初めまして、こんにちは。貴方に会うのは実の所初めてではないのだけれど、どうやら覚えていないようですから私も初対面を装って礼儀正しく好印象を与えられるよう小賢しく立ち回ってみようと思うのです。
 ――なーんてね!
 次の講義まで三十分、突然の休講に直前までの気合いをどうしてくれると肩を落としていた黄名子の意識はもうそんなこと気にしてなどいなかった。大学の図書館に入館するに必要な学生証を忘れてしまったかと入り口前で慌てていた彼女に落し物だと顔写真入りのそれを生真面目な顔で差し出してくれた青年の姿をじっと見つめている。どこで落としたのか、しかし息を切らしてわざわざ追い駆けてきてくれた所を見るとここまで歩いてくる途中のことだったのだろう。偶然後ろを歩いて、その落下に気が付いてしまったばっかりに、その場で直ぐ声を掛けることができなかったばっかりに。見るからにスポーツマンという風貌をしていないにも関わらず、律儀に学生証を届けてくれた。息が上がっている姿が、新鮮だった。自分だったら、少し走ったくらいでは息が上がったりはしないのにと、苦笑する気持ちと感謝の気持ち、そして何より再会を喜びたい感激の抑圧、全てないまぜにして、黄名子は短くお礼を言うことしかできなかった。
 アスレイ・ルーンと顔を合わせるのは、嘗て未来の息子を守る為に過去と未来を行き来した中学生以来のことだった。将来黄名子は自分の妻になるのだと言ったアスレイと、ついさっき顔を合わせたアスレイとでは当然年齢に開きがあり、若さに満ちた姿ではあった。けれど、黄名子の記憶にあるいつの日かのアスレイよりも、どこか窮屈な印象を湛えてもいた。親切を受けた身でありながら、そんな仏頂面では怒っているのかと思ってしまうではないかと進言してしまいたいほどに。

「――ありがとう」
「いや。私も丁度図書館に用があったので」

 会話はこれだけ。もう一度頭を下げて、黄名子はアスレイに先に道を譲った。名乗り合うこともなかった。黄名子の礼は感謝の意を込めたものであったが、アスレイは別れの意を込めて小さく頭を下げるとさっさと図書館に入ってしまった。見失うまで、その背中をぼんやりと見つめていた。
 未来の情報を受け取ってしまった黄名子は、特に意固地になることもなく、なるようになるという体で人生を謳歌してきた。幼少時のおぼろげな想像の中で描く人生の予想図よりは、どうやら短くして終わってしまう、そんなルートを歩んだ、アスレイの知る彼女自身に出会うかどうか。確率の問題ではなく、あまりに気配がなかったから、黄名子は時々惑ってしまった。あの、特殊な経験を契機に黄名子は自分がサッカーに入れ込む熱が上がったことは自覚していて、ひとりボールを蹴る回数も増えていた。それが歴史への干渉となって働き、もしや自分はアスレイとすれ違ってしまっているのではと疑った。知っているからといって、その通りを目指さなくてもいいのかもしれない。しかし不思議と、黄名子はアスレイとの再会を望む気持ちを育てていた。フェイを産みたいと小さな身体に不相応な大きな希望と願いを抱えて生きていた。目的を抱えて、出会いを手段とすることは打算だろうか、何も知らないこの時代のアスレイからすればとんでもない無粋な接近を果たそうとしているのではないか。悩むことは、未来を知るが故に尽きることはないけれど。その、望みもしない情報を突然現れて寄越したのは彼の方なのだから、彼を乞う気持ちに偽りさえなければ、どうか許して欲しいとも同時に思う。
 いつまでも立ち尽くしているわけにもいかず、黄名子も図書館に入る。何度も使用した場所で、黄名子はきょろきょろと明らかに何かを探していますという動きを見せた。一度、カウンターの司書と目が合ってしまい、勘違いされないように慌てて移動した。探しているのは、司書の助けを必要とする蔵書ではないから。広い館内を歩き回る。アスレイは学習スペースで数冊の本を机の上に積んで何やら熱心に読書に勤しんでいた。課題に使う資料だろうかと配架スペースを確認すれば辺りには政治関連の本が並ぶ本棚が立っていた。成程、未来のエルドラド幹部、エリートとも呼べる道を行く彼だから、学生の内から勉強には余念がなかったに違いない。黄名子にはどうにも興味の湧かない部類の話だ。
 だからこそ純粋に、アスレイと自分がどう出会い惹かれあって結婚するに至ったのか不思議で仕方がなかった。流石に細部まで情報を聞き出すのは彼女自身の時間が色褪せてしまうから遠慮した。話の本題があくまで息子の方にあったことも理由のひとつ。アスレイと結ばれて、フェイを身籠って、既に他界した自身は彼のどこを好きになったのか聞いてみたい。結局は黄名子自身のことでしかないとはわかっていても。
 話し掛ける切欠も話題もない以上、しつこく迫って不審に思われる方が都合が悪い。黄名子はアスレイの背中が見える位置に陣取って、椅子に腰を下ろした。不躾な視線を送り続けても気付かないアスレイは、目の前に置いた本にどこまでも集中している。視野と柔軟性には、この頃から難ありというのは大袈裟か。間違いは誰にでもあるもので、ただ誰を巻き込んで、何を犠牲にしてしまうかで付き纏う後悔の念に強弱が生じるだけ。彼の場合、その後悔がどこまでも深く、強かった。今の黄名子にはまだ身に迫らない情だけれど、いつかアスレイを愛する自分のことであるから、力になってあげられてよかったと思っている。勿論、息子を守れたという事実にも満足している。
 カモフラージュの本も持たずに、黄名子はずっとアスレイの背中を見ている。彼は気付かない。退屈に足ぶらぶらと揺らす。頬杖をついて、唇で名前を呼んでみる。初対面なのに、まるで恋をしているみたいな仕草。
 ――うちみたいな女の子のこと、好きかなあ。
 アスレイの女性の好みを想像してみる。尋ねても、お堅い人だろうから、答えて貰えるかどうか。そもそも次の再会をどう実現させようか。考えながら、黄名子は一度でいいから、彼が顔を上げてくれないかなと唇を尖らせる。位置関係上、目が合うことはないけれど。未来の妻がこんなに熱い視線を送っているというのに彼ときたら政治の本に夢中だなんて面白くないだろう。
 アスレイが満足して本を戻し、図書館を出る姿を見送るまで、黄名子はとっくに次の講義に遅刻しているということに気付かなかった。その代わり、同じタイミングで館外に出たことでまたアスレイと顔を合わせ自己紹介にまで漕ぎ着けることができたのだから、同じ講義を取っている友人にノートを見せてと頭を下げることくらい、今の黄名子にはどうということはなかった。



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愛は、あのたたかいは、今どうしていますか
Title by『ダボスへ』




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