※SARU=天馬の子孫




「ねえ天馬、いつか天馬が孕ませる女の子なんて殺しちゃいたいって言ったら、君はもう僕には会ってくれなくなるのかな」

 言葉が含む不穏な空気とは対照的に、天馬を抱き締めるサルは甘く呆けた表情で囁いた。好き、愛してる、抱きたい。憚りなく囁かれる愛は、もしかしたら天馬を麻痺させるための毒だったのかもしれない。悪影響、そう括ってしまうこともきっと可能だ。けれどそれをするには、天馬はサルを交わしたいつかの握手を信じきっていた。あの日契った友情なんて、後から生まれた恋情に千切れてしまったんだよ。サルは天馬の耳元で何度も囁く。
 誰かを愛せる自分を愛する、そんな自己愛の手前だったら引き返せた。少なくとも天馬は何一つ穢れを知らない瞳でしかサルを見つめなかったから、手の引きようがある内はサルも余裕があった。恋をしている、そんな自分を客観的に見つめ、らしくないと諌め、愚かしいと咎め、正しくあろうとする自制の中で息をしていた。それが、どうしようもないよと諦観を抱いたときから何かが壊れ始めてしまった。
 セカンドステージチルドレンの力を手放したから。そんなこと問題ではなかった、この脆弱は。横たわる200年という時間は、大人になれないと言われていた、寿命の上限を掲げていたサルからすればとてつもない膨大なものとして牙をむいた。飛び越えることはできるけれど、着地することはできないのだと知った。社会に溶け込むと決めた日から、法はサルを罰することを可能とした。未来の人間は、不慮の事故でもない限り過去にその人生を定着させることは重罪だった。歴史を改変しようとしたくせに、とは自分たちのやらかした過去も芋づる式に日の当たる場所に晒さなければならないから突けなかった。
 サルが天馬に抱いた恋心を持て余した理由は、時間ばかりが理由ではないのだけれど、最たる理由は言葉にしたくなかった。言霊信仰なんてサルは真剣に捉えていないけれど、誰も触れない天馬の未来を、積極的に口を割って道筋を立ててやる必要はないと思っていた。もしかしたら、違うかもしれないという期待に縋っていたともいえる。

「ねえ天馬、どうする?」
「――サル?」
「天馬がダメって言わないなら、僕のすることは決まってるんだけど」
「え…その…女の子を殺すってこと?ダメに決まってるじゃん!」

 覗き込んだ瞳は困惑と、軽々しい命の拒絶への抵抗が浮かんでいる。それでも、そんな言葉を口にしたサルの腕を振りほどきはしない天馬の甘さを彼は愛している。
 けれどいつか。絶対に訪れるいつかの日に、サルが天馬へ向けた愛は負ける。天馬に向けるだけならば張り合いようのある稚拙な愛情の比較は、天馬から心を貰った瞬間に決着がつく。サルは知っている。天馬はいつの日か、自分ではない女の子を愛するようになる。そして自分と出会うのだ。松風天馬という人間が滅んでも続いた命のバトンが彼に辿り着く日がやってくる。200年という時間を費やして、サルの前に天馬はいない。
 一体どんな女の子なのだろう。髪は短いのか長いのか、笑顔は可愛いのか表情はそっけないのか。もう出会っているのか、これから出会うのか。これまでサルが出会ってきた女の子たちのパーツをばらして頭の中で組み立てても、天馬の隣に寄り添ってぴたりと嵌まる心象の像は出来上がらない。いつだって、粗悪な欠片を混ぜ込んでばらばらに壊してしまう。
 ――君はダメ、君みたいな女の子はダメ、天馬の隣にいちゃダメだよ!絶対にダメだ!
 脳内で鳴り響く狂気の叫びがサルを追い詰めて行く。どうして天馬は男の子なんだろうね、どうして僕は男の子なんだろうね。だけど天馬が好きで好きで好きで好きで好きで好きで――!
 繋ぎ止めたいのはいつだって自分ばかり。たとえ天馬の世界からサリュー・エヴァンという存在が欠落したとしても何の過不足なく時間は流れるということを証明するのは他でもないサル自身だ。未来に希望を持って生きて行く天馬と、過去に執着を抱いているサルとでは何もかもが違う。向かい合うこと自体が奇異なのだ。

「天馬は僕のこと、必要ないのかな」
「……?何でそんなこと言うの?」
「だって天馬は僕よりいつか出会う君が孕ませる女の子の方が大事なんでしょ」
「ねえ、さっきからその…孕ませるって何?サルはその子に何の恨みがあるのさ?」
「何って、僕から天馬を取り上げる恨みだよ。そしてそんな女の血すら継いでいる自分が大嫌いだ」
「――サル?」
「そうだよ、僕は君と他人がよかった。200年越しに今更君の面影を浮かべてもあてつけとしか思えないもの。呪いなんだ、きっと!」

 天馬を突き飛ばして、サルは両手で顔を覆う。初対面のときから、天馬の仲間に似ていると称された自分の顔を、サルは今この瞬間猛烈な憎悪を抱えて剥いでしまいたかった。本気で殺意を抱いた顔も知らぬ女からの呪詛だと罵った。例え夢のような冒険の果てに出会っても、この顔がある限り惹かれあう想いは散るしかないのだと指を差され嗤われているようだった。まだ、天馬の心の欠片も手にしていないどこぞの雌に――!
 力尽く、もしくは心を尽くして天馬を手に入れたとして、それは即ちサル個人の終末であることなど端から知っている。それでも想った健気への仕打ちがこれとはあまりに残酷ではないか。

「――天馬、」
「サル、本当にどうしたの?今日はなんか変だよ」
「天馬、愛してる」
「え――」
「だって僕は、君から生まれたんだもの」

 だから君の一部として、君の代わりに君が出会う誰かを殺したっていいでしょう?
 言葉よりも雄弁に彩られた瞳、その狂気の沼地を覗き見て天馬は喉をひくりと鳴らす。本能が察知した危険信号に背筋が凍る。後退ろうとした、しかし同時にサルに腕を掴まれまた彼の腕の中に逆戻りしてしまう。痛いほどに抱き締められて、天馬は荒げそうになった声を必死に奥歯で噛み殺した。
 愛し方も、繋ぎ止め方も知らず。どこまでも排他的な楽園を築けると信じて疑わなかった幼い皇帝の惑う嗚咽が止むまでは堪えなければならない。それが、天馬が唯一サルに躊躇いなく差し出せる愛情だから。
 いつか自分がサルを悲しませると知りながら今は顔も知らぬ女の子を孕ませるだなんて妄想は、まだ天馬の中に現実味を持たず途切れる。サルが殺すべきなのは、その女の子ではなく天馬自身なのではないかということは言葉にする必要のないことなのだろう。泣き暮れたサルの手が、天馬の首を絞めるその時までは。



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ふたりぼっちの楽園
Title by『告別』




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