剣城京介は未だに雷門中に於いてサッカー部以外には目を向けていないようだった。目を向けたとしても常日頃行動を共にするのは同じサッカー部員の面子であるからさほど深い友情は築かれないだろう。幸いサッカー部という囲いによって剣城の身近に陣取ることが出来た葵が彼に恋をしてその想いを成就させるまで、何も平坦な道程を歩んできたわけではない。恋する乙女の疑心暗鬼と自意識過剰と誇大妄想は葵の心を乱すに乱して剣城の一挙手一投足に溜息と吐息を禁じ得ないような日々だった。不自然にならないように、だけど出遅れないように。ドリンクとタオルを手渡すタイミングを慎重に測りながら他のマネージャーとの距離も忘れてはならない。出来るだけ柔らかな笑顔を添えて、媚びを売っているとは思われたくはないから視界に剣城が映らないことは不安でも仕事は迅速に影ながらが基本。それでも重たいクーラーボックスを運ぶ葵から無言でそれを奪い取ってさっさと歩いていってしまう剣城を慌てて追いかけながら葵の胸はキュンと甘く疼く。いつしか添えた笑顔に微かな笑みが返されるようになり校舎でも立ち止まって話してくれるようになった。部活動以外の
話題でメールを送り合うようになり時には二人きりで帰り道を共にすることもあった。幼馴染との帰りとは違う歩調、心音、熱い頬、意識とは離れて喋る唇、鞄を持つ手に籠る力。危ないから送っていくとあっさりと別れ道の境界線を剣城が踏み越えた時、葵は自分の心臓が破裂して死んでしまうのではないかと危ぶんだ。だってときめき過ぎて死んでしまうだなんて、間接的とはいえ剣城に殺されたことになってしまう。それは何だか彼に申し訳ないから、葵は必死に早まる鼓動を鎮めようとした。そして何よりサッカー部の仲間として認められていることよりも女の子として案じて貰っていることがこの時の葵には嬉しかった。
 葵の自宅前まで辿り着いてしまえば「それじゃあ」と別れを切り出すしかない。二人きりの延長時間に動揺したくせにいざ終わろうとすると名残惜しい。家の門扉に手をかけると鞄がぶつかって予想外に音が煩く響いた。場をしらけさせる騒音に葵は青ざめて送ってくれたことへのお礼を告げてさっさと自宅に逃げ込んでしまわなくてはと息を吸い込んだ。葵を脅かしときめかせる剣城は目の前に、何の脅威も持たない城は葵の直ぐ後ろに。だが葵は目的を達することは出来なかった。急に態度を一層ぎこちなくさせた葵の意図を、もしかしたら剣城は見抜いてしまったのかもしれない。掴まれた腕を振りほどくことが出来ないまま、引き寄せられて奪われた唇の熱を葵は今でもはっきりと覚えている。
 告白とキスの順番が逆だったことは葵にとって大した問題ではない。それよりも、想うばかりに精一杯で同じくらい、若しくはそれ以上の愛情を返された時にどう反応したものか、そればかりが今の彼女にとっては最大の懸案事項だ。例えば、移動教室で教室に戻る途中、出くわした剣城に手を挙げて声を掛けようとした瞬間に空き教室に連れ込まれて抱き締められてしまった場合の正しい対応を、葵の沸騰寸前の頭は必死になって探しているのだ。

「つつつ剣城君!?」
「ん?」
「ん、じゃなくて!ええと、あの、どうしたの?」
「さあな」

 葵が動揺していることなんてわかりきっているだろうにこんな素っ気ない態度を取る剣城はひどい人だ。自分にはそう彼を謗る権利がある。けれどその権利を行使する為に葵が負う義務はまた彼に振り回されることなのだろう。
 腕を解かれて、呼吸を整えながら確認した時計の針が葵を急げと追い立てる。彼女の視線の先を見抜いた剣城がまた腕を掴んで歩き出した。引きずられるように着いていく葵はすれ違う生徒たちの視線が気になって仕方がない。行き先を尋ねても答えは曖昧で、ただ上を目指しているから屋上かしらと察しはつく。腕を掴んでいた手がいつの間にか下りてきて葵の手を握っていた。気付いた途端気恥ずかしくて、握り返すかを悩んでいる間に屋上へと着いてしまっていた。

「剣城君…」
「何だ」
「暫くこのままでも良い?」
「…ああ」

 フェンスに寄りかかって手を繋いだまま腰を下ろした。漸く繋がる手に力を籠めて、その瞬間から葵はこのままずっと、というありがちな不可能にとり憑かれたのだ。温かい空気が、通り過ぎずに自分たちを包んでいるかのようだった。こんな時間にいるはずのない珍客を遠巻きに眺めているかのようでめあった。お互いばかりを意識して、始業のチャイムなんぞ聞き漏らしてしまった。仮にまだ鳴っていないとしても慌てて駆け出す気にはもうなれない。おずおずと剣城の肩に頭を預ければすんなりと受け入れられる。この距離感を手にしたのだと葵が実感していること、その全てを剣城もまた幸福として噛みしめている。
 サッカー部以外にはとんと関心がないものだから、顔を出すようになった教室は随分と淡色に映る。入り込む人間関係の隙間がない訳ではないが、剣城はそれすら探さない。教室、廊下、校庭。サッカーを離れた剣城が此処で探す存在は葵だけだった。自惚れないように、離れすぎないように、やっと手に入れた彼女がおかしいくらい自分を好いてくれていることを剣城は知っている。引き寄せて、口付けたあの日からやっと理解し始めた。
 そして、通じ合った想いから初めて理解することがあるのは何も剣城だけではない。

「――剣城君ってさ、」
「…?」
「私のこと、結構すっごく好きだよね」

 それはつまりどれくらい好きなのだろうか。日本語のややこしさに、剣城は訂正を求めたりはしない。だが彼の肩に頭を乗せたまま今更なことを言う葵に剣城も頭を預けた。どこまでも睦まじく幸せで、授業をサボっているという罪悪感さえなければ完璧なのに。尤もこの些末な不安を抱いているのは葵だけらしく、剣城はやはり何にも見向きしない。ただ葵が好きで、見つけたから捕まえたのだ。自分のものだと、そんな傲慢で。
 けれど無抵抗で浚われてしまう自分にも意思というものがあって、無抵抗こそが葵の選択だったから全てがたった一つの恋しいという想いから広がって自分たちを支配しているのだ。

「私、剣城君のこと結構すっごく好きだよ」
「…知ってる」
「うん。私も」

 それだけのこと、大それたこと。二人だけが知っていて、それで良いのだと。
 きっとこんな愛しさの余韻に浸りながら剣城を見上げればいつかの帰り道と同じキスが降ってくるに違いない。そんなことを、葵はきちんと知っている。



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しかるべき愛
Title by『Largo』



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