月明かりが差し込んで、フェイの顔を照らしていた。隣で眠る天馬にはその光は届かず、自分ばかりが暗がりにいるように思えた。大きな瞳と明朗な表情はそこにはなく、穏やかな寝息を立てる天馬にフェイはふっと口元を綻ばせる。小さく名前を呼んでみても、一日中サッカーボールを追いかけていた天馬の疲労は深く、眠りもまたそれに比例していた。向かい合い、顔を寄せて他愛ない会話に興じながら眠りに落ちてしまった天馬の寝相はそのまま維持されていて、だからフェイは正面からまじまじとその寝顔を見つめることができた。
 木枯し荘の天馬の部屋で同じベッドに潜り込んだことに下心はない。客人用の布団を他の人が使用していたから、だったら体格的に無理のない自分たちが一緒に寝れば済むねと言い出したのは天馬の方だった。ワンダバは今頃キャラバンにいるのだろう。珍しく気を遣ったのか、それとも単純に布団がないからか。おかげで静かな夜の一室は穏やかなままフェイを感傷的な気分にさせていた。

「――ねえ天馬、覚えてる?」

 囁く声に返事はない。だけどフェイは知っている。もしも起きていたら天馬はスカイグレーの瞳を瞬いて、それから尋ね返すに違いない。
 ――何を?
 そうしたら、フェイはあのときのことだよ、このときのことだよとあれこれ話題を持ち出しては思い出に耽るのだ。天馬は勿論覚えているよと頷いてくれるだろう。
 色々な時代、様々な世界を旅してきた。沢山の仲間たちと一緒、けれど最初はフェイと天馬の二人きりで始まった、大切なサッカーを取り戻すための旅。何が待ち受けているかもわからない場所へTMキャラバンを走らせた。
 戦国時代で友人を作ったり、中世フランスで鎧を着たり、三国時代で史実とは違うことに驚いたり、幕末で歴史の大一番に遭遇したり、白亜紀で恐竜と闘ったりサッカーをしたり、キャメロットでは物語の主人公になって円卓の騎士を目指したり。本当に色々なことがあって忘れられないことばかりの旅路だった。どの世界に行ったとしてもそこに天馬がいてくれたからフェイは何も怖くはなかった。時空最強を目指す旅などしなくても、ただ一緒にボールを追い駆けているだけの日々だったとしてもフェイはその時間を宝物にできたと思う。けれどそんな事情がなければ自分と天馬は出会うことはなかったということも揺らぐことのない真実として存在していた。

「…天馬、ねえ、てん…ま」

 いつの間にかフェイの瞳には涙が溢れ、そして落ちた。枕のぽつりと浮かぶ染みは夜明けまでには乾くだろうから構わない。ぎゅっと瞼を閉じて、沸き起こった悲しい気持ちを抑え込もうとする。晴らすことも、消すこともできないからせめて、悲しむ以外に何もできなくなるまで待っていて欲しかった。
 いつかフェイが帰らなければならない未来に、当然ながら天馬はいない。世界のどこを探しても、松風天馬は生きてはいないだろう。そのことが、フェイにはどうしようもなく悲しかった。
 こんな風に穏やかな寝顔のまま、いつか天馬も目覚めなくなる日がくる。どこまでも深い眠りに落ちて、この世界から消えてしまう。それは明日ではなく、明後日でもない。だけどいつか必ずやってくる未来のこと。それすらフェイにとっては遥か昔の過去なのだ。
 ――このまま天馬が起きなかったらどうしよう。
 直前まで、天馬が消えてしまうのは明日でも明後日もないまだ遠い先のことだと思っていたのに。もしこのまま天馬が起きなかったら、その瞬間からフェイはひとりぼっちになってしまうような絶望感できっと立ち上がれなくなってしまうだろう。それでも、そんな比喩がどれだけ現実味をもってフェイを打ちのめしたとしても彼はその両脚で立って歩いて行かなければならないことを知っている。自分の在るべき時代へ戻り、生きて行かなければならない。天馬が本来、フェイと出会うことがなくとも立派にその一生を全うしたであろう、それと同じように。

「――フェイ?」
「…天馬?起きたの?」
「ん…、泣いてるの?」
「ううん、泣いてないよ」

 不躾な視線が刺さってしまったのか、天馬は寝惚けた眼をうっすらと開いてフェイの顔を見つめようと視線を彷徨わせていた。口先だけの泣いていないという強がりがばれてしまうことを恐れてフェイは慌てて天馬を抱き寄せてしまった。いきなりこんなことをしたら、天馬が驚いてしまうとは思ってもどうしてもこの涙だけは見せたくなかった。拭われても事情を明かしても慰めようも抗いようもない別れを惜しむ涙は、まだ天馬の前に晒したくない。

「…フェイ、どうしたの。何か怖い夢でも見たの」
「夢じゃない、夢じゃないんだよ…天馬」
「うん、なあに」
「明日はちゃんと起きてね」
「―――え?」
「揺さぶってでも起こすから、もし僕より先に起きたらどこか行っちゃったりしないでね」
「本当にどうしちゃったの、フェイ?」
「大好きだよ、天馬」

 それきり口を噤んでしまったフェイに、天馬は眠気も手伝ってこれ以上何も問わなかった。代わりに彼の背中に腕を回して数回あやすように撫でる。微睡みながら、どこかで冷えた気持ちが天馬の胸にも忍び寄ったけれどそれに囚われるよりも早く意識は眠りに落ちていた。
 明日もサッカー部の練習があるから、フェイの言う通りきちんと時間通りに起きなくてはならない。彼の言葉のニュアンスは遅刻を案じた物言いではなかったけれど、他に心当たりがない天馬は勝手にその意味を解釈した。
 天馬の意識が完全に夜に解ける間際過ぎったこと。
 ――このままフェイが起きなかったらどうしよう。
 どれだけ親しくなったとしたって、いずれ天馬を置いていくのはフェイの方だということを天馬は知っていた。そう遠くない自分の未来を、フェイの消えた世界で生きていかなければならないことを知っていた。
 いつの日か。目が覚めて辺りを見渡しても誰もいない朝がやって来る。そんな朝を恐れながら、二人の眦からは涙が一筋伝い落ちた。



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∴優しいばかりの思い出が、いつか僕らを殺すでしょう

BGM:眠り姫/SEKAINOOWARI



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