待っていた訳じゃない。ただ本当に、日常の一部となってしまった右足を振り抜くという動作を一日でも休んでしまうことに我慢がならなかった。忍耐力が足りないと叱責されれば素直にすまないと謝ろう。だがテスト期間だからという理由で制止されたならばこれは部活動じゃないからと言い訳させていただきたい。自主練とも違う、ただのライフワークだ。我ながら大袈裟なことを言うとは思うが、それを内心では本気で肯定しているのだからどうしようもない。過剰な練習が必ずしも最良の結果に結び付いたりはしないと理解しているがそれでも、落ち着かないという現状を打破するにはただ無心でボールを蹴るしかない。でないと学生の本分と言われている勉強にだって身が入らないのだから。夏未はこれを屁理屈と言う。
 ――ふむ、まあ正論だろう。

「放課後のグラウンドを独り占めなんて良いご身分じゃないの」
「円堂辺りならいるかもと踏んだんだがな。そういえば、期末は本当にやばいと叫んでいたし、風丸辺りに引きずられて帰ったのかもしれない」
「その点あなたは成績優良者だものね。でも駄目よ。自主練にしろ息抜きのお遊びにしろ、雷門中の生徒ならテスト期間中はさっさと家に帰りなさいな」
「しかし俺の家の庭にはサッカーゴールがなくてだな…」
「だったら河川敷!」
「…そうだな」
「目に見えて落ち込まないで頂戴。私が苛めているみたいじゃないの」
「違うのか?」
「違うわよ!」

 運動着にも着替えず、制服の学ランを脱いで捲っていた袖を戻しながら豪炎寺は大人しくゴールの中に転がった幾つものボールを仕舞いに掛かる。テスト期間ということで、部活動が禁止されている為グラウンドからも校舎内からも部活動に勤しむ生徒たちの声や気配は感じられない。
 豪炎寺が荷物を置いておいたベンチに腰を下ろして、夏未は注意の言葉を繰り出してくる。それでも、力尽くで止めさせる選択肢を用意していない辺りが彼女の甘さだと思う。「理事長の言葉だと思って貰って構いません」とは豪炎寺の中で勝手に夏未の名言として刻み込まれているのだがそういう立場を加味した上での言葉。豪炎寺の勝手な振る舞いを口先で咎めながらも手は丁寧に彼がおざなりに放り出した学ランを畳んで膝の上に乗せているのだ。段々と陽が傾いて、自分の足もとに伸びる影が時間の進みを教えてくれる。豪炎寺はただ無性にボールが蹴りたかっただけで、部活がしたかったわけではないのだ。かけがえのない仲間と出会えた、真面目くさって言葉を選んでも舞台を囲えば部活という輪は学校という社会の中で形成されたのだからやはり学業という敵を倒さねば備品ひとつ得られないのだろう。部長である円堂は定期的に訪れるこの敵をラスボスと呼ぶ。豪炎寺には正直中ボス程度だ。日々教室で行うレベル上げを地道に行えば簡単にクリア出来ると思っている。だがこの手の発言は今までの味方を敵に寝返らせる危険があるので決して口にしてはいけないのである。
 思考が逸れたなと自ら軌道を修正して、豪炎寺はゴールの横に置いていた籠にボールを放り込むと念の為取りこぼしがないか確認する為に周囲を見渡す。見落とすような障害物もないが、そんな彼の様子を見守っていた夏未が「後ろ」と声を上げたので振り返れば確かに籠の所為で死角になっていた場所に一つボールが落ちていた。

