※捏造過多


「すいません、おじさんのお墓は此方で宜しいですか」

 そう、尋ねる声に顔を上げた輝の視線の先にはひとりの少女が立っていた。つばの大きな帽子を被っていて、表情は影になっていてよく見えないけれど先程の声音からどことなく柔らかい印象を受けた。白いワンピースからは清潔な雰囲気が漂い浮き世離れした空気も感じる。少なくとも、蝉の鳴き声に取り囲まれている人間にしてはやけに涼やかな人だった。恐らく自分よりは少し年嵩だろう。輝はそんな風に目星をつけたけれど、彼女に直接尋ねる気にはなれなかった。
 実際は、頭の処理が追い付かなかったというのが正しい。何を一番初めに言葉にするべきか。逡巡する輝に、少女は一切急かすような動作を取らなかった。優に数分は待たせただろうか。輝が発した言葉は、とても初対面の相手に向けたものとは思えなかった。

「毎年お花、ありがとうございました」

 輝の言葉に、少女はそっと頷いた。相変わらず影で顔は見えないが、きっと微笑んでいるのだろう。
 そして漸く輝は彼女の名を呼んだ。名乗られてもいない。けれど先の言葉を受け止めたということは彼女の名前は一つだけ。これまで目でなぞるだけだった文字を、輝は初めて音に乗せ、呼んだ。やはり、彼女は再び頷いた。
 少女の名前は、ルシェという。


 あれはきっかり十年前からのことだったそうだ。輝の家に、決まった日付で白い百合の花束が届けられるようになったのは。
 宅配便で呼び鈴を鳴らす人はいなかった。いつの間にか、玄関の前にそっと置いてあるのだ。少しばかり縁起の悪い振る舞いに、輝の母親は少しだけ薄気味悪さを感じていたようだったが、幼い輝は花を贈るという行為に温かな親切心ばかりを想像していた。そんな彼の幼さに、母親は何とも言えない微笑みで黙り込んだ。きっと彼女は初めから何故自分の家に花が贈られてくるのかを理解していたのだろう。それを促すように、花束には毎度小さなメッセージカードが添えられているこっに輝が気付いたのは数年後のことだった。真っ白な、可愛らしいデザインなど何もない手のひらサイズのカード。記されていた文字を読み解くことは当時の輝には出来なかった。どうやら両親も意味はわかっていなかったという。時間と労力を割けば手段がなかった訳でもない。しかしそれをする必要もなかったのだと母親は言う。
 ――この花を贈られている人はね、私たちではないの。この花を受け取るべき人は別にいて、だけど直接渡すことは出来ないのね。だからこの家に、どうか代わりに届けてくれませんかって花を託しているのよ。
 諭すような物言いと、誤魔化しではない慈しみの浮かんだ瞳に輝はただそうなのかと納得するしかなかった。綴られた文字も、本来の受け取り主に向けたものだから読む必要はないのだと。そのことが、輝にはどうしてか悲しいことのように思えたのだが、不明瞭なことを口にして叱られたらどうしようという恐怖心に負けて、今日まで一度もその旨を母親に打ち明けないままでいる。きっとこの先も言わないだろう。何故なら、輝はメッセージカードの内容を読み解いてしまっているのだから。
 物心ついた頃から、この花束が届くと次の休日には出掛ける場所がある。それは、輝は一度も会った記憶のない叔父の墓参りだった。何の変哲もない御影石に彫られた「影山家之墓」の文字の意味を初めて教わった時、輝は自分の顔見知りである親戚は誰も死んでいないのに、一体誰を参っているのか不思議で仕方がなかった。
 輝の家に届いた花束を、丈を切りそろえて墓石左右の花瓶に活ける。周囲の墓の花々に比べると派手な印象に、輝は我が儘を言っているような心地になって収まりが悪い気がしていたが、その度にポケットに仕舞った読めないメッセージカードを思い出し、これこそが正しい参り方なのだと思い直していた。朝、墓参りに出掛ける際に花を持ち運ぶのはいつからか輝の役目となっており、到着し活けるからと母親に手渡す際に付随しているカードを引き取ることもいつの間にか通例となっていた。隠れるような振る舞いでもなく、母親の見ている前であっても輝はカードを躊躇なくポケットに仕舞う。そのことに、初め母親は驚いて瞬きを繰り返した。しかし何も言わず輝の好きなようにさせると決めたらしい。そのことが、家族の中で役割を任されたような気がして、幼い輝には嬉しくて仕方がなかった。
 捨てることも出来ず、毎年一枚ずつ重なっていくカードは輝の勉強机の引き出し、唯一鍵の付いている段に母親が与えてくれたカードケースに入れて仕舞われることになった。そこに仕舞うということが、彼にはそれを大事に保管しているという意思表示だった。

