コレの続き


 ほんの少しだけ、期待している。あの、名前しか知らない少女が手に抱えているピンクのカメラが自分に向けられること。敵チームだから、無理かなだとか。そもそもどうしてマネージャーがカメラを持ち歩いているのかだとか。見慣れた風景の中にはいない少女を探し当てる手間を貴志部は計上しない。一度もかち合わない視線が、もしかしたら先日の邂逅は彼女の中ではとりとめのないこととして流れ去ってしまったのかもしれないと不安を訴える。何故不安なのか、それはわからない。
 貴志部のお使いの成果なのか、雷門と木戸川清修で練習試合を行う為に、申し込んだ木戸川の方が雷門へ足を伸ばしていた。荷物を置くための、サッカー棟の一室へ案内をしてくれたのは先日貴志部を棟内に招き入れてくれた山菜茜ではなく青い髪をした快活な雰囲気が漂う少女だった。途中、神童からキャプテンを引き継いだという一年の松風天馬から「葵――!」と大声で名前を呼ばれていたことから少女の名前は知れた。あの時も、こんな風に偶然の副産物として拾えていればよかったのに。わざわざ疑問を言葉にして、ライバル意識さえ抱いている相手――神童拓人に初対面に等しいマネージャーの名前を尋ねるという行為は貴志部にはなかなかどうして難関であった。疑われないでいる方が難しいだろうとは彼自身思っていて、だけど気になったから、聞いた。案の定、神童は微妙な顔つきをしてから平静に戻り、それでも貴志部の問いには答えてくれた。

「茜―、神童ばっか撮ってないでタオル用意しとけよー?」
「うん、わかった」

 風に運ばれて聞こえてしまう会話が、先程からちくちくと貴志部の胸を苛めている。傷付くには、知らないことばかりのはずで。耳を澄ませば絶えず聞こえていそうなシャッター音が止んで、そうしてからでなければ彼女の視線の先を終えなかった。けれど、彼女を呼んで、注意したまた別のマネージャーの言葉を聞きたくなかったとは確かに思った。
 そう認めてから、少しの邪推。固定された視線と、あの日の微妙な顔つき。神童と茜が向き合って繋がっているのだろうか。似合うか否かは判断しない。自分の周囲を見渡して、異性との付き合いは、思春期の興味と比例しない。打ち込めるものがあればどこまでもそちらを優先できる情熱と、幼さ。貴志部は、恋人が欲しいと思ったことは今の所なかった。だから同じようにサッカーをしている万人が恋人という存在に無関心だとは言い切れないが、神童は同じだと思っていた。それは、強豪校にありがちな、時間に融通が利かないというそれだけの理由。人気者ということは風の噂で知っている。貴志部も周囲の評判が望まない人間を引き寄せてしまうことを常としていたから、益々似ているに違いないという思い込みを募らせていた。
 ――俺より、器用そうではあるかな。
 意固地に逸らしていた視線を、茜が立ち去ったことで走らせる。円を描いてストレッチ中の雷門の面子の中で、神童を見つけるのは容易い。単に一番認識が強いからで、他は番号と顔、どちらかがはっきりしていれば上等だ。それにしても、今日の視界はやけにクリアだ。焦点を神童に合わせて、他はぼやけて、胸に生まれるのは試合前の高揚感とは違う緊張感。無意識にユニフォームの上から左胸を押さえていて、離せばぐしゃりと皺が寄っていた。痛いのは心の臓よりも握り過ぎた右手。

「――貴志部くん」
「………え、」

 ふわり、そんな感覚だった。珍しくない呼び方。貴志部を呼ぶ女の子たちは大抵こう呼ぶ。頬を染めて、僅かに俯いて、時には張りつめた真剣な瞳が向かってくる。けれど今目の前に映した少女の瞳は初対面のときと変わらない。無関心手前の穏やかさ、彼女の外側に置かれ、名前を呼ばれてもその正誤すら問題ではないかのような遠い距離が二人の間に横たわっている。

「えっと、何?」
「何か足りないものがあれば貸せるから、必要な物があればマネージャーに言ってね。三人いるから、誰でも良いよ」
「ああ、ありがとう。今の所はまだ大丈夫」
「そう?」

 仕事の為に姿を消していた茜がいつの間に戻って来たのか、神童を凝視していた貴志部は全く気付かなかった。大事そうに抱えていたカメラは置いてきたのか、今度は両手に白いタオルを持っている。重さはなくても嵩はある。窮屈そうに上目遣いを寄越す茜の口元が穏やかなのは、元来の顔つきなのか、本日の機嫌が偶々そうさせているのだろうか。貴志部は本当に、彼女のことを何も知らない。

「――シン様のこと、ずっと見てたね」
「…シン様?……もしかして神童のこと?」
「そう、シン様のこと。見てたでしょ?」
「――うん。やっぱり、ホーリーロードのリベンジも含めて…色々、まあ、うん」
「ふうん、」

 ただ見ていただけ。けれど辿られていたとは思わなかった。尋ねた茜は、要領を得ない貴志部の返答に追い打ちをかけることもなく、興味も示さず神童を見た。そのまま細められた、幸せを見る眦に貴志部は鮮やかな光を見たような気がした。眩しいもの、茜が神童を見つめる理由は、きっと貴志部が茜を見る為に神童を見ることと似ている。
 茜の手がカメラではなくタオルで塞がっていてくれたことを、貴志部は自覚的に喜んだ。眼前で無視されることは、悲しいに違いない。今は憶測の振りで誤魔化せている気持ちにこれ以上踏み込まない為にも、茜を前にして神童を意識することは辛かった。
 だけど。茜の視線を振り向かせる術を持たない貴志部は彼女の隣で、彼女が見つめる神童を同じように追うだけ。それはそれで虚しいものだ。試合で晴らせるものならば、スタジアムの奇天烈な妨害がない以上全力でお相手願うのだが。

「――貴志部くんは、」
「うん」
「私の名前、呼ばないね」
「え?」
「シン様が言ってた。この間、貴志部くんに私の名前聞かれたけど何かあったのかって」
「……山菜、茜、さん」
「茜でいいよ」
「茜」
「うん」
「この間はありがとう」
「ふふ、どういたしまして」

 茜に貴志部とのやりとりを明かしてしまっている神童の意図が余裕の表れだとしたら癪でしかない。だが、この会話で茜が貴志部を親しみある存在として認識したことは間違いなかった。そして茜と彼女を呼ぶこと、それが、貴志部が神童に対して奪った初めてのリードとなった。



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引力が足りない
Title by『弾丸』





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