初めは少しだけ意地悪をしたい無邪気な好奇心だった。何せ天馬ときたら、葵からバレンタインのチョコを貰えるものと最初から思い込んでいるようだったから。木枯し荘の住民として管理人の秋からのチョコを勘定に入れるのはこれまでの経験から構わないが、自分からのチョコを経験から毎年継続して貰えるなどとは思って欲しくなかった。――だから。

「今年は忙しいから、チョコ作れないかも」

 二人きりの帰り道でぽつり呟いてみた言葉。空腹を満たす為だけにチョコを求めるならば、いっそサッカー部で一括りにして幼馴染の特別を捨ててしまおうか。悪ふざけが思いの外真剣味を帯びてしまったのは今にも沈もうとしている夕日が切なかったから。しかし肝心の天馬ときたら葵の呟きにぽかんと口を開けて微動だにしなくなってしまったものだから、もしかしてそんなに自分からのチョコが欲しかったのかと一瞬ときめきかけてしまった。

「じゃあ今年は俺が作るよ!」

 そう満面の笑みで言い放った天馬に、今度は葵が固まってしまったのは言うまでもない。


 バレンタインまであと数日と迫った放課後、ここ数日部活が終わるといそいそと着替えて先に帰ってしまう天馬を引き留めることもできずに葵はこれから帰りの支度を始めようとしていた剣城を捕まえた。滅多にないことに剣城はどうリアクションを取っていいものかわからないのか、はたまた葵の異様な剣幕に飲まれてしまったのか大人しく話に付き合う羽目になってしまった。

「剣城君、天馬から何か聞いてない?」
「何が」
「えーと、天馬がバレンタインに何を作るかとか…」
「あいつは男だろ。バレンタインに何で料理するんだよ」
「………私にくれるから?」
「―――逆だろ」

 ごもっともですと項垂れるしかない葵は、そういえば信助は天馬と一緒に帰っているんだよなあと幼馴染の大親友の姿を思い浮かべる。恋愛関係にない幼馴染は、もしかして男の子の大親友と同じ土台で天秤に乗せられてしまったりするのかしら。そんなことで落ち込むだけ無意味で、自分勝手だ。
 結局剣城からはめぼしい情報は何一つ得られないまま。代わりに太陽から信助はバレンタインに懸けているんだよとよくわからない情報を貰った。昨今では女の子からのチョコを待っているだけではいけないのだとか。特に相手が逞し過ぎると猶更。遠い目をしながら話す太陽に挨拶を残して葵もさっさと帰路に着いた。何せ意地悪を口にすれども天馬にチョコをあげるつもりだった葵としては悠長に時間を消費している暇はない。天馬が意外にも料理上手だということを、葵はとっくの昔から知っているのだ。
 だから絶対にメニューで被りたくないとこそこそ探りを入れているのだが、天馬は色々練習してるんだよと肝心な部分を打ち明けてくれない。しかし口ぶりからなかなか順調に準備が進んでいる様が窺えて葵は益々焦りが募る。それでも何も用意しないなんて、それこそ無理な話で葵は最後の悪あがきと本屋でバレンタインの特集が組まれている雑誌を手に取る。
 ――あんなこと、言うんじゃなかった。
 天馬を特別から降格させるなんてできないくせに、意識されたいと願い過ぎた。当たり前から外れることを嫌がるくせに、それを頭ごなしに大前提とされると噛みつきたくなった。どうしようもなく我儘で、だけど恋する乙女なら仕方ないことなんだよと言い訳。それに天馬だって、どうしてチョコを作れないなんてあっさり信じたりしたんだろう。バレンタイン当日よりもずっと前のこと、まだわからないよねともっと期待してくれたって良かったのに。空腹を満たす為ではないけれど、ただお祭り騒ぎに便乗するきっかけが必要だっただけなのか。それならやっぱり葵は天馬に噛みつきたい。義理とか逆とか友とかどれだけ冠に言葉を乗せたって、女の子がチョコに乗せた恋心以上に重いものがあるものですか、と。
 結局物珍しさと女子力からの対抗心を剥き出しにして失敗しては意味がないからと手軽な生チョコを作った。しかし葵の作ったチョコは一応本命チョコであるというのにこうも渡したくない気持ちが募るとはいったいどういうことだろう。去年のバレンタインは前日の夜からラッピングを終えたチョコをご機嫌に抱えては喜んでもらえるかどうか想像していたはず。今年はただ、どうか天馬が豪奢なお菓子を作り上げたりしていませんようにと、それだけを祈った。

