「…緑川?」
「……」

 ある休日のこと、アポなしで、緑川はヒロトの部屋へとやって来た。まあ実際同じ家に住んでいるのと同様なのでヒロトもそう訝しむこともなく彼を自室に通した。こうして訪ねてくるということは何かしらの用件があるということだから。まあ、緑川ならば何の用事が無くこの部屋を訪れてくれて全然構わないというのがヒロトの正直な本心ではあるが。
 緑川はヒロトのそんな本心を知ってか知らずか、部屋に入るなり急に黙り込んでしまった。ぽつりぽつりと突然ごめん、等の謝罪を口にし始めるものだから、一瞬泣いているのではないかと勘違いしてしまった程だ。しかしその後の緑川と言えばヒロトの部屋にある小さめなソファに無言で陣取ったまま全く動かず喋らず、挙句近くにあったサッカー雑誌を手に取って読み出す始末。
 虫の居所が悪いのか、とも思ったがならばわざわざ自分の部屋を訪ねてくる必要もあるまいと、ヒロトは緑川の心情を探る為に部屋の入口にもたれかかりながら腕を組む。斜め後ろから、もう見詰め慣れた愛しい人の姿を眺める。今の彼は、自分の視線を感じながらも敢えて無視を決め込んでいるのだろう。普段なら、顔を赤くしながらあんまりじろじろ見るなと文句を垂れるのだから。
 無言の二人だけが存在する部屋で、時計の秒針の音が妙に耳に響く。会話もせずに、緑川はソファで俯きがちに静かに雑誌に目線を落としページを捲る。そんな彼を、ヒロトは相変わらず腕を組んで眺めている。ヒロトの位置からでは、俯く緑川の表情は見えない。それでも、ヒロトには緑川が今どんな表情をしているのか分かる。伊達に相手を好いている訳ではない。

「……拗ねてるの?」
「……」
「あ、寂しかったのか」
「!」

 明らかに動揺を見せる肩を眺めながら、内心ヒロトは安堵の溜息を吐く。どうも自分の周りには意地を張る人間が多い気がする。それは勿論ご自由に、とは思っているが、相手が自分にとって大切であればある程本当の気持ちを汲み取ってやりたいとも思う。そして緑川は言わずもがな、ヒロトにとって大切な存在なのだ。
 本音を言い当てられてバツが悪いのか、緑川はヒロトの方から顔を背けてしまう。仕様がないな、と思いながら、ヒロトも漸く緑川の隣に腰を落とした。ヒロトの前で、いつものように頭上で結われた緑川の髪がはらりと揺れた。それを視線で追いかけながら同時に手で掬ってみる。一瞬びくりと反応した緑川はまた直ぐに無視を決め込むと決めたのかそのまま何も言わない。
 子供の様に拗ねているのとは違うのだろう。寂しかったのかという問いに反応したのだから、彼は寂しかったのか。どうもこの辺りがヒロトと緑川の違いなのかもしれない。
 ヒロトは結局、幸せな自分を心底から信じてやれない部分がある。これ以上は高望みだからと、今手にしているものを離さないことに必死で、その先に目が行くことを意図的に避けてしまう。仕方ない、会えなくても相手にだって都合がある。気持ちが繋がっているならきっと大丈夫と、不安と楽観的希望に上手い折り合いをつけるのが、ヒロトは得意だった。だが緑川は違うのだろう。会えなければ会いたいと願う。寂しければ寂しいと伝える。そういった幼稚にも映りかねない素直さを、緑川は持っていた。そして、そんな素直な力強さと明るさに、ヒロトは救われて惹かれたのかもしれない。結局は、無いもの強請りの憧憬が愛になったのだ。だからヒロトは、自分は一生緑川のことが好きなんだろうと、根拠もない自信を持って彼を思い続けている。

「あー、…もう、」
「…緑川?」
「結局、俺だけが寂しかったんじゃん」

 とうとうヒロトの視線に根負けしたらしい緑川は大きく息を吐くとソファの上で体育座りの様な形で自身の膝に顔を押し付けた。照れ隠しなのだろうが、隠しきれない耳まで赤くなっている。可愛いなあ、と小さく微笑めば気配でそれを察知したらしい緑川に睨まれる。当然ながら、迫力にかけたそれは、ヒロトの調子に乗った微笑みを深めるだけの結果となった。納得行かないと言いたげに緑川は唇を尖らせたが、徐々にぽつりぽつりと語り出した。会えなくて、寂しかったこと。ヒロトが寂しさを仕方ないと諦めていることにも気付いていて、それでも自分に会いたいと、寂しいと思って欲しかったこと。流石に傍にいるのにヒロトを無視すれば寂しいと言ってくれるのではと思ったこと。最後のはいくらなんでも短絡的じゃあ、と思ったが、それを実行できるのが緑川の直情的且つ美点だと、ヒロトは勝手に思っている。

「だって俺ばっかりが好きみたいじゃん」
「……そうでもないよ?」
「どこが?」
「だって実際俺は今日緑川のことしか考えてなかった訳だし」
「………」
「作戦大成功ってことだね」

 今日一番の笑顔を緑川に向けてやれば、彼は未だ赤い頬のまま「そういう余裕がムカつくんだ」とまた顔を背けてしまう。再び恋人の機嫌を損ねてしまったことに苦笑しながら、傍に力なく放られた緑川の手を握ってみる。顔は背けられたままだが、緑川はそっとヒロトの手を握り返した。

(――余裕、か)

 緑川の放った言葉を一人内側で咀嚼してみる。どうも自分は緑川を良く見過ぎる傾向があるのはとっくに自覚していたが、どうも緑川も自分に対してその気があるとヒロトは思う。どこをどう見て、自分に余裕があると感じるのだろう。寂しいと、怯えと諦めの中で口にすることすら出来ない自分を理解しながら、どうしてそう思えるのだろう。

「…格好良くないヒロトが見てみたいよ」
「結構いっぱいいっぱいなんだけどね」

 嘘吐け、と笑いながら緑川がヒロトに寄り掛かってくる。緑川の背中を受け止めながら、繋がれたままの手に意識を向ける。本当は、今にだって震えだしそうなくらいなのだ。幸せは、少し怖いから。だけどそれ以上に心地よくて、ヒロトは緑川が好きだったから。案外、自分と緑川の想いの比重を割り出すことが出来たのなら、自分からの想いの方が幾分重いんじゃないかと思えるくらい、ヒロトは緑川を愛しく思っている。だけど、比重が仮に違えどそのベクトルがお互いに向き合っているのなら、やっぱりヒロトは嬉しくて幸せで、らしくもなくその先を思い描いたりするのだろう。
 言葉に出来ない気持ちを飲み込んで、ヒロトは握る手に力を込める。それに応えるように握り返された手に微笑みながら、ヒロトは部屋の時計に目を向ける。時間はまだ午前中で、今日は休日。
 さあ、二人でどうして過ごそうか?



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少しの意地と溢れる愛の為
Title by『にやり』




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