「見て見て霧野君!」

 はしゃいだような声が耳に届き、拓人はその声がした方へ顔を向けた。自分は断じて霧野君ではないのだが、その声の主が現在自分の恋い慕っている少女のものだったことへの条件反射だった。案の定、視線の先には山菜茜がいて、名前を呼ばれていた蘭丸と、彼女にひっぱられて連れて来られたらしい速水がいた。珍しい組み合わせに、拓人はつい聞き耳をたててしまう。もしかしたら、組み合わせの問題ではないのかもしれないが、今回は特別にと言い訳を用意しておかないと後々自分が苦しくなってしまうかもしれないので用心するに越したことはなかった。
 茜が壁になってしまって拓人からはよく見えない速水の髪を結っているゴムに、どうやら彼女は白いリボンを結んでやったらしい。「お揃い可愛いでしょ」と微笑む茜のおさげにもまた白いリボンが結ばれている。そのことで、蘭丸は彼女がどうして自分に駆け寄って来たのかを察したらしい。言われる前に、「俺のもあんの?」と尋ね手を伸ばす。茜は「霧野君なら乗っかってくれると思ったんだ」とポケットからまた白いリボンを取り出して手渡していた。
 片方を自分で結ぶ蘭丸に対し、茜はもう片方のおさげにリボンを結ってやっていた。これが女の子同士ならば拓人も教室で稀に見かける光景になるのだが外見が如何なるものであっても蘭丸は立派な男の子だった。だから、不用意な二人の密着に拓人の心はいとも容易く激しく揺れる。速水も速水でこの隙に逃げ出すという発想がないのか、恥ずかしさで蹲りながらも律儀に茜にリボンを取っても良いかと許可を求めている。ご機嫌に鼻歌を歌いながらも茜の返答は「ダメ」の一言で取りつく島がなかった。
 蘭丸のリボンを結び終わると、茜は両手を合わせてまたお揃いが増えたことを喜び始めた。蘭丸は始終平然としているが速水は早く終わりにしようと情けない声を上げている。意地悪することが目的ではないからと、茜は写真を撮ったらお終いにしようと首からぶら下げていたカメラを手に取り、蘭丸と速水を並び立たせると何度もシャッターを切った。様々な角度から写真を撮り終えて満足して息を吐く茜に、今度は蘭丸がカメラを受け取り数度茜に向けてシャッターを切る。咄嗟のことに、茜はきょとんと瞬いていたが直ぐにまたおかしそうに微笑む。いつの間にか速水も笑っていて、とても仲睦まじい三人組を拓人は物理的な距離よりもずっと膨大な長さを挟んでいるかのように感じながらぼんやりと見つめていた。まじまじとピントを合わせてしまえば、きっと奥歯を噛み締めて、拳だって握りしめなければ耐えられなくなってしまうだろうから。
 意識はしっかりと茜に向いているのに、気にしているのにぼんやりとしていたら、いつの間にか茜のカメラを携えた蘭丸が拓人の直ぐ傍まで歩み寄って来ていた。速水も少し後ろに見えているが、茜はおずおずと頼りない彼の背中に隠れるように続いている。

