――夏休み。
 課題をこなすに必要なプリントを学校に置き忘れていたことに気が付いて、人気のない学校に取りにやって来ていた茜は帰りの玄関口で神童と出会った。彼は担任に用事があって、丁度今日は日直で学校に来ていると知って立ち寄ったらしい。
 サッカー部の練習が珍しく三日間も続いて休みになって、その最後の三日目の出来事。これまで毎日のように顔を合わせていた相手と二日ぶりに会うということはどうも妙な心地だった。久しぶりと挨拶するには、きっと離れた時間は短すぎるだろう。だが思わずそう言ってしまうほど、お互い随分と時間を挟んで再会をしたような気がした。
 元々は他人と顔を合わせる予定ではなくとも相変わらず手放されることのない茜のカメラは今日も彼女の手の中に。距離を挟む理由はなく、二人は無意識に校門までは共に行くのだろうと並んで歩き始める。上る話題はサッカーからは離れて夏休みの課題の進捗具合だったり、自分たちのプライベートの一部だったり、夏休みを満喫する友人たちだったりと思いの外多岐に渡った。そのことが、僅か数分の歩みで別れてそれぞれの帰路に着いてしまうことへの名残惜しさを生んだ。

「暑いけど、ちょっと寄り道しないか」

 神童の申し出に茜は瞬きを数回置いて頷いた。どこかから聴こえる蝉の喧しい鳴き声が、こんな真夏の日差しの下外出時間を長めることを愚かしいと咎めている様だった。神童の歩き出す道に続く茜は、彼と二人きりの時間を持てることに胸を弾ませて、また彼の選んだ道が自分の通ったことのないものであることにも好奇心を湧き上がらせた。
 普段の通学路とは違う道、風景。茜は神童が隣にいることを忘れないまま存分にはしゃいだ。路肩の日陰でだらしなく寝転がる猫。民家の塀を飛び越えて顔を覗かせる向日葵。河原を駆け抜けていく真っ黒に日焼けした子どもたち。日差しを受けて輝く川の水面。お洒落な外観の建物。自分の暮らしている身近な場所にありながら、初めて出会う光景に茜は次々とシャッターを切る。まるで小旅行にでも繰り出した気分だった。
 大袈裟なまでに動き回る茜の為に、途中神童が自販機で購入したアイスティーは表面に水を滴らせながら彼の手を冷やしていく。汗ばむ額と身体の熱とは正反対だ。熱中症にならないようにと目を配ってはいるけれど、水分補給を促すタイミングは掴めなかった。部活とは違い、休憩時間なんてないのだから。しかし浮かれて先行している茜が、時折神童の存在を確かめるように振り返るから、その度に彼は微笑んで大丈夫だと先を促した。

「――…雨?」

 遠くの空の端にしか見えていなかった積乱雲にいつの間にか追いつかれて、晴れていた空に僅かばかりの通り雨がやって来た。走って雨宿りをする暇もなく、茜が慌ててカメラを庇うように抱き締めてしゃがみこんだから、神童も駆け寄って気休めにと鞄を傘代わりに彼女の頭上に掲げた。申し訳ないと詫びるように見上げてくる茜に、神童は首を横に振って笑う。精密機器は些細な水気も好ましくないだろう、と。
 通り雨はほんの数分で過ぎ去った。カメラばかりを庇った二人とも衣服はしっとりと湿って肌に張り付いている。季節柄と気温のおかげで寒さに震えることはないし、細やかな涼を取ったと思えば気持ちも軽い。しかし往来を濡れたまま闊歩するには流石に抵抗があった。何より女の子である茜の張り付いたシャツの下に透けるキャミソールをそのまま晒して置いてはいけないのだろう。そんな確信が神童にはあった。

「家によって乾かそう」
「……え」
「すまない。俺が寄り道しようなんて言ったから…」
「ううん、私楽しいよ。写真、いっぱい撮れたし」
「…ありがとう」

 お礼を言われたことで「おべっかじゃないんだけどな」と思ったが言えなかった。歩き出してしまった神童の、今度は半歩後ろを歩く。現在地から彼の自宅への道のりを、茜は知らないから。
 それから数分後、噂と違わぬ豪邸に辿り着き、自分の背丈より高い門が自動で開いた時は驚いた。平然と門が開ききるのを待っている神童に、茜は少しだけ気落ちしてしまう。玄関の扉までまた歩いて、邸宅の中に足を踏み入れると何処か甘い花の匂いがした。
 濡れた服を乾かすから、その間の着替え用にと手渡されたのは神童が普段着として着用している白い薄手の長袖のシャツだった。生憎、女の子用の服は母親の物しかなくて勝手には持ち出せないからとすまなそうに事情を説明した。別に不満はないのだが、一応「気にしないで」と告げてから着替えを受け取る。スカートはあまり濡れていないから、乾かすのは制服のシャツだけだ。着替え終わったら声を掛けてくれと言い残して神童は部屋を出ていく。ひとりきりになった部屋で既に乾き始めているシャツを脱ぐ。下のキャミソールはどうしようかと一瞬悩んだがそのまま神童に渡されたシャツに袖を通した。きちんとアイロン掛けされている、それでいて柔らかい感触と馴染みのない清潔な香り。少しだけ大きくて、余った袖口を摘まんでみると自然と顔が綻んだ。

「シン様……好き、」

 思わず溢れ出た想いが、甘い痛みとなって茜の胸に広がっていく。あんな風に並んで隣を歩けること自体、ときめきが爆発して胸が潰れてしまうのではないかと思ったのに。予期せぬ通り雨の恩恵で招かれた神童の自宅で、彼の衣服を身に纏っているなんて未だに信じられない。
 茜は神童に恋をしている。そんな、彼女の中で今となっては普遍的事実が神童の一挙一動で波紋を広げて彼女の心を揺さぶる。夢のように幸せな時間でも、想うだけの恋にふとした瞬間に哀しみは過ぎる。どうか夢でも醒めないで。そんな茜の願いは夏の夕暮れに解けていく。
 部屋に備え付けられた机に置かせて貰ったカメラを見つめる。撮りすぎた写真たちがきっと茜に刻む。これは眩しい真夏の夢。あと数時間も経てば、神童は優しく微笑みながら控えめに手を振って自分を見送ってくれるだろう。遠ざかっていくその姿を想像しただけで、茜の胸は寂しさに沈んでいく。
 雨に揺らされた心は、確かに神童に愛されたいと叫んでいた。



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他に何も望まないから君を
Title by『にやり』


BGM『squall』



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