「すまん」
「どういたしまして」

 不器用な謝罪を変換して礼として受け取ってくれるから豪炎寺は夏未が好きだ。お互い口が達者な方ではないくせに、お互いが言いたいことならば多少の婉曲も省略も躓くことなく正解を導けた。だからと言って、言葉にしない気持ちの全てが理解できる訳では当然なくて。口下手と寡黙は似ていても別物だと思うのだが、豪炎寺の中では段々同じものとして認識されかかっている。男同士の拳を合わせるだけで通じる友情のようには、男女の関係は単純ではないらしい。例えば、付き合い始めてから二ヶ月を経過した夏未との関係を、豪炎寺がタイミングと話題の選択をしくじり続けた所為で未だに誰にも打ち明けられていないように。それでも夏未の方は同じマネージャー仲間には真っ先に報告したそうだから、そちらを経由して知っている人間は知っている筈なのだ。好奇心で突いてこない辺りが豪炎寺と夏未の二人が纏っているイメージが如何に硬派かということを示している。それなりに軽口も叩きあう仲だが、傍から見ていると本気に見えるようで、いつ喧嘩に発展するか周囲ははらはらしているそうだ。申し訳ないような、見抜いて欲しいような微妙な心境である。
 待っていた訳じゃない。
 もう一度、豪炎寺は心の中で唱えた。テスト期間中、部活動が禁止されれば当然下校時刻が早くなる。普段部活ごとに擦れ違う友人とも一緒に下駄箱に向かうクラスメイトの姿を、豪炎寺も教室で見送った。転入してきた豪炎寺にはクラスメイトであってもサッカー部以外の人間の自宅の方向など知らない。知る必要もない。ただ、同じ部活だけれどクラスの違う夏未の背中だけは気になるのだ。尤も、彼女が友人と歩いて帰るとは思っていない。単純に部活さえなければ引き留める理由もないことが事実として心を占めた。生憎優秀で通っている二人には、わざわざ学校に残って勉強を教え合う口実は存在していなかった。夏未もテスト勉強と改めて時間を確保する必要はない程度に優秀なことは知っている。

「今日はお父様が出張だから少し仕事の手伝いをしてから帰るつもりよ」

 気にするだけでは埒が明かなくて、廊下で偶然顔を合わせた本人にさりげなく放課後真っ直ぐ帰るかどうかを確認してみればさらりと予定を明かされた。部活は禁止だが、仕事は違うらしい。理事長の娘という立場は豪炎寺が口を出す権利などなく彼女に付随している一部分だ。だから反射的に「そうか」と「頑張れ」とを告げて下駄箱に向かった。そのまま帰るつもりだったのに、足は勝手に倉庫へと向かいボールの籠をひっぱり出してグラウンドまで辿り着いていた。一緒に帰る約束など交わしていないのだから、夏未が見に来るはずもないし、彼女が何時まで理事長室で仕事をしているかもグラウンドからでは知り様がない。
 それでも、豪炎寺は夏未が帰っていないなら良いだろうと運動不足を訴える足を理由にボールを蹴り続けた。どれだけ言い訳を拵えても、いざシュートを放ち始めるとすっかりそちらに集中してしまって「何をしているのよ」と呆れた顔で夏未が声を掛けて来るまでその気配に全く気付かなかった。驚きが表情に浮かんでいたのか、夏未は少しだけ寂しそうに微笑んだ。けれどそのままベンチに腰を下ろしてからは口で豪炎寺を制するだけで、後はただ彼の練習を見守っていた。
 ボールを仕舞い終えて戻ってくると、夏未は豪炎寺の荷物を彼に向かって差し出した。小さく礼を言って受け取る。至近距離で見ても、夏未は別段怒っているようには見えなかった。それでも一応の体裁として咎めてはおくらしい。

「テスト前は練習禁止よ」
「――趣味だ」
「苦しいわね」

 学ランを羽織るにはまだ運動で温まった熱が逃げていないのだが、このまま帰り道で冷えてから着込むのも手間だと我慢して上着のボタンを留める。鞄を掛けて、さあ帰ろうと勇むべき瞬間になって夏未はそれが自然というように豪炎寺の隣に並んで歩き始めた。

「一緒に帰りたいから待ってたんだって言ってくれないのね」
「――…そういえば、車は?」
「貴方と一緒に帰るのにそんなもの待たせるはずないわ」
「…そうか、」
「嬉しい?」
「ん?」
「私と一緒に帰れて、嬉しい?」
「――ああ、そうだな」
「素直でよろしい」

 ふわりと微笑んだ夏未につられて豪炎寺も微笑む。実は夏未の家の方角は何となくの範囲で理解しつつも自宅の位置までは把握していないのだが、彼氏の光栄な役割として彼女を自宅まで送っていくことになるだろう。テスト前だというのに嬉しい限りだ。ただ惜しむべきはきっと寄り道は出来ないだろうなということ。やはりテスト期間は学生の敵であると、豪炎寺は生まれて初めて部活が出来ない以外の理由で嘆いた。



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∴手は繋がないのですか?





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