握り締めた封筒を見下ろしながら葵は途方に暮れていた。薄桃色の手紙に綴られた想いはきっとこれと同じ色をしている。今時好きな相手に想いを伝える手段に手紙を選ぶ人間は少なくて、しかし確かにその人の想い人である彼はそうした遠巻きな手段でなければ近付けないような雰囲気を醸し出している。特に彼の世界の外の人間に対してはその傾向が見られる。だからといって、剣城京介への恋文を葵に託されても困るのだ。彼の下駄箱や机にこっそりと忍ばせるくらい放課後になればいくらでも自分で渡すチャンスはあるだろうにと嘆かずにはいられない。だって、剣城と葵はお互い秘めた想いを打ち明けあって結ばれたれっきとした恋人同士なのだから。
 しかし付き合い初めて間もない二人の関係を、葵は声を大にして宣言することが出来ない。落ち着いて剣城と両想いだったという幸せな事実に慣れてしまえば欲を言うことも出来るけれど、恋愛について未経験な部分が多すぎる彼女は今だって行き当たりばったりで戸惑っている。時折、剣城になのか恋愛になのか、どちらに戸惑っているのかわからなくなってしまう程に。自分に自信がないわけではなかったけれど、誰かの恋人になるに相応しいと胸を張ったことはなく、また剣城の性格を慮って葵は彼と付き合い始めたことを誰にも打ち明けることが出来なかった。
 だから一度も言葉に乗せたことがなかったのだ。「私は剣城君の恋人です」と。そしてそれがいけなかった。同じ部活のマネージャーならば多少親しいだろうと利用しようとするくせに、お互いが恋愛対象と見合うことは決してないという図々しい希望的観測で他人の平穏を乱す余所者を追い払うことが出来なかった。「剣城君に渡して」と押し付けられた封筒を、破り捨ててやりたかった。人前で露骨な接触をしたことはない。それでも、そういう場面を見なければ誰も自分たちを結び付けては考えないのかと気付いてしまった瞬間、葵は自分の殻に籠もってしまった。とても目の前に現れた恋敵と戦う態勢など整えてはいられなかった。きっと何も言わなかったろう。それでも相手は構わないのだ。ただ手に無理やり握らせた封筒を葵が剣城に届けてさえくれれば彼女のことなどどうでもいい。そんな風に虫の良い考え方を押し通せるのが恋する女の盲目さなのだから。
 受け取ってしまえば責任があると葵は思う。だけど勿論渡したくなどない。まだ自信の持てない関係にわざわざ隙間風を受け入れるような真似はしたくない。けれど葵にはこの手紙を剣城に渡さずに処分するという選択肢もなくて、直接渡すなんて以ての外で。辿り着いたのは剣城の下駄箱にこっそり忍ばせておくというもの。尤も、これならば葵が仲介に入る必要は全くないのだけれど。
 しかし下駄箱の前までは来たものの、葵は一向に剣城の場所に手紙を置くことが出来ないでいる。一度手放してしまえば、もうこの手紙の行先を知る術はないのかと思うと葵の心はどんどん重くなってしまう。
 ――私、嫉妬してる。
 剣城が葵以外の女の子に良い顔をするとは思っていない。この手紙に応えるとも思っていない。そんな軽い人だとは疑わない。それでも、剣城の知らないところで女の子たちは好き勝手に彼を想っていられる。ほんの少し前の葵がそうだったように。こうして剣城の間合いに入り込んで自分の気持ちの欠片を残そうと画策している。そのことが葵には耐えられないのだ。
 ――やめてよ、やめて。お願いよ、お願い、入ってこないで!
 叫び出せる筈がない。だけどいつも思っている。剣城と結ばれたあの日から。恋人という名前を貰っても足踏みしている自分が悪いとはわかっている。しかし葵には葵のペースがあるのだ。それを否定されて、押しのけようとされること、葵はそれが怖い。

「――空野?」

 名を呼ばれ、はっと振り返る。そこには剣城が立っていて、自分の下駄箱の前でいつまでも動かない葵を訝しんでいた。様子がおかしいと心配してくれてもいるのだろう。しかし今の葵は頭の中を占領しながらも決して会いたくなかった剣城の出現に混乱するしかない。

「あ…あの、私…ただ手紙を頼まれただけで――」
「手紙?」
「あっ――!」

 余計なことを言わなければ良かったと、葵は手にしていた封筒を背中に隠した。これがどれだけ下手くそな対応であるか、客観的に見れば直ぐわかること。後ろめたそうに顔を伏せる葵に、剣城はずかずかと歩み寄り強引に彼女が隠していた手紙を奪い取った。書かれていた宛名が自分だと確認すると無遠慮に封を破り中の文面に軽く目を走らせる。葵の手紙を頼まれたという一言に、もしかしてと過ぎった予感はあっさりと的中して剣城の機嫌を降下させる。それは表情にもありありと不快の色を浮かべて、葵は肩を縮こめてしまう。怒ってはいるけれど、責めたくはない。

