空にカメラを構えていた茜が、シャッターを切るわけでもなく静止している姿を浜野はただじっと見つめていた。部活を終了する号令が掛かってからというもの茜は空を見上げたまま微動だにしない。数メートルの距離を挟んでの観察は日向に微睡む野良猫を眺めるのとどこか似ていた。あと一歩近づいてみようか、けれどそうしたら相手の警戒線に引っかかって逃げられてしまうかもしれない。そんな、実行のみでしか結果を得られない葛藤。もしここで浜野がいつも通りの能天気さで茜の名前を呼んでしまったら、彼女は視線を向けてくれるだろうか。想像の中では「どうしたの」と優しく語りかけてくれる彼女はあくまでもしもの産物で。茜がカメラのレンズ越しに見ているもの。それを浜野は違った角度から肉眼で眺める。大抵のものは有り触れていて、素晴らしいとは思えなくて写真に残しておく意義もわからない。印刷された小さな紙に写る自分たちを誇らしげに語る茜の瞳には星が宿っているのかもしれない。世界が輝いているのではない。彼女の瞳が輝いているから、そこに映るものもまるで輝いているかのように錯覚してしまうのだ。生まれた時からその瞳を持つ茜は気付かない。世界は素晴らしい輝きに満ちていると信じているし、それが彼女の真実なのだから。周囲の人間が通り過ぎてしまう他愛ないものばかり撮りつづけていつしかその残骸に埋もれてしまう。思い出に窒息するのはさぞ苦しかろう。彼女が思い出と呼んで嵩を増し続ける写真の中に、当人は一枚たりともその姿を映してはいないのだから。

「なーんてね、」

 そう、勝手な想像を打ち消して浜野は頭の後ろで手を組みながら茜の観察を続けている。記録はつけていないけれど焼き付けてはいる。自分と合わさらない瞳の先にいるのが誰であろうと、彼女を好いている浜野は落ち込んでしまうのが常だけれど空ならばそんな気持ちにはならないから。
 同じ景色を眺めるならば、浜野は空よりも海が好きだ。波の動きや色は目に見えて変化がわかりやすい。今日の空は晴天で雲一つない。サッカー日和と雷門の面子は機嫌も上々でボールを追いかけているけれど観察するにはあまりに変化がなくてつまらないと思う。もしかして、こんな真昼の澄み渡る空にすら茜の瞳を通せば星が浮かんでいるのだろうか。雲一つ横切らない空を見上げ、浜野は思う。「山菜って時々すごく変」と。そこがまた可愛いと気付いてしまった瞬間が、茜への恋心の自覚であり無意識の視線の追跡が生んだ結果だった。
 どれだけ間合いを探って気を遣っても猫は気紛れに姿を消してしまうから、相手が捕まえられるのならばさっさと捕まえてしまった方がいいのかもしれない。何より浜野は退屈や沈黙よりも柔らかい喧騒を好む。どうせなら、楽しい方がいいに決まっていた。深刻ぶって悩んでみても、行動を可能性として提示されればあっさりと足を踏み出す浜野が視線を空から茜に向かって下ろした時、いつの間にかじっと浜野を見つめていたらしい彼女とばっちり視線をかち合わせてしまった。

「――浜野君、何してるの?」
「え、えーと、」
「空、雲も鳥さんもいないのに」
「山菜だってずっと見てたじゃん!」
「うん、綺麗だったから」

 本当は空ではなく茜を見ていたのだと打ち明けられない浜野は慌てて話題の矛先を彼女自身に返した。茜は浜野の「ずっと見てた」ことを見られていたと暴露していることには意識が向かないのか細やかな理由を打ち明けると視線を廻らせてまだ帰らずに固まって喋っている部員たちを見つける。彼女の視線を追い駆けた浜野は、その集団が自分以外の二年生が集まっていることに気が付いた。僅かばかり走った胸の痛みは図々しくも嫉妬と呼ぶらしい。あの中の誰かを茜が好きだったらどうしよう。自分とその他、彼女が恋をする確率は果たして半々で語れるものだろうか。数学が得意ではないけれど、そんな数値で答えが出せる確率じゃないんだろう。
 数秒の間を置いて、彼等に向かってカメラを構えた茜の姿を見た瞬間浜野は咄嗟に地面を蹴っていた。加速する間もない数メートルで埋まる距離を厭って掴んだ茜の腕は思っていたよりもずっと細くて頼りない。それを掴むという行為がひどく暴力的なことのようで思わず手を放し謝罪が口を衝いて出ていた。

「どうしたの?」
「山菜はさ、写真が好きなんだよね」
「うん」
「写真が好きだから、空とか人とか撮るの?」
「――え?」
「だからさ、空が好きだから空の写真撮るの?写真が好きだから、何でも撮るの?」
「………」
「――ごめん、怒った?」
「ううん、でも浜野君の言ってることよくわからない」

 シャッターを切るタイミングを邪魔したことに怒るほどベストショットを狙っていたわけではない。けれど彼にしては珍しい質問に茜は首を振ってわからないと訴え続ける。怒ってはいないけれど困っている。浜野はただ、どこまでも婉曲に彼女が撮ろうとした仲間たちのなかに想い人がいたらどうしようと案じていただけ。格好悪くて情けなくて、見るからに落ち込んだ表情を目の前に晒した浜野の眼前でぱしゃりとフラッシュの光が輝いた。驚いて仰け反ると、にこにこと微笑んだ茜が彼に向かってカメラを構えていた。

「や…山菜いきなり何すんのー?」
「私が浜野君の写真を撮るの、浜野君が好きだからかって話?」
「へ?」
「それなら私、そうだよって答える」

 至近距離にいるからわかる、いつもの微笑を浮かべた頬に射す朱。徐々に自分の顔も熱を持っていくのがはっきりとわかる。しどろもどろに「え…あ、」と戸惑いと照れた声を上げるしかできない浜野に向かって茜はもう一度シャッターを押した。

「私は浜野君が好きだから写真を撮ったけど――」
「…?」
「浜野君が部活終わってからずっと私を見てたのは、どうして?」
「――!?」
「私、自惚れてる?」
「…ちゅーか、気付いてたんだ…」
「好きだもん」

 いよいよ決まりが悪くてしゃがみこんでしまった浜野を逃がしてくれない茜は同じように彼の正面に座りじっと顔を覗き込んでくる。茜はじっと待っている。告げた好きの二文字への返事を。だから浜野はばくばくと煩い心音を抑え込む。そうしたらはっきりと伝えるのだ。空よりも海よりも何よりも茜を見つめてしまうくらい、君のことが大好きだ、と。



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40万打企画/海里様リクエスト

こっち向いてごらん
Title by『魔女』





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