今日初めてかもしれない、由紀からの夏彦への言葉。震えてはいたけれど、消え入ることはないはっきりとした声量に、夏彦は一瞬驚いたようにバンダナで見えにくい瞳を見開いた。
 それから。

「俺も、丁度そう言おうと思ってた」

 その言葉に、由紀は今日一番の笑顔を夏彦の前で浮かべた。



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Title by『魔女』





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