「そりゃあイタリア語ぜよ」

 輝が、このカードたちの意味を知ったのは本当に些細な偶然と巡り合わせが重なった結果だった。母親は読む必要はないと言ったけれど、輝には年々この言葉の意味を知りたいという気持ちは膨れ上がっていた。中学生になって、使える語彙も増えた。英語も辞書の力を借りながら読めるようになった。その時初めて、輝はカードに綴られた文字が英語ではないことを知ったのである。外国語といえば英語という安直なイメージを抱いていた輝には、これはなかなか衝撃的な事実だった。英語でなければ、輝にはもうこの文字を読む為の知識はない。けれどせめて何処の国の言葉なのかだけでも知りたかった。だから、学校の図書室で調べられないかと一枚だけカードを引き出しから抜き取って登校したのである。図書館室でカードを片手に辞書の並んでいる棚の前に立ち尽くす。手当たり次第に「――語辞典」と書かれている背表紙に手を伸ばせば良いのだろうが、中身を確認する作業が効率的でない気がしてつい初動をこまねいていた。そんな輝の背後から、独特な口調で喋る部活の先輩である錦が声をかけた。

「…イタリア語?」
「おう!儂も会話ばかりで読み書きはそれほどじゃが間違いなくそれはイタリア語ぜよ」
「あの、じゃあこのカードに何て書いてあるかわかりませんか!?」

 降って湧いた幸運に縋るように、読み書きは不得手と言ったばかりの錦にカードを突き出す。滅多にない輝からの剣幕に圧されながら、錦はたった一行のメッセージが書かれたカードを受け取り目を落とした。記憶を呼び戻すためになのか暫くうんうん悩んでいた錦だが、他に読みようがないという結論に至った所で輝にカードを返した。

「恐らくじゃが、『大好きなおじさんへ、ルシェより』って書いてあるぜよ」
「………そう、ですか」
「何か妙な所でもあるんか?」
「いえ…、逆です。きっと、合ってます」

 それでも、輝の表情からは長年の疑問が解けたことに対する晴れ晴れしさが浮かぶ様子はなかった。
 毎年参る墓に眠る人を、輝は知っている。叔父だと一言教えられた。しかし輝がサッカーに惹かれ初めてから、これまで知らなかった叔父についての様々なことを知った。到底、好意的には受け止められないことばかり。憎まれても仕方がなくて、どうしてと尋ねたくとも故人が応えてくれる筈もない。世界中のサッカーを愛する人が叔父を嫌っているのではないか、そんな錯覚にすら陥った輝を呼び戻すのが、毎年届く百合の花束だった。幼くとも、両親の振る舞いを見ていればこれが誰に対して贈られているものなのかを、輝はもう理解している。だからこそ不思議だった。毎年欠かすことなく手書きのメッセージを添えて、恐らくは国境までもを越えて叔父を悼んでいる人がいるということが。
 ――信じても良いのかな。
 身内という欲目であったとしても、過去ばかりを探り嫌悪に身を窶さずとも良いのか。実体のない人間を一方的に憎むことに抗おうとする輝にとって、この花束は一種の希望となっていた。
 そして知ったカードの意味。綴りは毎年同じだったから、ずっと同じ言葉を贈り続けているのだろう。何も揺らいではいないと伝えるように。それが、輝には嬉しかった。ルシェという名は女性のものだという。輝は、歳も姿も知らぬ女性の名を、しっかりと心に刻んだ。



 ルシェが一歩、距離を詰める。輝は動かない。動いてはいけない気がした。彼女に、自分の前にある石が貴女の大好きなおじさんの物であると教え示さなければならない。
 一歩。また一歩。ルシェは非常に緩慢に距離を縮めていく。輝はどうしてか、そのテンポをまどろっこしいとは思わなかった。そして漸くルシェが輝のすぐ傍までやって来る。身長は、彼女の方が高い。足元を見てもヒールの高い靴を履いている訳でもなく、そのことに少しだけ落ち込んだ。
 暫く無言のままだった。しかし輝は一歩後退しルシェに墓石を示した。その動作に、彼女は三度目の首肯でもって真正面から大好きだと憚りなく綴り慕う人の墓前に立った。そして日本人とは違うからなのか、手を組んで祈る。輝はもしかして彼女が泣いてしまうのではないかと恐れたが、それは杞憂に終わる。手を解き輝に向き直った。これまで帽子のつばの所為で見えなかったルシェの表情がはっきりと輝の目に映り込む。
 日本人ではない、海の向こうの少女を、輝は純粋に綺麗だと思った。じっと見つめてくる輝の視線が落ち着くのを待っているのか、ルシェはにこにこと微笑んでいるだけだった。やがて輝が満足したのか視線に込めていた力を緩めてから告げられた言葉を、輝はこの先の自分たちが繋がることへの期待として受け取った。

「――初めまして。お名前、教えていただけますか」

 そういえば、今年はまだ花束は届いていなかったなと、輝は暑さとルシェの声に浮かされた思考の片隅で思った。




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彼女の呼吸が美しいので、わたしは呼吸をやめました
Title by『彼女の為に泣いた』




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