※高校生


「キーパーのお前が楽できるように、あたしがしっかり守ってやるからな!」

 いつだったか、恋い慕っていた女の子にこんな勇ましい台詞を貰ったことがある。あれは確か、まるでGKの集大成のように憧れた人と入れ替わるように守ることになったゴールに対して、どこか自信を持てなかった頃のこと。今ではもう、立向居はGKとしてその資格を自分に問うようなことはしない。けれど、あの人はきっとどれだけ自分が頼りがいのあるGKになったとしても同じようなことを言うのだろう。だって彼女は、財前塔子はそういう女の子だから。


 久しぶりに、雷門の皆で集まってサッカーをしようということになった。丁度、部活の方では全国の大きな大会が終わったばかりで一区切りがついていたから、招集もかけやすかったのだろう。馴染みの面子とは敵チームとして大会で顔を合わせることも多く、それはそれで贅沢な繋がりを持っていると立向居は知っている。嘗ての仲間たちのシュートを受け止める度、彼等は本当に凄い選手なのだとその認識を新たにする。ただ、自分もその枠の中に立派に収まっているということだけは、いつも自覚を欠如させていた。
 敵チームとして相対することもGKとしては魅力的ではあるのだが、やはり仲間として一緒に楽しむサッカーというものも立向居は好きだった。あの中学の日、飛び込まなければまだずっと後方で必死に走っていたかもしれない。そんな立向居のサッカー人生の転機を共に過ごした人たちは相変わらず揃ってサッカー馬鹿のまま掛かった招集に距離も料金も時間も二つ返事で工面して応じている。立向居自身その中の一人だ。つい最近顔を合わせた者もいれば随分久しぶりに会う者もいて、まだ全員集合には至らない暇な時間も昔話に花を咲かせてしまえばあっという間だ。

「――立向居!」

 会話の切れ間を見計らったかのように、立向居の名を呼ぶ声と彼の背を誰かの手が叩いたのは同時だった。驚いて、声を上げて振り向くとそこには制服姿の塔子が立っていた。腰に手を当てて足を開いての立ち姿は彼女の変わらぬ快活さを窺わせている。だが、制服姿となると塔子が来ているのはスカートだ。立向居は彼女と行動を共にしていた頃から一度もそんな姿を見たことはない。物珍しさと、新鮮さ。久しぶりの再会への挨拶も忘れて頭のてっぺんからつま先まで視線を何度も往復させる。そしてそれに気付いた塔子は立向居の言いたいことを正しく理解した上だろう。

「クラスの女子には男子の制服も似合うって言われたんだけど、やっぱりあたしも女の子だしね」

 そう歯を見せて笑いながらおどけてみせた。立向居は一瞬言い訳を考えてしまったけれど、それは意味のないことだと黙った。それから塔子はユニフォームに着替えて来るからと立向居の元を離れて行った。彼女が駆けて行く先には未だに仲が良いらしいリカが手を振って待っている。彼女たちには久しぶりという感覚は当て嵌まらないようで、二人並んでいる光景でなくとも塔子ひとりにさえ上手く言葉を掛けられない自分に立向居は取り残されたような錯覚に陥ってしまう。
 立向居が塔子のことを好きだと思ったのは中学生の頃で、一緒に日本中を回っていた時のことだ。伝える時間的余裕も心理的余裕もなかった。ただ自覚して、そっと立向居の心の一角に陣取った想いは別段刺激を受けることもなく彼の胸に宿り続けている。当時男女の差に疎かった塔子が、彼の向けてくる視線の熱に気付いてくれるはずもなく。年下の可愛い後輩として立向居への認識は落ち着いてしまった。それはきっと不幸なことではない。様々な廻りあわせが重なって出会った仲間同士、誰も彼もがそんな認識をお互いに抱いているのだから。ただ特別ではないというだけ。それを望むには、あまりに彼は憶病で行動を起こさなかった。
 あの頃の塔子に恋愛感情を突きつけることは結果に関わらず無知故に軽やかに飛び回る蝶を地面に叩きつけるようなものだった。拒まれることは立向居だけが傷付けばいいことを、きっと塔子は悲しんだだろう。同じフィールドに立つ人間を、彼女はどこまでも仲間として平等に括った。もしかしたらそれは、女の子として扱われたくない彼女の意地が促した防衛行動だったのかもしれないが。それにしたって塔子は女の子だからと見下されるような選手では決してなかったので、誰も塔子が自分の選手としての価値をどう思っているかなど気にしたこともなかっただろう。立向居も、自分を研鑽するだけで精一杯だった。
 ぼんやりと突っ立っていると、いつの間にか着替えを終えた塔子がまた傍にやって来ていて、気合いが足りないと立向居の背を再会時よりも強い力で叩いた。地味に痛かったけれど、クラスで男子同士やりあう際に籠る力に比べたら断然マシだった。そういう所に、過ぎた月日を感じてしまう。