「悪い神童、一枚撮ってくれないか」
「―――は?」
「お揃いリボン記念にな」
「……ああ、」
「すいません、シン様」
「いや、構わない」

 そこまで盛り上がることなのか、拓人には理解できない。蘭丸は完全に悪ノリしていて、速水は出来るだけ目撃者を減らしたいのか穏便かつ速やかに事を済ませてしまいたいようだ。恐らく事の発端である茜は、まさか拓人を巻き込むことになるとは思っていなかったのか若干表情が硬くなっている。蘭丸や速水を盾にするように気恥ずかしそうに俯いてしまっている。その態度が、拓人からすると悲しいのだけれど。
 受け取ったカメラは随分と軽くて、けれどこれを茜が日頃大切に抱えているのかと思うと途端に重く感じる。「シャッターわかるか」という蘭丸の質問には「あまり馬鹿にするなよ」と肩を竦めて返しておいた。どこか含みのある笑みを浮かべる蘭丸に、背後から茜が小さく「どうしたの?」と声を掛ければ彼は「何でもない」と純粋な笑みに切り替わる。そういう些細なやり取りが、また拓人の神経を撫でて苛立たせるのだが怒りを抱いてはあまりに身勝手だと理解しているので必死に留める。
 さっさと終わらせてしまおうとカメラを構えれば、三人とも疎らに笑みやピースを作ってくれたので合図を送ることもしないで拓人は速やかにシャッターを切ってしまった。響いた音に誰も不満を漏らさなかったのできっとそれで構わなかったのだろう。並び方が茜を真ん中にしていてくれて助かった。これで写真を現像したらピントが茜を追い駆けていたなんて恥ずかしい事件に発展することはないだろう。
 カメラを拓人に渡したのは蘭丸だったが、受け取りに来たのは茜だった。このカメラは茜の物なのだからある意味自然なことだった。しかし勝手な感情で心を乱している今の拓人には、まさか茜が近付いてくるとは予想外で思わず一歩足を引いてしまった。瞬間、茜がぎくりとその場に膠着してしまう。しまったと思うには既に遅く、幸か不幸か蘭丸と速水は二人には背を向けた形で何やら話し込んでいる。

「……写真、ありがとう」
「あ、ああ。はい、カメラ」
「はい」
「………」
「………」
「――あのさ、」

 気まずい沈黙に耐えかねて拓人が口を開いた瞬間、いつの間にか振り向いていたらしい蘭丸と目が合ってしまった。しかし蘭丸は何も言わず、数分前と同様に含み笑いを浮かべてやれやれといった風で首を振り速水の首に腕を回して「先に戻ってる」と言い残して場を去って行ってしまった。拓人は少しだけ安堵したが、茜は逆に悲壮な表情を浮かべていた。そんなこと、拓人はむっと眉を顰めてしまった。自分よりも蘭丸たちに縋ろうとしている姿が、彼女の中の拓人の立ち位置を示している様に思われて、不安よりも不満が勝るならば自分も大概傲慢なのだなと思い知る。

「リボン、可愛いな」

 咄嗟に飛び出したのは、荒み始めた心とは正反対の耳触りのいい言葉だった。茜も、まさか拓人からそんな言葉が聞けるとは思っていなかったらしく勢いよく顔を上げて珍しく正面から彼と視線を合わせる形になった。

「――昨日、雑貨屋さんで見つけたの。それで、思わず買ったんだけど…長すぎたから…」
「霧野たちとお揃いで結んでたのか」
「水鳥ちゃんも葵ちゃんも二つ結びはしてないから」
「そうか。――でもさ、」
「…?」
「そのリボンはさ、山菜だけが着けてれば良いんじゃないか?その方が、可愛い」
「え――」

 拓人の言葉に、また茜が硬直する。けれど今度は拓人の心を波立たせるような反応ではなかった。拓人の顔を見つめたまま、真っ赤に染まった彼女の顔を見つめていると失礼ながら彼の心は温かく満たされていく。何も言えないまま、カメラを持つ手に力が籠もる。蘭丸たちを前にしていては、決して見せなかったであろうその態度がこんなにも嬉しい。
 一方通行の恋で、身勝手に暴れまわる感情を嫉妬と呼んでいいのかわからなかった。けれど今の自分の気持ちと、遠巻きに彼女が蘭丸たちとはしゃいでいる姿に覚えた気持ちを穏やかに見つめ直せばそれは間違いなく嫉妬という感情だった。

「山菜、」
「はい」
「さっきの写真、現像したら俺にも分けてくれないか」
「ああ、シン様に撮って貰った写真なら絶対――」
「いや、霧野がふざけて撮ってた山菜がひとりで写ってる写真が欲しいんだ」
「へっ」
「流石に同級生の男子が髪にリボンつけてはしゃいでる写真はちょっとな」

 本当はそんな理由ではなくて、単純に茜だけが目当てだとはまだ言わないまま。今は雰囲気に乗って怖じないでいてくれる茜を不用意に警戒させるような発言はしたくない。
 だけどいつかは言うだろう。恥じらいも、物怖じも捨て去って自分は茜のことが好きなのだと言うだろう。出来れば自分以外の男子と親しげに接して、嫉妬なんてさせないで欲しいと、そう願う権利を掴みとる為に拓人は己の恋を決して諦めたりはしないのだ。



――――――――――

40万打企画/匿名希望様リクエスト

魂に逃げ道なんてないの
Title by『≠エーテル』





第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -