突きつけられた切っ先に、茜は決して怯えたりはしなかった。そのことが沖田の警戒心を高めることに繋がった訳だが、茜にはそんなことはどうでも良かった。新撰組随一の剣の使い手である沖田総司。そんな彼が握る本物の刀。どうか一瞬で終わらせて欲しい。身を裂く痛みにもがいたこともない、暗転に続く血の海に身を浸したこともない平和な未来に生まれ育った茜の望みはいつだって痛がりたくないだの苦しみたくないだの、そんな甘ったれた自己愛に満ちている。沖田が眉を顰めるのは、彼女がそんな風に自分に都合の良い過程を求めながら死という結末だけは受け入れてしまっているからだ。生きたいから痛いのを嫌がる。生きたいから苦しみたくない。そういうものではないのか。未来から来たという少女は、自分たちの暮らす時代よりも殺伐と過ぎ去る日々を無感動に冷めた瞳で見つめていた。そして表情を変えることなく沖田の訴えを退けるのだ。

「生きているから痛い、生きているから苦しい。意思とか願いとか、あまり関係ないんです。それだってこれまでの経験から得た結果です」
「だから死ぬのか。過程が結果に変わったから何なんだ」
「…死ぬのなら、仮定です」

 茜が悪戯っ子のように笑む。だが本物の悪戯っ子より質が悪いのは彼女が全力でないことだ。子どものように相手がどんな反応をするのか悪戯に夢中になって全力を注いでいるならば、沖田はそれを叱ることも苦笑してやることも出来たのに。茜はそんなことちっとも興味なんてありはしないのだ。沖田が自分の軽口に怒ろうと黙殺しようと構わない。ただ不快のあまり抜刀するならばいつも言っているように一瞬で終わらせて欲しいと願っている。それがわかっているから、沖田の腹に湧いた感情は出口を失っていつまでも消化不良のまま彼の中に積もっていく。おなごとはまこと奇っ怪なものだと沖田は何も語らぬ壁に拳をぶつけた。それにすら、茜は素知らぬ顔で見つめてくる。

「沖田さん、恋をしたことはおありかしらん?」
「――は?」
「やだ、そんな怖い顔しないで」

 クスクスと萌葱色の着物の袖で口元を隠しながら笑う茜の仕草はとても子どもには見えなかった。この時代では茜程の齢になれば一人前として扱われることが多いが、彼らの言う未来ではまだまだ子どもの域であるという。それは嘘だったのかと胡乱気に目を細めれば彼女はふいと沖田から顔を背けた。そして独り言みたく呟く。

「痛いのはもう嫌」
「ねえ沖田さん」
「貴方――」
「恋をしたことはおありかしらん?」

 やけに強調された区切りが、彼女の言葉に不気味な迫力を与えていた。思わず沖田は一歩足を引いて、だが無視も出来ずに首を横に振った。恋なんて、全く意識したこともない。そんなことにうつつを抜かすくらいならば剣術の鍛錬に励むべきなのだ。この表現に浮かぶ色恋を軽んじる立場に沖田は立っている。彼にとって必要なのは支えてくれる誰かではなく新撰組を支える強さだった。強くあろうとした。それが理想である限り女子供は弱いものとして映り続けた。沖田の容姿を褒めそやす噂話の火元は町娘たちの遠巻きからの憧れで、そんなものに見向きもしない。こんな近くに女を前にすること自体沖田には珍しいことだった。だから彼にはわからない。茜が纏う気迫と諦観、悲嘆と怠惰が全て彼女の通り過ぎた恋心に端を発しているということを。

「斬られるってきっと痛いんでしょう?」
「………」
「でも私思うの。無惨に散る恋の寄る辺なさに比べたら、どんな痛みも及ばない」
「――そんなはずはない。命を削る痛みを蔑ろに出来る筈がないんだ!」
「それは私の心の話?それとも貴方の胸の話?」

 決して俊敏ではない動きで茜は沖田の懐に潜り込み、両手を心臓の上に重ねて耳を当てる。伝わる鼓動が乱れているのは病の所為ではなく茜の所為だろう。見上げれば強張った顔の沖田。
 ――小娘ひとりにそんな怯えないで。
 唱えても沖田の硬直は解けない。だから茜は何を促しても無駄ねと彼の背中に腕を回して抱き締めた。一層身体を強ばらせたものの予想に反して突き飛ばされはしなかった。
 ――嗚呼、貴方恋を知らないの!
 好いたおなごがいるならば、沖田のような真っ直ぐな男はきっと茜を受け入れない。想いの行き先に関わらず身の潔白は立てるに越したことはない。
 茜はどうしてか、血に濡れ続けてきた沖田の清純が哀しくて仕方ない。年上の男性にこんな気持ちを抱くなんてどうかしているのかもしれない。だけどそれも仕方ないという気もした。茜の胸を占領していた恋が砕け散った日から、彼女は彼女であってそうではなかった。無気力に呼吸をし身体を動かしながらどこか他人事のように自分を見つめ放置してきた。けれど心だけは絶えず痛み続け、外傷もなく言葉に訴えることも出来ず何故これほどの痛みが致命傷にならないのかがわからない。呼吸する度にすり減る心はギリギリで絶えることなく無為に過ごす日々はどこまでも億劫だった。だから死んでしまっても構わないと思った。けれどどうか、これ以上私を痛めつけないで。それだけが茜の願い。沖田には到底許されない命への軽蔑。彼が抱える病の痛みを茜は知らない。彼には最も堪える痛みだとしても茜にとっては違うのだ。

「ねえ沖田さん、私、貴方なら私を殺してくれると思ったんです」

「――何故」
「さあ、何故でしょう。強いから、心を定めているから、色々と理由はあったはずなんですけど…」
「俺には君を殺す理由はない」
「でも斬れるでしょう?」
「なにを――、」
「簡単なことでしょう…?」

 硝子のように透明で、取り込む光の行き先を見せない虚無の瞳が初めて揺れた。溢れ出した涙が茜の頬を伝い落ちていく。
 ――実らない恋を咲かせるより。癒えない傷を愛すより。よっぽど簡単なことでしょう?
 今までのどの言葉より情の籠もった茜の言葉に、やはり沖田は頷いてはやれない。これまで信念の元に斬り伏せてきた命は多過ぎる。だからこそ、生よりも死を望みたくはなかった。信じても亡霊は人を殺さない。生きていなくては何も為せず残らない。死と楽は、決して同義語ではないのだから。
 沖田の胸にしがみついて茜は泣いた。伝わってくる振動も、弱々しく駄々を訴えて叩きつける拳も、どれも彼の胸を病で痛めつけはしなかった。けれど締めつけられる息苦しさに不思議を感じる。そして次に予感が追いついてくるのだ。この息苦しさは痛みとなって、きっと振り払えばしないのだと。
 泣きじゃくる茜を抱き締めてみる。まるで立場が逆転し身体を強ばらせる彼女は求めるばかりで何一つ沖田に許してはいなかった。この状況は、好きでもない男に抱き締められているというおぞましいことこの上ない。そこに相手との親密さは関係ない。茜はたった一つの恋を選んでいた。沖田と出会うよりもずっと前から。
 ――恋をしたことはおありかしらん?
 演じるように茜の声が耳に蘇る。恋なんてしたことはなかった。することもないと思っていた。けれど沖田は首を振る。わかり始めてしまった真実に、成程確かに激痛だと納得する。だがやはり沖田が茜の願いを叶える日は来ないだろう。好いたおなごを望んで斬り殺す男なんぞ、この世にいるはずがないのだ。



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ひとりじゃいけない
Title by『彼女の為に泣いた』




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