「もうこうやってあんたたちに混ざってサッカーするのも最後かもねー」

 腕を伸ばすストレッチをしながら塔子が言う。視線の先はグラウンド、何人かがボールを蹴って回している。立向居も彼女と同じ方向を見つめながら、彼女の言った言葉を反芻する。それから、信じられないものを見る目で塔子を凝視した。彼女は立向居を見つめ返さないけれど、穴が開くほどの視線を感じて苦笑した。

「ボール蹴り合うくらい簡単なことだけど、そろそろ男女の差も歴然だしね」
「普段サッカーしてないんですか」
「高校入ってから割と忙しくってさあ…。あ、鍛えてはいるよ?でもサッカーに関しては以前ほどかな。女子のサッカー部もないし」
「……作ればいいじゃないですか」
「えー?」

 つい直前まで振り返っていた思い出の中の塔子とは似ても似つかない言動に、立向居は身勝手にも腹を立てていた。好きだった女の子が、いつの間にか時間と共にその気持ちを移ろわせてしまうこと。それ自体を責めることはあまりに理がない。だけど今立向居が嘆くのは、そんな変化を齎せるだけの時間と距離を開けていたという現実。抗おうとしなかった自分を、立向居は初めて悔やんだ。
 先輩で、総理大臣の娘で、高嶺の花だと見つめるだけだった。中学生の淡い恋心はきっと横たわる距離にも時間にも勝てなかったろう。秘めているだけなら離れていても育てられる。言い換えれば育ち続けてしまった想いを抱えながら、立向居は隣に立つ塔子と並ばない肩の高さに気が付いた。流れる時間の中で変わって来たのは、何も塔子だけではないのだ。

「――塔子さん、」
「ん?」
「昔、俺が円堂さんと入れ替わってGKになったばかりの頃『キーパーのお前が楽できるように、あたしがしっかり守ってやるからな』って言ってくれたの、覚えてますか?」
「あー、言ったかも。DFだし、先輩だし、まあ随分デカいこと言ってたよな」
「俺、嬉しかったです」
「――そう、」
「でも」
「…?」
「もう塔子さんの背中に守られないで、俺は戦えるようになりました」
「――だな、強くなったよな立向居は」
「だから、今度は俺に塔子さんを守らせて貰えませんか」

 勿論、サッカーの話などではないことくらいわかってくれるだろう。言葉にして伝えたからといって、直ぐにでも傍にいられるようになるわけじゃない。進んでいく時の針に逆らうことは出来なくて、結果迎えた成長が塔子を彼女自身の理想から引き離したとして。あの頃仲間として出会った人たちとまで遠ざかる必要なんてない。
 はっきりと「ずっと好きでした」と言えなかったことよりも、直前とは正反対に立向居を見つめてくる塔子の瞳に居た堪れなくなってくる。けれど、ここで退いては何も変わらないから。唇を引き結んでぐっと塔子の目を見つめ返す。その仕草に、塔子は満足げに口角を上げた。

「今日の試合で活躍出来たらな!」

 フィールドの中央ではもう試合を始めようと人が集まっている。そこに駆け出しながら塔子は一度振り返り小さく「守備は任しとけ」と呟いた。いつの間にか立向居と塔子は同じチームに割り振られていたらしい。そのことに些細な喜びを得ながら、キーパーのグローブをはめる。
 信頼は当然しているけれど、塔子が抜かれても何ら問題ない。今日はどんなシュートでも止めてみせよう。拳を叩いて気合いを入れる立向居の姿を横目で眺める塔子の顔に浮かぶのは、もう幼い女の子のものではない柔和で大人びた微笑みだった。



―――――――――――

40万打企画/ずん様リクエスト

どうぞ銀杏の実にもよろしく
Title by『ダボスへ』





「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -