※パラレル
※旅人×村娘


 寝床を定めぬ暮らしというものが存外自分に見合っていると自覚したのは、ヒロトが故郷を後にして僅か数日後のことだった。生まれ育った場所を捨て去ることに何か深刻な事情があったのかと問われれば特に何もと笑いながら応えるだろう。不幸な事故に見舞われたらしい両親は、ヒロトが物心ついた時には既に姿を見せず引き取られた修道院で面倒を見てくれた大人たちは皆善良だったと思う。ただ善良であるが故、さほど信心深くなかったヒロトには無条件の優しさが薄気味悪かったのだ。目に見えない神様が守る世界の中で、孤児という囲いはヒロトたちに同情ばかりを引き寄せた。それは、そうなる以前の自分が、両親が神を侮辱したからだなんてそんな理由である筈がないのだから。
 その場しのぎの笑顔と口先だけが達者になって、幸い運動神経も優れていたから生きるための資金を得る手段だってその場限りの危ない仕事に手を出したりした。尤も、本当に取り返しのつかない一件とそれ以外の境界線は弁えているつもりだった。綺麗な物ばかりな筈の教会で育った自分に、そういう目利きが出来てしまうことがヒロトには滑稽で仕方がない。けれど過去を振り返って今の自分を嘆くのとはまた違う。過去にも現在にも未来にも、ヒロトはさして執着していないから。例えば次の瞬間、酔っ払い同士が喧嘩の勢いで銃を発砲した流れ弾が原因で死亡したとしても、ひょっとしたらヒロトはまあそういうこともあるよねと受け入れてしまうのかもしれない。生きていることがつまらないわけではないが、劇的に面白いこともなく。修道女たちとは違った意味でヒロトに優しくしてくれた女の子たちもいたけれど。それをありがたいと思うのではなくありがたいのだろうと信じながら、ヒロトは丁重にそういった優しさの下にある好意を拒んで来た。自分から進んで孤独に甘んじるような在り方は、同じ孤児同士の中でもやっかまれることがあって、段々と息苦しさを覚えるようになった。敢えて旅に出た理由を挙げるならばその辺り。でも、その気になれば同じ場所で上手く生きていくことは出来たのだ。ただ楽な方が良いから、自分一人分だけの責任だけを背負う環境に逃げただけ。そういう生き方もあるのだと、ヒロトは選んで見せた。善悪の問題などである筈がなかった。

「死にそうな顔をしているな」

 初対面の女の子に、こんなことを言われるとは流石のヒロトは思っていなかった。元来血色は良くないのだが、良くて儚げに見えると持ち上げられて、悪くて体調不良を心配される程度だ。瀕死を疑われる日が来るとは予想外である。覇気がないのは自覚済みなので、それを過剰表現で指摘されたのだということにして心の安定を図る。いつ死んでも笑って逝きそうだとはいえ、自殺志願者ではないので。
 対して、ヒロトの顔を見るなり辛辣な言葉を投げつけた少女はと言えば彼とは正反対に生きる力に漲っているような立ち姿だった。活発というのではなく、静かに凛とした芯を持っている。直感だが、ヒロトにはそう映った。
 ヒロトがこの村に到着したのは明け方のことで、夜通し歩きつめた両足は流石に棒の用だった。疲れたから宿を取ろうにも時間帯の所為で空いている宿屋も店もない。わかりやすい野宿の体を取るにはこの村のしきたりを知らな過ぎる。選んだ場所が理由で余計な揉め事を起こしたくはなかった。どうしようかなと石畳の道をのろのろと進み、辿り着いた広場の真ん中に噴水を見つけその縁に腰掛けながら時間を潰すことにした。うつらうつらしていても座る体勢さえ整えていればなにかと言い訳は立つものなので。
 浅い微睡みの中、鳥たちが鳴き出す声を聞く。徐々に日差しの温かさが頬に触れるのを感じながら、ヒロトは人の気配が遠くで動き出し始めるのを余所者の気楽さで手繰っていた。疲労の所為で他方へ意識を向けることが疎かになっていたのかもしれない。忍ぶでもない足音が自分の真横に来て立ち止まるのを、ヒロトは全く気付くことが出来なかったのである。そして放たれたのが「死にそうな顔をしているな」の一言であった。

「見かけない顔と格好だな。旅人か」
「――うん、そうだよ。君はこの村の人?」
「見ればわかるだろう。こんな軽装で余所の村に出掛けてくる奴がいるものか」
「あはは、そうだね、うん。その通りだ」
「…お前、よっぽど疲れているんだな」
「夜通し歩いたからね…何よりまず眠たいんだ」

 女の子にしては鋭い目つきを細めながら、警戒心を露わに少女はヒロトに問いかける。普段ならば、旅人という前提を盾に壁を作るのはヒロトの方なのに、今は眠気の所為で彼女の方が余所者に対して防波堤を作ろうとしているようだった。しかし顔色と眠気に犯されたヒロトの雰囲気に、敵と断定するにはあまりに悲壮な雰囲気が漂っていて少女は判断を下しあぐねている様だった。旅人というからにはそれなりに経験を積んでいるものだろうに、そんな不用心では何があるかわからないだろうにと正論でヒロトを叩きながら片手で彼の荷物をひったくる。そしてもう一方の手でヒロトの手を掴むと有無を言わさずに歩き出す。抵抗しても良かったし、それくらいの力なら残っていたのだがその時のヒロトは何故かこの女の子は優しい子なんだなと妙に納得した心地に浸っていてされるがままの状態だった。
 そうして放り込まれた建物が、その村唯一の宿屋であることを知るのは、すっかり熟睡しきったヒロトが夕方になって漸く目を覚ましてからのことであった。目が覚めて早々、呆れと怒りに顔を歪めた少女に「もっと計画的に旅を進めるんだな!」と怒られたのもヒロトには新鮮で良い思い出である。

