運動神経はいいけれど、それ以上にただ動き回っていることが好きなのだろうか。注意力散漫に、瞳をきょろきょろ彷徨わせながら歩く黄名子の足もとはいつだって危なっかしい。転んでしまって、何をやっているんだと笑われても次の日にはまた転ぶ。今度は手をついてガードしたと誇らしげだけれど、その手を擦り剥いてしまっていては意味がない。痛いと顔を顰めたりしない分、きっと反省点も探さないのだろう。いつだって爛漫な瞳は輝く世界を映す為に忙しなく動き回らなくてはならないとはりきっている。周囲の心配を余所に、黄名子は今日も走り回っていた。
 流石運動部というよりかは慣れによる発言かもしれない。血を滲ませる膝を屈伸してその調子が正常だと確認すると、後は消毒液よりも水で流してしまえばいいという。けれどサッカーの練習中は注意していても場面によっては膝をつくこともある。風に当てるのもいいが重ねて傷を抉ってしまわないよう絆創膏だけは貼っておこうというマネージャーの言葉に、黄名子は彼女の定番ともいえる挨拶のポーズと敬礼姿と兼用して「了解!」と宣言すると駆け足で水道に向かった。ちくちくと、血が出ているという意識の所為で膝は痛みを訴えるけれど動く上で何ら問題はない。擦り傷や痣は絶えず、それは黄名子だけではなくて雷門のサッカー部全員が同じこと。けれどやはり女の子という一点は彼女へ向かう視線を他の男子部員たちよりも一回り過保護にしてしまっている。小柄な体躯と無邪気な言動が相俟って、同級生にすらそう思われている節がある。それには流石の黄名子も頬を膨らますしかない。

「――あれ、黄名子どうしたの」

 蛇口を捻り傷口を洗い流していた黄名子の背後から声を掛けてきたのは太陽だった。練習中、派手に転んだ黄名子の姿はほぼ全員に目撃されていたのだが、太陽だけはタオルをロッカーに忘れてしまったことに気付いて取りに行っていた為その場に不在だったのである。休憩中だとしてもドリンクが配られる中、わざわざ水道水を飲みに走る必要はないので純粋に彼女が何をしているのか気になって声を掛けた。しかし黄名子が返事をするよりも先に、振り向いたその膝を見て事情を理解した。珍しくもない負傷と、けろりとしている当人を前に心配の言葉を口にする必要はないだろう。
 だから、代わりにポケットを漁って中から絆創膏を一枚取り出して差し出した。それを黄名子は半ば反射で受け取り、それからやっと何を渡されたのかを確認する。シンプルな肌色のものではなく、可愛らしい花柄の模様がプリントされたピンク色の絆創膏。太陽が常備しているには、少しだけ妙な組み合わせ。

「これ、太陽の?」
「そうだよ」
「意外やんね。太陽、ピンクとか花柄が好きなの?」
「好きってわけじゃないけど」
「でもわざわざ買ったんでしょ?」
「だってそれは僕じゃなくて――」

 言葉の途中、太陽はあからさまにしまったという風に顔を歪めてそして黙り込んだ。「どうしたやんね?」と首を傾げる黄名子は身長差の所為で目を合わせようとすると自然と太陽を見上げる格好になる。その姿が、如何にも邪気がなくて太陽は怯んでしまった。「えーと」と言葉を濁す太陽を救ったのは、これから試合をするから早く戻って来てと二人を呼びに来た天馬で。試合の一言に爛々と瞳を輝かせ始めた黄名子は太陽の腕を掴んで走り出した。

「早く早く、急ぐやんね!」
「わかったよ!ほら前見ないとまた転ぶよ!」
「――!そうだった、危ない危ない」

 太陽からの注意にはっと立ち止まった所為で転びはしなかったものの前に進もうとしていた彼とぶつかってしまった。二人して謝罪を口にするとそのままグラウンドに向かって走った。幸い、今度の黄名子は転ばなかった。
 グラウンドでは丁度チーム分けを終えたところらしく、不在だった二人はバランスを考えて勝手に割り振られていた。不満があるはずもなく、フォーメーションの確認に参加し始める太陽に続いて黄名子も自分のポジションに就こうとしていた肩を背後からやんわりと掴まれた。今日はよく背後から接触するものだと振り返れば、今度は太陽ではなく心配そうに眉を下げた葵が立っていた。

「黄名子ちゃん、絆創膏貼るって言ったでしょ?」
「あ、そうだったやんね!」
「全くもう…あれ、自分で用意してたの?」
「これ?うん、これはね――」
「そっか、黄名子ちゃん怪我多いから確かに絆創膏常備してた方が安心かもね!」
「へ…」

 でも一番は怪我をしないように注意することが一番だよと言い残して葵はベンチの方に下がってしまった。一方黄名子は、この花柄の絆創膏は太陽がくれたものだと打ち明けることができないまま。そしてそれを膝に貼りつけることもできないまま。
 ――だってそれは僕じゃなくて…。
 そう言い淀んだ太陽の顔を思い出す。怪我が多いことは自覚しているけれど、黄名子はそのことを留意しない。自分で絆創膏を用意することもない。それを心配の眼差しで見つめている誰かがいることも、簡単に忘れてしまう。だから思いも寄らなかったけれど、ご都合主義に解釈するならば黄名子はもう少しこの花柄の絆創膏を大事にするべきなのかもしれない。
 ――これは太陽じゃなくてうちの為の絆創膏なの?
 ふふふ、と口元を緩めていると試合を始めると声がかかる。慌ててベンチの葵の元へ向かい二言三言会話を交わして、それから漸く黄名子は自分のポジションに就いた。

「あれ?黄名子その絆創膏…」
「ん?これは救急箱の奴、葵ちゃんに出して貰ったやんね!」
「僕もあげたじゃん」
「あれはうちの絆創膏だから、大事に取っておくって決めたやんね!」
「…………」
「また頂戴ね」
「――怪我しないようにしてくれたらね」

 練習を終えて、部室で見た黄名子の膝に貼られていたありふれた絆創膏に思わず問うた太陽に、黄名子は嬉しそうに答えてくれる。太陽が黄名子にあげたもの、それを自分のものとして言いきっている。間違ってはいないけれど、その裏に彼の真意が見抜かれていた事実に太陽は少しだけ顔を赤くして目を逸らした。
 お節介に押し付けた絆創膏と、そこに滲んだ好意を黄名子が察するとは夢にも思っていなかったので。きっとこの花柄は、彼女が転んだ時にしか姿を現さないのだ。
 一番は、黄名子が怪我をしないこと。贅沢を言ってもいいのなら二番目は、もしも怪我をしてしまったその時は、マネージャーよりも真っ先に自分を探してくれないかということ。それはきっと、近い内に実現される太陽の秘密の願い事だ。



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