取り上げてしまおうと思った。生意気な眼差しが私を責め立てる前に、短気に振り上げられた腕が私を殴りつける前に、労りを知らない暴言が私を打ちのめす前に。その目を抉って、その腕をへし折って、その口を優しく塞いであげられたら、きっとそこで私たちの全部が終わって、そのまま目を閉じて、私は私を守る為に取り上げたはずの貴方の全てを持て余して、放り出して、死んでしまえるのではないかと、そんなことばかりを思っている。

 とても暖かい日だった。それはあくまで暦からすればの話で、今振り返れば結局寒い冬の日の一日だったのかもしれない。コートが鬱陶しく思えるほどの日で、私はできるだけ落ち着いた色のカーディガンを取り出そうと朝から衣装ケースを引っ繰り返さなければならなかった。春物を取り出すにはまだまだ時間があると思っていたし、天気予報は今日の温かさに油断しないでと翌日からの極寒を仄めかしていて、私はこの散らかった部屋の惨状に早速後悔の念を抱き始めていた。一日くらい、我慢すれば良かったのに。けれど取り出したものを畳んで戻すには割いた労力が惜しくて、私は大人しくダークブラウンのカーディガンを羽織ると履き慣れた、ヒールのないパンプスを履いて外に出た。
 待ち合わせはしていたけれど、放っておいてもいいと思っている。会おうと約束はしたけれど、会いたいとは言われなかったから、それならば会わなくてもいいと私は心底信じ込んでいて、もう小さな子どもでもないくせにやりたくないことはやらなくていいと思っていた。不思議なことに、誰かを恋い慕っているときは沢山ああしたいこうしたいと思っていたことが、恋人という枠に相手を捕まえて押し込んだ途端まあ別に焦らなくてもと横着になっていく。典型的な破局を迎えやすい思考回路だと自分でもわかっていて、かといって無理をすればそれだってどうせその内ガタがくるんでしょうと偉そうにふんぞり返っている。救えないよねと恋人に打ち明けて見れば、彼はそうだなとあの人を見下したような笑みで私を肯定してくれた。だけどふとした瞬間に愛おしげに私を見つめる視線を感じると妙に居心地が悪いと感じてしまうのだから、何だか私は片想いのままだなと寂しくなってしまうのだ。
 私の好きになった人は――不動明王君は素直じゃなくて、ひねくれていて、誤解され易くて、遠巻きに見ているだけだと長所なんて挙げられない人だと思う。よく女の子の友だちにそう自分の恋人を説明すると、私だけが彼をわかってあげられるからと私の気持ちを分析する人がいるけれどちっともそんなことはない。長所とか短所とか、私の明王君への気持ちにはあまり関係がない。他の人にどう思われているかも、あまり。
 どちらかといえば、腹立たしさの方が勝っていたと思う。彼はきっと、私と同じ心の中にぽっかりと空いてしまった穴があって、ただ私と違っていたのは、彼はそれを埋められると思っているところ。その辺にある、適当なものを乱雑に詰め込んでおけば満たされると勘違いしている。小さい頃に空いた穴は、純粋な部分の欠落だから、それなりに厳選しないと汚れてしまうだけなのに、馬鹿だなあと思っていた。だけど同時にそうだ、と閃いた。何でも良いんだったら、私が収まっても良いんじゃないかなって思ったの。私の中にある穴に明王君は似合わないけど、そんな自分勝手。絶対に同情ではなくて、だけど恋でしかないとは言い切れない。それでも最終的に受け入れるか拒むかの判断は彼がしたのだから、やっぱり私は悪くないはず。

「暇だね」
「会ってから開口一番に言うことかよ」
「天気のいい日は暇じゃない?」
「俺はお前と違って忙しいんだよ」
「――そう、」

 結局約束を放り出すことはせずに、待ち合わせ時刻より十五分も早く着いたのに明王君はそこに居た。それがひどく私を落胆させる。どうしてか、もう少し彼は私をぞんざいに扱うべきだと思う。優しいだけだと退屈だから。安定した関係を言い表すのに、私は暇という言葉しか浮かばない。悪いことじゃないんだろうけれど、留まるくらいなら多少あぶなっかしい方がいいのではないかしら。
 私と違って忙しいと主張する明王君は、私の自分勝手な思考と言い分を承知していて、憚ることなく面倒くさい女だと呆れてみせる。機嫌が悪いと怒る。私は謝らないし、悪いとも思わない。

