貴方の鴇色の髪が風に揺れる様を見るのが好きだったと打ち明けたら、きっと困った風に笑ってくれるんでしょう?

 霧野蘭丸がこれまでのおさげ髪から心機一転。何を思ったかばっさりと両のおさげを切り落として登校して来たのは丁度定期考査が終了した翌日のことだった。部活動が禁止されている考査前と期間中、打ち込むべきは学問だが向けるエネルギーの質がそもそも違うのだと運動部の連中はペンを投げている。蘭丸もどちらかといえばその類で、ただ授業態度は真面目だから弾き出す点数も平均は超えている。だからこそ暇を持て余し、そうだ散髪しようとトレードマークと呼べるほど周囲には特徴と浸透していたおさげを捨て去ったのか。見た目を裏切って性格は男子のど真ん中を行くような質だったから、思い立ってしまえば未練も何もなかったのかもしれない。消えてしまった物を惜しむのは、いつだって当事者ではなく他人の役目だ。
 女の子がある日突然髪を切ればにわかに付きまとう失恋の憶測が蘭丸に当てはまるはずもなく。中学校からの付き合いで高校に入ってからも親しい山菜茜はすっきりしてしまった蘭丸の毛先を弄りながら悩ましげに息を吐いた。それが背後に立つでもなく机を挟んで顔を付き合わせての状態であったから、茜の仕草は若干目の毒と言えた。此処で頬を赤らめるだけの純情を発揮できれば良かったのだけれど、それはもう彼女には通用しないと知っているので蘭丸はただ直視をしないようにと視線をさまよわせるしかなかった。
 朝練で出会した際は何も言わなかった。驚いた顔はしていたけれど、近付きもせず声も掛けず。部員の大半が中学からの持ち上がりで、茜以外の連中には散々騒がれた。クラスでも声は掛からずとも視線が集まって、蘭丸は一日居心地の悪い思いをした。クラスメイトの男子がひとり髪を切ったくらいで皆反応が大袈裟過ぎるだろう。呆れ果てて愚痴れば同じクラスの神童は「確かに俺が前髪を切っても誰も気付かないのになあ」と苦笑していた。
 茜が蘭丸を彼の教室まで訪ねて来たのは放課後のことで、生徒たちは殆ど残っていなかったし、残っている面々も帰りの準備が終わればさっさと出て行ってしまった。蘭丸も部活に行かなければと思うのに、茜が彼の前の席に座ってしまったから去るに去れない。二人きりになってから漸く茜はぽつりと呟いた。

「髪、何で切っちゃったの?」
「別に、なんとなく」
「可愛かったのに」
「俺もう高校生なんだけど?」
「関係ないよ」

 茜の言う可愛いは言葉通りの意味を離れて単に似合っているの意だと理解しているが、それでもやはり男が貰って心弾む言ではない。そんな蘭丸の心情を知ってか知らずか、茜は彼の散髪に尖らせていた唇をあっさりと解き普段の柔らかな笑みを浮かべて見せた。相変わらず指は蘭丸の頬を掠める程の近さから彼の毛先を弄り倒している。

「蘭丸君が髪を切っちゃったから、次の人はインパクトに欠けちゃうね」
「…そうか?」
「そうだよ」
「例えば?」
「私とか」

 ウケを狙った訳ではない散髪が、まさか他人に影響するとは思ってもみなかった。尤も、わかりにくい冗談かもしれない茜の言葉を真に受ける必要もないのだろう。しかし茜が髪を切るかもしれない、そんな可能性があることに、蘭丸は思わずぎょっと目を剥いてしまった。出会った頃から変わらない三つ編みは、蘭丸のおさげと同様に彼女らしさとしてその印象を根付かせている。けれどやはり、蘭丸が特に思い入れもなくそれを切り落としてしまったように、茜も自分の髪型に対してさほど頓着しているわけではないのかもしれない。ある日ふと目が覚めて、そうだ切ろうと思ったら迷いのない足取りで美容院の戸をくぐりばっさりと行ってくださいと高らかに宣言する。想像してみて、自分が言うのもなんだけどやめてほしいと思ってしまったことに蘭丸は勝手だなあと肩を竦めた。その仕草をどうやってか隅々まで正しく読み取った茜は「切らないよ、暫くは」と安心材料にもならない言葉を言って寄越した。確かに、未来永劫切らないなんて約束は出来ないだろうし、長さを揃える程度の鋏はこれまで何度も入れているだろう。蘭丸が特別拘るような理由も思い当たらないから、食い下がることはしない。

