「一緒に帰らないか」

 そう神童から声が掛かる度、水鳥の肩は大袈裟な程震えてしまう。訝しむ時期はとうに過ぎ去って、今ではただこれ以上不用意な神童の侵入を許さないよう心の壁を強固にすることしかできない。
 神童が部活終わりに水鳥に一緒に帰ろうと声を掛けるようになったのは、彼が彼女への好意を仄めかすようになった時期と重なっていた。つまりこれもその一環なのだと、水鳥はわかっている。これまで一緒に帰ったことなんかなかったし、二人きりで並んで歩くこと自体有り得なかったのだから。さり気なく車道側を歩くところだとか、上手く歩調を水鳥に合わせてくれるところだとか、水鳥が対向側の通行人とすれ違いそうになると腕を引いてぶつからないようにしてくれるところだとか。
 ――まあこういう所が女からするとポイント高いんだろうなあ…。
 そんなことを思ってから、水鳥の顔は苦い気持ちで一杯になる。だって、それではまるで自分が神童を吟味しているみたいだ。仄めかすくらいなら露骨に言葉で晒せばいい。けれど受け取るつもりはないというのは、恋に溺れたことのない水鳥の我儘だ。どこかで読んだのか、聞いたのか。恋人を外見で選ぶのは装飾品を身に着けるのと変わらないことだと。そういう意味で神童を見つめれば、成程彼は数多の女性から求められるであろう顔立ちをしている。証拠に、学校の女子はこぞって神童を崇拝に近い勢いで慕っている。それから今度は、自分に目線を向けて見る。特別外見を貶されたことはないけれど、神童を着飾るに自分は適していないなと息を吐く。卑下ではなく、女子の外見の良し悪しを可愛いや美しいという言葉でしか表せないから、それに自分は当て嵌まっていないと主観で判断しているまでのこと。

「なあ瀬戸、手を繋がないか」
「――何で?」
「何でと言われると…まあ俺が繋ぎたいからかな」
「あたしは別に繋ぎたいと思わない」
「そうか、」

 考え込む水鳥の不意を突いて、神童は時折彼女にこんな風にして頼みごとをしてくる。きっとこれも、自分たちが恋人という枠に収まって歩いているならば頼みにもならない細やかな当たり前になるのだと水鳥は知っている。けれどそれ以上に神童に対して壁を築いている自分の気持ちも知っていて、だから彼が零れ落ちても一向に恥じらわない水鳥への気持ちを汲んでやることはできないのだ。
 そっけない拒絶に、神童は傷付いた表情を見せない。繋ぎたいと申し出た手もあっさりと降ろされた。それが水鳥にはまた不振の種であり、そしてやはり受け取る気のない気持ちを拒んだくせに傷付かないことでその真実性を疑う自分を浅はかだと恥じ入らなければならない。遠回しなのか、直球なのか。水鳥に自分を意識させるという点では完全に神童の思惑に嵌まっている。
 名前で呼んでいいか、明日の昼食を一緒に食べないか、髪に触れてもいいか、休み時間に会いに行ってもいいか。これまで幾つかの要求があって、水鳥はその全てを棄却してきた。怒ってもいいし、失望して欲しかった。諦めて元の距離感に戻ることを期待して、その元の位置すら水鳥にしか存在しないのかもしれないと思うと居た堪れなかった。いつから、どうしてそんな風に自分との距離を詰めたいと願い出したのか、そして実際に動き出すよりも前から神童の想いが自分に向かっていたというのなら水鳥にはもう尽くせる手がないように思えるのだ。拒み続けても無駄ならば、見て見ぬふりをすればいいのだろうか。それはそれで不誠実だと、水鳥を悪者にしてしまう。

「神童ってさあ、何が楽しいわけ?」
「ん?何が?」
「あたしさ、あんたのこと嫌いじゃないけど、たぶんそういうんじゃないよ」
「そういうのって?」
「あんたみたいに、手繋ぎたいとか、会いたいとか、触れたいとか思わないよ」
「――そうか、」
「ねえ、それでもあんたはあたしの隣を歩きたいって思える?」
「ああ、勿論だ」
「―――、」

 あまりに交わらないものだから、突き放してしまおうという衝動。水鳥の言葉は乱暴に神童を殴りつけるつもりで放たれた。けれど、確かに届いた言葉を神童は意に介さず立っている。そんなことは百も承知で、毎日部活が終わると慌てて身支度を整えて水鳥を探して声を掛けるその好意を、彼女は察していたつもりだけれどやはりどこかで見くびっていた。直接告白もできないくせに外堀ばかり埋めようとしている、と。けれどその外堀に守られていたのは、他でもない水鳥自身ではなかったか。
 穏やかに、無理強いをしない、けれど暇ない神童の好意はとっくに水鳥を怯ませていた。彼の言葉を否定する言葉を吐く度にその反応を窺っていたのは水鳥の方。今だって、水鳥の揺さぶりに動じることなく彼女と歩きたいと言いきった神童が言外に訴えている自分への好意にたじろいでいる。
 立ち止まって、そのまま気付かずに行き過ぎてくれる神童ではない。半歩踏み出して直ぐに「どうした」と声を掛けてくる反応速度に、水鳥は漸く認めてあげられるような気がした。神童が、水鳥を好き過ぎているという眼前の事実を。

「…瀬戸?」
「―――、水鳥でいいよ」
「え、」
「言っとくけど、名前で呼んだからってどうなるってもんじゃないからな!」
「…ああ、わかってるさ。――水鳥」
「ん」
「呼んだだけだ」
「はあ!?お前やっぱり名前で呼ぶのやめろ!」
「それは無理だ」

 水鳥としては、本当に僅かな譲歩のつもりだったから、神童が愛しげに自分の名前を呼ぶことが恥ずかしくて仕方がない。耐えきれず声を荒げれば、まるで悪びれのない神童が微笑みながら水鳥の要求を却下した。普段のやり取りとは真逆の立ち位置に不快は感じない。けれど相変わらず調子を崩されっぱなしの状況が悔しくて、水鳥は神童を追い越して歩き出した。それすらも、あっという間に追いつかれてしまうとわかっているけれど。
 これから先、自分たちの関係が一から十まで神童の思い通りに進んでしまうなんて腹立たしいから、これはその僅かばかりの抵抗だ。一番の抵抗は、神童の想いを手厳しく突っぱねることの筈なのに、この時の水鳥からはそんな単純なことがすっかり抜け落ちてしまっていたのである。そしてそれが、水鳥から神童に対する何よりの答えであることは明らかなのであった。


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Title by『魔女』


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