「…空野、あまりこういう手紙は受け取らないでくれると助かる」
「――ごめんなさい」
「いや。女同士で断りづらいとかもあるんだろうが、その、俺はお前が好きだし」
「……うん、」
「それなのに、よりによってお前がこんな手紙届けに来るとか、結構傷付く」
「……うん、」
「あと泣くな。慰めるのは、得意じゃない。……悪い」

 とうとう泣き出してしまった葵に、剣城は困ったように頭を掻いて、それからおずおずと手を伸ばし彼女の髪に触れた。それも僅かな時間で、直ぐに行き場所を無くした手はすんなりと降ろされてしまった。それでも葵の涙は止まるのだ。剣城が触れてくれた、たったそれだけのことで恋する少女の思考は流されて混乱してしまう。顔を真っ赤にして俯いてしまった葵の胸中が、先程顔を伏せた時とは全く違うものであると剣城は理解しているつもりだ。手にしていた手紙に視線をやる。記されていた名前には全く心当たりがなく、そもそも葵と部活のマネージャー以外思い浮かぶ女子生徒がいない剣城には正直何も訴えることのない紙切れだった。少なくとも葵に恋い焦がれている人間として、他人の恋心にそれなりに敬意なり共感なり示すべきなのかもしれないが無理だった。ただせめてもの気遣いとして、剣城はその手紙を容赦なく破って玄関の隅に設置されているゴミ箱に捨てた。これで誰かに面白半分で読まれてしまうこともないだろう。それが、剣城が唯一見ず知らずの相手に贈る誠意だった。
 だが躊躇いなく目の前で行われた振る舞いに、葵は目を剥いて剣城の顔を凝視していた。普段見つめ合うことにも恥ずかしさを覚える彼女にしては珍しいほどの視線だった。

「剣城君、手紙…捨てちゃうの?」
「ああ。応えられないし必要ないからな」
「でも…返事とか」
「さあな。直接言いに来もしない人間のことなんて直ぐに忘れる。それに――」
「………?」
「いや、それよりもう帰るぞ」
「一緒に?」
「…何か用事あるのか?」
「ううん、ない!一緒に帰ろう!」

 ひとりで帰るものとばかり思っていた時に寄越される不意打ちの誘いほど嬉しいものはないと、葵は沈鬱な表情から一気に浮上して顔を綻ばせた。そのことに剣城も満たされる。
 葵が何かを思い悩んでいることは見ていればわかる。ただそれは、恋愛経験の不足から戸惑いでそれは剣城も同様だった。サッカーしかしてこなかったから、女の子の扱いなんてわからない。それが一番大切な女の子となれば殊更慎重にならざるを得ない。だからそれは二人で徐々に慣れて行けばいいと思っていたのだけれど、世界に二人きりでない以上そう悠長に構えてもいられないのかもしれない。今日のように、余計な横槍に心を乱されては堪ったものではない。
 ――それに。俺の与り知らない場所で空野が俺のことで苦しむのはおかしいだろう。
 先程言いかけて飲み込んだ言葉を思い出す。葵はもうそんなことを気にしていないのか、ちらちらと剣城の方を窺っている。そういえば、まだ自分は外履きに履き替えていなかった。靴を履き替えて歩き出すと、葵は隣に並んで歩き出す。そしてその位置取りに許可を求めるようにまた彼を見上げるのだ。もっと図々しく剣城の隣を独占すればいいものを、葵はどこまでも剣城個人を他者として立てている。それは間違ってはいないけれど、もう少し思い上がってくれると助かる。剣城は出来るだけ澄ました顔を取り繕って葵の手を取った。動揺して上ずった声で名前を呼んでくる葵の抗議を却下してそのまま歩き続ける。
 剣城だって、慣れない恋愛にいつだって必死に平静を装って葵と向き合っている。葵だけが苦しんでいるわけじゃない。打ち明けるにはまだ格好つけたい意地が勝ち過ぎている。どちらにせよ、他人の恋文なんて受け取っている暇はないのだ。もう二度とこんな面倒なことが起こらないよう、明日にでも口が軽そうな輩の前で葵を抱き締めて見せようか。それくらいならばぎりぎり羞恥心に打ち勝てる気がする。
 そんな剣城の算段は、葵が弱々しく彼の手を握り返した瞬間停止する。
 ――やっぱりキスくらいしとくか。
 あっさりと覚悟を決めてしまった剣城の目論みを探知しようのない葵はただはにかんで、少しだけ手紙の差出人への罪悪感を抱えながらやっぱり渡したくないなあと繋いだ手から伝わる温もりに幸せを感じていた。


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Title by『にやり』




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