※Etoile設定


 久方ぶりに帰ってきた実家の門を潜ると広がる見事な庭園を目にする度、春奈はその造詣がまるで自らの手で成されたかの如く誇らしい気持ちになる。実際は幼少の頃から共に過ごした幼馴染とも呼べる庭師が丹精込めて作り上げたものであることもわかっている。だからこそその成果に誠意を払うことを忘れない。木々の隙間から降る木漏れ日を浴びながら屋敷の扉へ向かう春奈の脚を引き留めたのはふと視界の端に映り込んだ見覚えのある背中だった。

「立向居君?」

 どうしてここにいるのかしらと疑い半分で名前を呼んでみればまだ幾分か距離を挟んでいたにもかかわらず彼は振り返った。耳が良いのかもしれない。遮る物音のない場所ではやかましと姓を皮肉られる春奈の声が存外大きく響くということには一切発想が及ばない彼女はそう判断した。振り向いた立向居の後ろには彼が使い込んだイーゼルに麻張りの小さなキャンバスが置かれていた。色はまだのようで流石に何を描いているのか春奈の場所からは見えなかった。
 貴族としてのそれなりに安定した地位を一時の衝動に任せて放り出した春奈は元来好奇心が強い少女だった。そしてその好奇心を押さえつけるという窮屈さを何よりも厭うのである。何の為に私に脚があるのか。問うならば答えよう、それは自分の視界に映り込む輝かしい物全てに向かって駆け出す為であると。そんな思い立ったら一直線の春奈の現在の標的は、この瞬間立向居のキャンバスに決定したのである。

「お久しぶり立向居君、最近あまりオペラ座に顔を見せないと思ったらこんな所で何をしているの?」
「やあ、実は結構練習風景は覗かせて貰ってるから俺の方が久しぶりって感じはしないんだけど…。木暮に頼んだら花や枝を折ったりしなければ描いても構わないって言われたからお邪魔してるんだ」
「ふうん、お兄ちゃんは何て言ってたの?」
「構わないって、庭のことは全部木暮に任せてるんだろ?」
「まあ、そうね」

 刺々しく言い放ち、不貞腐れたように唇を尖らせる春奈に立向居は首を傾げてしまう。久しぶりという言葉は弁解した通り春奈にしか当てはまらない言で、彼女をモデルにしたいと申し入れている立向居は何度か彼女の様子を伺いにオペラ座の練習を覗かせて貰っている。ただ講演が近いこともあり絵を描かせて貰うには時期が悪かった。その所為でいつも支配人である円堂に挨拶する程度で立ち去っていたのだが。その代わりに絵のモデルを探し回っている立向居を見兼ねて声を掛けたのが木暮だった。春奈を通して知り合った二人は彼女よりも生活に自由な時間があったので、二人で会う機会も多く、正直意気投合したとは言えないもののお互いの仕事に対する姿勢を尊敬し合うようになっていた。モデルを探しているとはいえ人物となるとどうせ春奈以外に声を掛けることはできないくせにと木暮は手っ取り早く自分の管理している春奈の実家でもある屋敷の庭園を提示した。当主である鬼道にも話を通して反対されなかったともあり立向居は有り難くその申し出を受けていたのである。
 まさか春奈が立ち寄るとは思っていなかった。とはいえ畏まる理由があるとしたら春奈以外には思い当たらない。演目の主役を張るほどの経験値はなく、だが可能性は確かに秘めた踊り子に心奪われた日から立向居の瞳は春奈だけを映したがる我儘なキャンバスになってしまった。もしかしたら彼女は同い年の、自分と同じように夢に向かって邁進する同志を喜んでいるだけなのかもしれないと自制は働く。けれど画家とモデルという関係からは外れた親密さが芽生えていることも事実だった。

「この庭は素敵でしょう」

 尋ねる口調ではなかった。素晴らしい以外の答えを認めない、高圧的ではないものの有無を言わせない確信に満ちた顔つきで春奈は言った。そしてまだ木炭で荒く縁どられただけの風景を、そのキャンバスの上に見つけ微笑んだ。描ききれるものかしらと見くびるのではない、描いてくれるでしょうと信じている。今自分たちを取り囲んでいる美しさを、春奈はこの人ならば損なったりはしないと無責任な信頼で以て任せていた。

「私、この庭が好きなの」
「――良い庭だよね」
「でしょう?まあ、花の種類とか、季節ごとに変わったりしても名前はあんまり覚えられないんだけどね」
「そうなの?」
「聞けば毎回木暮君が教えてくれるからいいかなって怠け癖がついてるのかも…」
「あはは、目に浮かぶなあ、覚えろよっていいながら教えてくれるんでしょ?」
「そうそう!」

 想像内での木暮の姿を一致させた二人は手を合わせて笑う。茂った緑、風に揺れる花、何一つ二人を遮らず傷付けない。穏やかでいて強固な空間の価値を、きっとこの時の二人はまだ理解していなかった。恋と夢を天秤にかけない二人はどこまでも対等で気後れもなく齢を重ねても無邪気なまま。
 春奈の領域であった庭園に、自分を介さず招かれた立向居に対して抱いた刺々しい気持ちは名前を付けるならば実の所嫉妬というのが相応しい。ただその対象を追い駆けない春奈にはまだ何もわからない。春奈だけを踊り子のモデルにする意味を探らない立向居にも。

「私、今日は泊まっていけるの。立向居君も泊まっていけば?」
「え!?いや、流石に悪いよ」
「木暮君の部屋に泊めて貰えばいいじゃない」
「そんな勝手に…」
「久しぶりに会ったんだもの、立向居君の絵見せて欲しいの。ダメ?」
「それは別にいいけど」
「じゃあ決まりよ」

 話を纏めてしまった春奈は「お茶にしましょうか」とまだ帰宅の挨拶も済ませていないのにそんなことを言う。暫くしてタイミングよくお茶とお菓子を持って木暮が現れるのだが、そのトレーにしっかりカップが三人分用意されていることに立向居と春奈は目を瞬かせる。

「お前らいちゃいちゃするのは良いけどさ、声デカいよ」

 呆れたように家に入らずとも春奈の帰宅は筒抜けだとカップに紅茶を注ぐ木暮の前で、立向居と春奈は顔を赤くして立ち尽くしていた。


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40万打企画/なな様リクエスト

たぶんきっとまだ、
Title by『魔女』





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