「玲名の家が宿屋だったんだね」
「余所からは滅多に人が来ないからな。そう何件も必要ないんだ」
「ふうん」
「――何だ」
「別に何も?」

 少女の名前は玲名と言って、齢はヒロトと同じだった。身長は少し玲名の方が高く、顔色も含め栄養が足りていないのではないかと指摘する彼女にヒロトはその通りかもしれないと頷いておいた。同世代の中で特別発育不良なこともないのだが、境遇と現在を振り返っても食に拘りなど抱いたことがない。水分さえ摂っていれば人間それなりに動けるのだなと旅に出た初めの頃は随分自分の底力に感心していたものだ。
 ヒロトからするとそれだけのこと、という前置きで済んでしまう思い出話を聞かされた玲名は見るからに顔を顰めていた。食べれる環境にあるならばしっかり食べるのが良いに決まっているだろうと怒られて、ヒロトはそれもまた正論だなと頷くしか出来なかった。玲名の物言いは正しい。だけど優しくはなかった。だからヒロトはただの客として収まっている自分に対する玲名の言動に薄気味悪さを覚えることはなかった。けれど、玲名に腕を引かれた時に感じた優しい子というイメージが崩れ去ることもなかった。ちぐはぐな印象が、ヒロトの中で混ざり合って収まりが悪い。自然と目が追う玲名の後姿は、これまで出会ってきたどんな女の子たちよりもヒロトの中で女の子として定着していった。それがどういう意味で、旅人として生きると決めた自分に都合の悪いことなのかを、自分に対しても賢しいヒロトには直ぐに理解が出来たけれど、玲名を見つめることを止めようとは思わなかった。

「ねえねえ玲名!」
「……何だ」
「玲名はこの村の外に出ようと思ったことないの?」
「出たことくらいある」
「そういう意味じゃなくて、外の世界で新しい場所で生きてみたいとか、憧れみたいなの、ないの?」
「―――特に、ないな」
「…そうなんだ」
「露骨に残念そうな顔をするな。私はお前とは違うんだ」
「違うって、どんな風に?」
「――お前は何処ででも生きられるだろう。何処に放り込まれてもそれなりに適応して、だから逆に絶対的な居心地の良さには巡り会えなくてふらふら方々を歩き回ってるんだろう?私は違う。初めての環境にあっさり馴染むなんてことは不可能だし、だからこそ長年培ったものがあるこの場所が絶対で安寧の場所なんだ」
「―――そ、う」

 ただ、驚いた。出会ってから数日の玲名に、断片的な思い出話を聞かせたことはあったけれどここまで自分の本質を言い当てられたことに。何処に居たって、ヒロトはヒロトとして入り込める。その通りだった。けれど、それなりにやれてしまうという事実は、ヒロトにそこでなければいけないという執着を抱かせなかった。だから心が離れていく。何処に行ったって同じという諦めと同じくらい期待しながら生きている。その諦めと期待の具合を調節出来てしまうから、その場しのぎが上手くなる。そして玲名は、ヒロトとは違うとしっかり彼女自身を理解していた。

「確かに、玲名って不器用そうだよね」
「大きなお世話だ」

 料理とか、そういう面の話ではなくて。初めて出会った時に寄越されたぶっきらぼうな声。あれが彼女の精一杯の心配だったこと。乱暴に捕まれた腕が全部ヒロトを思いやってのことだったこと。見抜いてしまえば簡単なこと全て、玲名から周囲の誰かに説明することはないのだろう。人一倍誤解も受けやすいタイプ。ヒロトとは正反対の意味で同じだった。だからこそか、ヒロトは玲名のことを好ましく思う。立場とか、明日にでも訪れる別れを言い訳にすることもできない、ただそう思ってしまった。伝える勇気はないけれど。

「……明日の朝に出発するんだってな」
「うん、一週間以内には出たいんだよね」
「そういうものか」
「俺はね。妥協とか得意だから、それなりに居心地がいいからここに住んでも良いかもなんて状態にはなりたくないからさ」
「そんないい加減な理由でこの村に住み着いたら箒で尻を叩いて追い出してやるから安心しろ」
「…安心できる要素がないよ…」
「ふん、いいからもう寝ろ。寝不足の状態で出発なんて心配でオチオチ送り出してもやれん」
「あはは、それもそうだね」

 最後の晩の語らいらしい和やかなお終いだった。夕飯を取ったホールに居座るには時間が限界。二階の客室に戻り、ヒロトはこれからまた数日は味わえないかもしれないベッドの柔らかい感触を堪能しようと横になる。そして瞼を閉じて思い浮かべるのは、ここ数日ずっと玲名のことばかりなのだ。自覚してしまうと、本当にさっさとこの村を旅立たないとという気持ちが強くなる。義務感に突き動かされて始めた旅ではないというのに。一週間なんて期限設けたつもりはない。だって、立ち去ることを名残惜しむ出会いなんてこれが初めてだったのだから。
 明日の朝、きっと律儀に玲名は見送ってくれるだろう。その時に、「さよなら」ではなく「またね」と言葉を贈ったら彼女は訝しむだろうか。想像して、直ぐに違うなと否定する。不器用だけど優しい玲名だから、突き放す様に「勝手にしろ」と言ってくれるだろう。この村に宿屋が一つしかなくて良かった。何年後に来たって、ヒロトは道に迷う心配をしなくていいのだから。
 明日からヒロトはまた根無し草、たった一つの花から離れ、やがてまた帰ってくるのだろう。





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魂にふれさせてくれたこと
Title by『ダボスへ』





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