「今日はとても暖かいでしょう?帰ったら部屋を掃除しないといけないの」
「何の関係があるんだ?」
「このカーディガンを探すのに、春物の衣装をしまってたケースを引っ繰り返したから」
「ふーん」
「興味がないのね」

 倦怠期みたいな会話は楽しかった。わざと彼の態度に落胆した風に振舞っても明王君は焦らない。厄介だと顔を顰めない。見抜いてしまっているのなら、やはり退屈だ。けれど、私だって明王君の衣装事情なんて興味がないから、同じこと。
 会おうとは言ったものの、それしか取り交わさなかった約束は既に履行されたも同然。とはいえ付きあっている二人が顔を合わせて元気そうだねそれじゃあさようならまた今度とはいかないものだから、私は次の指針を待っている。期待なんてしていないけど、せめてこのカーディガンを取り出したことを無駄にしないような選択肢が良い。直ぐにお店に入っちゃうようじゃあ、勿体ないもの。

「取り敢えず歩くか」
「―――、」
「んだよ、不満ならお前が決めろよ」
「ううん、不満じゃないわ」

 そう、不満なんてない。期待はしていなかったはずだけど、とても嬉しい。その感激の度合いが、私にはいつだって自分を震わさない程度でしかないことが寂しかったりもするけれど嘘は吐いていない。嬉しい、それは本当。
 歩き出す前に明王君が手を差し出したから、私は惚ける悪戯心も持たないままその手を握る。何度か明王君がこの手で私の知らない誰かを殴りつけているのを見たことがある。私はまだ明王君に暴力を振るわれたことはない。恋人と手を繋ぎながら、この手がいつか私を殴るのかと想像することは難しい。私の思考回路は雑然としているけれど、打算で彼に目を向けて始まった関係だけれど、私が自覚し得る恋心はしかと彼に注いでいるものだから、恐らくこれが幸せなのだろうという感情に押し流されてしまう。

「明王君、今日はとても暖かいね」
「…そうだな」
「次会うときはどうかな」
「会ったばかりでもう次の話か。今日のお前話が飛びすぎ」
「そう、そうね」
「もう少し小まめに喋れよ。結論だけ言われても理解追いつかねえ」
「色々考えてるんだけどな」
「だからその考えてることからきちんと話せっつってんだよ」
「………」
「今更だけどな」

 難しいことを言うと思った。そして同時に、それを可能にするだけの時間が私たちの間にあると彼は信じているのだとわかってしまい黙り込む。あまり相手を見抜き過ぎることは好きじゃない。けれど明王君のことだから仕方がないとも思う。私は彼の中にある隙間に入り込んだけれど、私の中にある隙間に彼を入れたのは私自身なのだから。それも、いつの間にかという無意識で。だから憶病なまま私はさも明王君と一定の距離を保って自制可能のように振舞ってみせるのだ。たぶんこんなこと、未だに私なんかの手を取ってくれる明王君はとっくに気付いてる。それはたぶん、幸せなことだ。


 取り上げてしまおうと思った。生意気な眼差しが私を責め立てる前に、短気に振り上げられた腕が私を殴りつける前に、労りを知らない暴言が私を打ちのめす前に。その目を抉って、その腕をへし折って、その口を優しく塞いであげられたら、きっとそこで私たちの全部が終わって、そのまま目を閉じて、私は私を守る為に取り上げたはずの貴方の全てを持て余して、放り出して、死んでしまえるのではないかと、そんなことばかりを思っている。
 思っていたけれど、やっぱり。
 いつか終わってしまうのならば、あのとても暖かかった日のように、手を繋いで、手に余る、はっきりとした輪郭を持たないまま持て余すような幸せな気持ちで、二人で一緒に死んでしまいたいと、そう思っている。



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積み重ねた建前で本音が見えないように
Title by『告別』





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