「茜はインパクトに欠けるっていうけどさ、」
「うん」
「俺の時より、茜がばっさり短くしたら絶対そっちの方がみんな驚くと思うよ」
「……そう、」
「何となくだけど」
「失恋したのとか、聞かれちゃったりして」
「――かもな」

 いつか茜が誰かに失恋したとして、それを理由に髪を切るような玉じゃないと蘭丸は知っているが、周囲はそんなことお構いなしにただ探って疑って盛り上がりたいだけ。茜が誰を想っているかは知らないし、恋をしているのかどうかすら蘭丸は尋ねたことはない。だけど、放課後の教室で二人きり、こんな至近距離で触れ合うような関係の相手が何人もいるとは思いたくない。要するに、蘭丸は自分も茜の中ではなかなか好位置につけていると信じていたいのだ。そんな蘭丸の真剣を、茜はいつだってひらりと交わしてしまうけれど。そのくせ思い出したように、こんな風にあっさりと彼の間合いに飛び込んできたりする。

「…好きだったよ」
「は?」
「私、蘭丸君の鴇色の髪が風に揺れるの、好きだったよ」
「…へえ、」
「こっそり何枚も写真に撮ったりしてるの、気付いてた?」
「いや、全然」

 ずっと髪に触れていた指がすっと引いていく。茜の言葉に惚けていた蘭丸は、それでも咄嗟の判断で彼女の手を掴んでいた。たぶん、このまままたすり抜けようとするのだろう。だけど折角きっかけを貰ったのだから、引き寄せてみたい。たぶん何となく、茜だって何かを期待しているような気がしているから。

「髪だけか?」
「―――、」
「茜が好きだったの、俺の髪だけ?」
「…秘密」
「な…」
「私が蘭丸君の欲しがってる言葉をあげたら、蘭丸君も私の欲しい言葉をくれるって約束してくれるなら言うよ」
「それは…」
「いきなり髪なんか切って、失恋が原因だったらどうしようって朝からずっと考えてたんだよ?」
「いや、俺男だし」
「だって蘭丸君だもん。有り得ないとは言い切れないでしょ」
「本人が有り得ないって言ってるんだから信じろよ」
「もう、そんなこと今はどうでも良いの!」

 駆け引きにもならない、蘭丸の選択肢はもう一つしか残されていないようで。勝利を約束されている茜は無邪気に頬を膨らませて彼の遅々とした対応を咎めている。飛び込んで来たのは茜の方だとばかり思っていたけれど、案外自分の方だったのかもしれないなと、蘭丸は諦めた。それは勿論、茜の前で格好つけるだとか、元々必要のなかったことを。

「好きだ」

 告げた想いに、茜は驚くでもなく「やっとだあ、」と花が綻ぶように破顔した。その一言に、蘭丸は心底ほっとして、それから少しだけもっと早く踏み出せなかった一歩を反省する。
 急に先程まで茜が触れていた毛先が落ち着かなくて、切り揃えたばかりの襟足辺りがこそばゆい。思いきって髪を切ったら恋が実るなんて、ジンクスにもならない教室の片隅での告白を蘭丸は忘れない。きっといつだって簡単に思い出すことが出来るだろう。
 ――あれはそう、長いこと伸ばしていた髪をばっさりと切った翌日のことだった、と。


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Title by『ハルシアン』





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