好きという気持ちを自覚してから変わったこと。剣城の視界に映り込む葵がやけに輝いて見えることが極端な例。無意識に追いかけて、補足して、捕まえた。正直すり抜けてしまうとばかり思っていたから、剣城のぶっきらぼうな告白に顔を真っ赤にしながら頷いた葵に、彼は我が目を疑った。
 世間から見ればまだまだ子どもの剣城でも、同級生の間では平均よりも高い身長や落ち着いた態度、低い声がいつの間にか彼に大人びているという印象を与えてしまっていた。自分の持った能力の中で最大限力を発揮しているだけで、それ以外は何も意識せずいた剣城は時々周囲の認識と自己分析の齟齬に驚かされる。そして心惹かれた少女が、その齟齬の外側ではなくありのままの自分を見ていてくれたことに安堵する。口下手が手伝ってそう何度も口にはできないけれど、剣城は本当に葵のことを大切にしたいと思っていて、その根底の好意をしっかりと胸に抱いていた。
 さて、そんな風に葵のことを好き過ぎる剣城の最近の悩みはというと、付き合い始めてからこれといった障害もなく時間を過ごしていた二人の次の段階へ如何にして進むかということだった。まるで正しい順序が教科書として存在しているかのように理屈をこねてはいるが、簡潔にいえばキスがしたいという、それだけの、それほどのことだ。何せ剣城にとって葵は初めての恋人で、それ以前にまともな恋愛経験を持たない彼には全てが手探り状態だ。それは葵も同様だったけれど、剣城の一丁前な男としての自尊心はできるだけ恋人らしいことに関しては自分がリードしてやりたいと主張する。得意でもないくせにと決して葵は詰らないだろうし、待っていてもくれるだろう。けれどそれにいつまで甘えていられるのか、剣城にはあまり自信がない。女の子というものは、初めてのキスというものに幻想を抱きがちだから。こればかりは、葵は違うだろうと否定することはできない。彼女は案外少女漫画じみた展開が好きだから。

「剣城君、一緒に帰ろ」

 サッカー棟を出た剣城に、入り口脇で待っていた葵の声が掛かる。恋人同士だから、用事がない日は一緒に帰ろうねと約束していてもいいものを、二人はそうしなかった。そして葵は部員とマネージャーという周囲に浸透した関係を崩すことなく部活中は過ごしている。聞かれれば付きあっていることを隠すつもりはないが、部員たちの前で自分たちの関係を意識させるような接触は控えていた。だから葵はサッカー棟を出るまで剣城に一緒に帰ろうと声を掛けない。
 剣城が頷くと、葵は嬉しそうに駆け寄ってくる。隣を歩き始める葵は剣城よりずっと小さくて、柔らかそうな女の子。見上げてこなければ、剣城が横目でじっと彼女の唇を見つめていることにも気付かない。今日の部活中の、声は掛けられなかったけれど見ていたんだよという意を込めて葵が褒める剣城のシュートの話。クラスが違うから合同ではない体育で剣城が活躍している姿を教室から見たよという話。少しだけ剣城のことも葵のことも関係ないサッカー部の話や明日の天気や今日の夕飯の話をする。主に喋っているのは葵で、喧しくない穏やかなテンポに合わせて動く唇を剣城はじっと見ている。相槌を打ち、言葉を返し、けれど視線は同じ場所を見ている。よく物にぶつからないで歩けるものだと自分でも感心してしまう。

「剣城君、聞いてる?」
「聞いてる」
「うーん、聞いててもどこか上の空だなあって、私結構わかっちゃうんだけどな」
「――そういうものか」
「だって私、剣城君の彼女だからね!」

 突然、内心剣城の様子を不審に思っていたらしい葵が顔を上げたものだから驚いてしまう。そして葵の得意げな面持ちと言葉に嬉しくなる。
 真面目な雰囲気で言い放つには気恥ずかしかったのか、葵は一歩剣城の前に踏み出てから振り返った。「何かあった?」と首を傾げる彼女に何と言っていいものか剣城は迷う。だって瞳は、彼女が正面に立ったことでまたその唇に注がれてしまうのだから。リップでも塗っているのか、瑞々しく赤い膨らみに吸いついてみたい。噛みついてしまいたい。触れて、舐めて、犯してしまえたらどれだけ満たされるのだろう。
 ぼんやりとそんなことを思いながら、剣城は葵の腕を掴んでいた。痛くしないように、優しく。それが、もう少し近付いて欲しいという合図だと葵は知っている。同い年なのに、自分よりも大きい剣城にすっぽりと包みこまれてしまう直前、彼はよくこんな風に葵の腕を引くから。

「――剣城君?」
「ちょっとこっち来い」
「でも、」
「いいから」

 戸惑ったのは、剣城の瞳の真剣さに怖じたのではなく場所の所為。帰り道、今は人通りが途切れているけれど往来の真ん中であることに変わりはない。人前での積極的なスキンシップを苦手にしているのは、葵よりも寧ろ剣城の方だと思っていたから。
 けれど再度腕を引かれると、葵は大人しく間合いを詰めて不安げに瞳を揺らしながら剣城を見つめた。突然の至近距離に惑うその瞳に、不安以外の、もっと別の浅ましくもある色が揺れたことに彼は気付かない。息遣いまではっきりと聞こえる間合いに、剣城に恋している葵がどうして何も期待しいないでいられるのか、自分の感情を制御することに手一杯の彼は生憎考えが及ばない。

「なあ、キスしていいか」
「――!」

 耳元で囁かれたテノールがぞわりと葵の背筋を駆け抜ける。期待通りの、だけど頭の中で具体的に描かないでいた言葉に瞳を見開いて、それからおずおずと顔を覗き込んでくる剣城が愛しくて堪らない。こんな風に自分を女の子だからとまるで壊れ物のように大切にしてくれる彼は、きっととても素敵な男の子なのだろう。
 意を決して尋ねた剣城への葵の反応は、今にも溶けてしまいそうな、はにかみ。

「あのね、剣城君は、いつだって私のこと好きにしていいんだよ」
「……」
「キスして、いいよ」
「ああ」

 剣城を受け入れるように目を閉じた葵の唇に、剣城はゆっくりと自分の唇を重ねた。柔らかい感触と、甘い匂いが鼻先を掠めて、もっともっとと彼女を求める前にそっと離れた。数秒、余韻に浸る葵は目を閉じたまま。その数秒が剣城にはやけに長く思えた。瞼を上げた葵は、指先で唇に触れて先程の剣城の唇の熱を巻き戻そうとした。恥ずかしそうに剣城と視線を合わせた葵は微笑んで「柔らかかったね」と呟いた。
 その仕草が扇情的に、夕暮れの影の中に浮かび上がって、剣城は眩暈を起こしそうだった。


―――――――――――

40万打企画/花澄様リクエスト

期待の鼓動の永くとおく
Title by『ハルシアン』




「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -