※未来捏造・ジャンヌ不在



 趣味が高じた結果だとは思わない。だが中学半ばを過ぎてからめきめきと伸びた蘭丸の世界史の成績は学業を通り越してマニアックな域に到達していた。一応高校まではサッカーを軸に選んでみたけれど大学となるとまた違った方向に進んでみても良いのかもしれないと史学科のある大学を選んだ。このご時世に文学部だなんて実益よりも娯楽を取っていると失礼な認識の大人たちもいるけれどそんな言葉はどこ吹く風だ。同じ大学に進んだ幼馴染とその恋人も趣味の延長で在籍する学部を選んでいたものだから猶更。
 大学二年の終わり、長い春休みを迎えると蘭丸はフランスへ旅行することになった。観光目的と、一応卒論で扱う予定でいる主題がフランス史に当たる為一度くらい現地に足を伸ばしておくべきかと思ったのである。20歳になったこともあり、少しくらい遠出していらっしゃいと両親には背を押されまた卒論や就活の時期を考えると今の内だろうと判断した。予想外だったのは幼馴染の彼女が同伴すること。中学時代から写真を撮るのが趣味だった少女はいつの間にか絵画にも興味を示し始めていたらしい。好きな画家がフランス生まれとのことで是非一緒に行きたいと言われた。一人旅に憧れがあるわけでもないので構わないと頷いた。しかし幼馴染とはいえ恋人が男と二人海外旅行に発つというのに件の彼氏ときたら彼女が好奇心で危ないことに手を出さないようよくよく見といてくれと信頼しかない瞳で頼んでくるものだから驚いた。勘繰られても迷惑だが、ここまで全幅に任せられるとそれはそれで複雑だった。
 実際フランスに着いてからは、まずパリで蘭丸は彼女に引きずられんばかりの勢いで美術館を連れ回された。それから蘭丸の事前の計画がほぼ無に近かった所為もあり緻密な計画を練っていた彼女に付き従う形になってしまっていた。何度も「蘭丸君の行きたいところはないの?」と尋ねられたけれどその度に蘭丸は首を横に振った。資金も時間も掛けてやって来た異国の地に、蘭丸はただ理由をこじつけてやってきただけだった。義務感というには烏滸がましく、今となってはもう昔のあの日ひとりの少女と出会ってからのめり込んだ歴史を綴る書物たち。何一つ身近に迫らない過去は自分の心通わせた少女の死を淡々と語り続けていた。TMキャラバンに乗り込んで国も時空も飛び越えて訪れたのは、確かに今蘭丸が降り立っているフランスのはずなのに。視界に映り込む町並みは当然ながらちっとも感慨を呼び起こしたりはしないのだ。

「ねえ蘭丸君、行きたいところ、あるでしょう?」

 そんな蘭丸の、勝手な期待と現実との齟齬を見抜いたかのように彼女は問う。だから観念して蘭丸は一か所だけ、ここだけでいいんだとその地名を告げた。それを聞いた彼女が、答えを求めたくせに「私もそこ、好きな画家の絵のモデルになった大聖堂があるから行ってみたかったの」と素知らぬ風に微笑んだから、蘭丸は少しだけ泣きたくなってしまった。心遣いというものは、不意を打って心を様々な意味で揺らすものだと知っているから。



 駅から降り立って直ぐ目に飛び込んできた通りの名前に蘭丸は眉を顰めた。フランス語は大学で齧っているが、そうでなくともローマ字が読めれば伝わってくるニュアンスに頭が痛くなる。「ジャンヌ・ダルク通り」と銘打つその道を進まなければ蘭丸の目的地にも隣に立つ彼女の目的地にも辿り着けない。土地勘さえあれば遠回りもできるだろうがそこまで避けて通りたい謂れもない。たかが名称だと割り切らなければとてもこの街で顔を上げてはいられないだろう。

「大丈夫?」

 心配の声を片手で制して歩き出す。和やかで落ち着いた雰囲気の街並みに視線を走らせながら、当然ながら日本人は自分たちしかいないのだなと実感する。異国の石畳を踏みしめながら、同じように蘭丸は現実を噛み締めている。嘗て、長い歴史の中では一瞬の邂逅でしかなかった出会いがあった。それを蘭丸は一生の宝に値すると信じた。相手の方がどうだったかはわからない。けれど大切なお守りを別れ際に手渡そうとしてくれたのだから、ぞんざいな扱いを受けるような思い出などではなかったろう。少女の命が燃え尽きた炎の中で過ぎってくれたかどうか、想像することも望むことも恐ろしくてできなかった。
 蘭丸がジャンヌと出会ったとき、彼女はまだその力を覚醒させていなかった。自分たちはサッカーを守る為にその力の目覚めを願った。結果として、ジャンヌは蘭丸たちの目の前で歴史に名を残す強さを得たし、それに蘭丸の言葉が大きく貢献したことは間違いない。だから蘭丸は後悔の二文字を振り払えないのだ。決まりきっていた歴史から逸れることはできないし許されないのに、彼女を聖女と祀りさえしなければ決してあんな死に方はしなかったのではないかと。傲慢にも蘭丸は過去の歴史に責任の負うかのような痛みをずっと抱えて生きている。

「蘭丸君、私の見たい場所はこっちなんだけど…」
「じゃあ俺はこっちだな」
「…うん」
「暗い顔するなよ。最初で最後、記念とは違うんだけどさ…今だからきちんと見ておきたいんだ」
「―――?」
「こっちの話。一本道だから先に済んだ方が迎えに行くのでいいよな」
「うん」
「それじゃ」

 通りを進んで暫くしてからの十字路、彼女は自分の目的地がある左を指差し、蘭丸は右を向いた。さっさと歩き出してしまった蘭丸の背に掛かる声はなかった。
 1427年へのタイムジャンプから現代に戻って来てから蘭丸が知ったこと。出会ったジャンヌは当時15歳だったらしい。僅か一歳の差。背負ったものの大きさは凄まじかったろう。それに耐え抜いた勇気を蘭丸は素直に賞賛するし尊敬してもいる。歴史上の偉人で終わっていたのなら、蘭丸がジャンヌへ抱く念はそこへすら到達していなかったに違いない。通わせた心は決して彼女の力を得る為ではなかった。蘭丸からジャンヌへ向かった想いはそんな打算になど穢れていなかった。だから蘭丸は辛いのだ。未来に無関心のまま過去に触れた迂闊さが憎いのだ。
 ジャンヌ・ダルクの生涯は僅か19年で幕を閉じている。今年蘭丸は20歳になった。たった一年、彼女を追い越してこれから先ずっと引き離していくだろう。その意義と価値は定まらず、在るかどうかもわからない。ジャンヌの見たかった世界を代わりに見るなんてできなくて。だけどいい加減割り切るべきだということもわかっている。心配してくれる幼馴染と友人がいて、応えるべきだともわかっている。思い出を思い出のまま、ただ死人を死人に還す。
 ――その為に。蘭丸は今足を止めたこの場所にやって来たのだから。

「……さよなら、」

 このルーアンの街でジャンヌは死んだ。そして今、蘭丸の胸に燻り続けた想いの火も消える。処刑場となった地に立てられたジャンヌの像を見上げて「あんまり似てないな」と呟いた蘭丸の声は掠れて、吹き抜けた風に紛れて誰の耳にも届くことはなかった。


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私は本当はあの時どうしても伝えたい言葉があって
Title by『ダボスへ』



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