「葵、おはよう!」
「……!うん、おはよう…」
「ん?元気ないね、寝不足?」
「そんなことないよ。天馬は逆に元気だね」
「うん、だってほら見てよ、チョコ貰った!」

 朝。教室で席に着いた途端駆け寄ってきた天馬が嬉しそうにその貰い物のチョコを葵の眼前に晒した。途端、ただでさえ覇気のない顔が冷めきった。こうしてチョコであることを喜んでいるのを見る限り、告白とセットの本命チョコではないのだろう。少なくとも天馬はそうと受け取ってはいない。誰に貰ったのなんて声を出せば刺々しい言い方になってしまいそうで聞けない。朝練があればまだこんな光景を見ないで済んだかもしれないのに。サッカー部の2月14日の朝練は昨年度から中止と決定しているらしい。何でも一つ上の学年に学校中の女子を虜にする部員がいて朝練をしているという居場所を特定する情報に盛大な待ち伏せを食らってトラウマになっているからだとか。
 ――なんて迷惑な話なの!
 そんな葵の憤慨などいざ知らず、天馬は貰ったチョコを自分の鞄に仕舞うとそこから今仕舞ったばかりのチョコよりも一回り以上大きな箱を取り出して彼女の机の上に置いた。

「これは俺から葵に!」
「……何作ったの?」
「ガトーショコラ!」
「………」

 特別難しいメニューではないが、まさかホールで渡してくるとは思わなかった。これで物量的な意味では葵の敗北が決定する。勝ち負けではないけれど、拘りたいことが多すぎて葵は引き攣った笑みを浮かべながら自分の作ったチョコを渡すか否か迷う。あの日の言葉を鵜呑みにして、天馬は一切の期待を自分に抱いていないのかもしれない。それなら甘えてしまえばいい。そう思いながら、渡してしまいたいと思う自分がいる。
 目の前で葵がそんな葛藤を繰り広げているとは気付かず、天馬はガトーショコラを作った際に信助も一緒だったことや、今日が彼の決戦であることを喋っているが生憎殆ど耳に入ってこない。流石に無反応の葵を不思議に思い顔を覗き込んできた天馬に、彼女は曖昧な笑みで「随分大きいの貰ったなあと思って」と嘘を吐いた。けれど葵の言葉を疑わない天馬は何だそんなことと笑った。葵の曖昧なものとは違う、心からの笑みで。

「気持ちの大きさとお菓子の大きさが比例してたらわかりやすいだろ?」
「―――、」
「忙しかったら、いいやってなっちゃうのも仕方ないんだけど。ちょっと自惚れてたからさ、偶には俺もきちんと葵に何か作ってあげなきゃと思って」
「……チョコが食べれればいいんじゃなかったの」
「へ?俺そんなこと言ったっけ!?」
「い、言ってないけど…でも」
「俺は葵がくれるなら何でもよかったんだ」
「――え、」
「だって俺、葵のこと好きだから」

 知ってるでしょ、と言わんばかりに恥じらいもなく言い放った天馬の言葉が葵の脳を揺さぶった。「好き」の二文字を繰り返し舌の上で転がして、でなければ意味も分からないと呆けてしまう。期待していた、感情はいざ受け取ってみれば葵を大いに混乱させた。喜びと恥ずかしさでみるみる赤くなる顔と、ぽろぽろ零れる涙。ぎょっとした顔で鞄からタオルを取り出した天馬はそれを葵の顔に押し付ける。今日の天馬の鞄はガトーショコラといいタオルといい色々な物が出てくる。この告白も、もしかしてこの鞄の底に眠っていたのかもね。泣き笑いで、そうおどけてみせれば心外だなあと天馬も破顔した。

「ずっと葵の目の前にあったんだよ」

 そう諭す天馬に、葵は頷いた。きっと、そう。私の想いも、いつだって天馬の前にあるの。無意識に受け取ってしまった天馬の応えを、葵は明確な言葉を欲しがって取り損ねていた。だけどもう大丈夫。最後の涙を拭って、葵は自分の鞄に手を伸ばす。一番上に乗っているチョコは天馬のものに比べたら小さなものだけど、それでも。
 ――気持ちの大きさとお菓子の大きさが反比例なの!
 籠めたのは、ありったけの恋心だ。



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バレンタイン企画ログ


おいしくたべてね
Title by『魔女』





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