周りの同級生たちに比べて、圧倒的に背の低い紺子には不便なことが割と多い。環境さえ整っていれば問題なく進捗するであろうことが、その身長の所為で上手く運べないこともある。手が届かない、視界に映り込まないといった具合に。だから紺子は自分の身長を不便だと思えども便利だと思ったことは一度もない。年相応にも見て貰えない、それは思春期に差し掛かり女の子としての意識を持ち始めた紺子には大問題であった。

「紺子ちゃんは可愛いね」

 だから紺子は吹雪が頻繁に口にするこの手の言葉を信用することができない。信用できないというより、その含意するところが異性に対してではなく愛玩動物を愛でる類のもののように思えて素直に受け止めることができない。紺子を「可愛い」と言ってくれる同級生は吹雪以外にも多く、その大半は勿論女友だちであるのだが、彼女たちはいつだって紺子の小柄な体型から端を発する所作を称して可愛いと声を上げる。それは女の子としての紺子を褒めているわけではない。けれどあくまで友人間のじゃれ合いに腹を立てても仕方がないので紺子は何も言わない。彼女を抱き上げたり撫でたり、頬を突いたりする情愛の表現を、できるだけ友好的に受け取っていた。
 吹雪が男女関係に軽薄だと思ったことは一度もなく、彼にサッカーボールと可愛い女の子のどちらかを選ばせたら間違いなく前者を選ぶであろうことは明白であった。しかし、彼を放っておかない女の子たちの存在もまた明らかで紺子の視界を塞いでしまっている。紺子を可愛いと言って憚らず、時折彼女を抱き上げる吹雪に恥じらいよりも不安を覚えてしまうのは、きっと伝えきれない紺子の恋心故だろう。異性として意識している女の子を、小柄だからって抱き上げたりはしない筈だと紺子は頑なに思い込んでいた。だから、吹雪が紺子に寄せていた特別を、彼女はいつまで経っても気付く気配を見せなかったのである。

「紺子ちゃん、僕、紺子ちゃんが作ったお弁当が食べたいなあ」

 吹雪が小首を傾げてこんなお願い事をすれば、毎朝早起きして彼の為に調理に勤しむ女の子は白恋中内だけでも大勢いるに違いない。紺子だって、吹雪の学校外での事情を知っている手前好意も手伝ってそんなお願いを無碍にできるほど冷たくはない。けれど二つ返事で頷くことができないのは、紺子の小柄な体躯では手際よく調理をすることができないことを彼女自身自覚していたから。朝、家族全員が慌ただしい時間帯に、踏み台を使用しながら台所を占領できるだろうかと想像してみると、迷惑をかけることは免れない。

「今度休みの日に吹雪君の家にご飯作りに行くんじゃダメ?」
「んー、それでもいいよ」
「私背が低いから、料理するのまごついて時間掛かっちゃうんだべ」
「ふうん、」

 吹雪からの第一希望を退けることに居心地の悪さを覚えた紺子の釈明を、彼はあまり興味がなさ気に相槌を打った。ちらりと紺子が盗み見た吹雪は指折り何かを数えていて、尋ねれば次の休日までの日数を数えているのだという。そんな心待ちにされるほど絶品料理を振る舞えるわけじゃないと首を振る紺子に、今度の吹雪は不満げに唇を尖らせて彼女と同じように首を振った。

「紺子ちゃんは何もわかってないんだよ」
「何が?」
「僕が男だってこと」
「吹雪君が女の子だなんて思ったことは一度もないよ」
「違うよ、そういうことじゃないよ。だって紺子ちゃんは僕を――」
「吹雪君?」
「……僕を好きでいてくれるんじゃないかなって、思ってたのに君は、ああもうよく分からなくなってきちゃった」
「吹雪君を好きな女の子は沢山いるべ」
「もう少し僕のことを思いやって考えてよ」
「難しいなあ」

 いじけて靴の裏で地面を擦る吹雪は俯いて、けれど紺子から都合の良い返事を得ようと逃げ出さない。女の子から突き放されるという経験を知らない吹雪は、難易度の問題はあれど紺子だって自分に優しくしてくれると信じていた。それは間違ってはおらず、ただ優しさを引き出せたとしても紺子が頑なに仕舞いこんでいる吹雪への恋心を晒してくれるかというと別問題であることを理解していない。
 例えば、吹雪が紺子だけにお弁当を作って欲しいと頼んだことを打ち明けて、兎にも角にも紺子だけが特別であることを打ち明けていれば良かったのだけれど、本人としては露骨に紺子とその他を区別しているつもりである吹雪はどこまでも彼女自身にそれを察して欲しがった。そして恋心故、吹雪に群がるその他大勢を見ないよう努めてきた紺子にはその差が目につかないのだ。

「僕、踏み台を買うよ」
「何で?」
「だって紺子ちゃんが料理するには必要でしょ」
「うん、でもわざわざ買わなくても何か代わりになるものがあると思うべ」
「やだよ、紺子ちゃんの為に買うから。ちゃんと使いに来てね」
「…そんなものなくても誘ってくれれば遊びにいくよ」

 次の休日に限った話ではなく、吹雪がどんな理由でも声を掛けてくれるのならば、きっと紺子は頷くだろう。しかし吹雪はわざわざ理由をこさえるつもりでいるらしい。吹雪も小柄な方ではあるけれど、紺子ほどではないから自宅で踏み台なんて必要ないだろうに。
 そんな風に、吹雪が紺子の為にスペースを空けてくれるだけで十分なのに。

「でも紺子ちゃんは、僕を特別優先する理由がないもの」
「……吹雪君が誘ってくれれば、それが理由になるよ」
「本当に?」
「本当に」
「じゃあやっぱり踏み台を買うよ」
「ええー?」

 ここで「好き」だと打ち明けて、それを理由にしてしまえば万事が上手く収まっただろうに。そんな風に嘆けるほど二人は事態を客観的に見つめていなかった。けれど確かにお互いの底に通じ合う好意があることを意識してはいた。だから紺子は吹雪が自分を呼べばそれでいいと言う。吹雪は紺子の為の踏み台を恒常的なものとして用意すると言う。
 いつか不器用な二人がその想いを通じ合わせたとき、やはり紺子は自分の背丈に不満を訴えるだろう。せめて平均であれば、吹雪が口にした可愛いを婉曲に受け取ることはなかったし、お弁当が食べたいというお願いを叶えてあげることもできたのだから。
 だけど本当に大事なのは、そんな昔から自分たちの気持ちは同じだったということ、それだけだ。



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小説のようには上手くは行かぬ
Title by『ダボスへ』



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