※幼馴染パラレル
※拓人←茜描写有


 目覚ましを止めて、ベッドから這い出る。通学鞄の中に入れてある携帯を取り出して、前日の夜に作成して置いたメールを送信。内容は一言「おはよう」の四文字だ。このたった一文を七時までに送らなかった場合、隣の家に住む幼馴染が茜を起こしに突撃してくるのである。
 物心ついた頃には一緒に過ごしていた。登校も下校も。それぞれ同性の友人と付き合いを持つようになってからも幼馴染という繋がりは友だちよりもどこか強固だった。漫画でよくある思春期の芽生えと共に疎遠になっていく男女の幼馴染。それをなぞらない自分たちはまだ子どもなのか。幼い頃、手を繋いで歩きながら間違えられた姉妹という関係。顔つきは可愛らしさを捨て去れないまま、蘭丸はどんどん男の子として成長していく。それはきっと、自分の身体のことだから自覚が薄いだけで茜も同様なのだろう。丸みを帯びていく身体、身に着けていくものの変化。小六で迎えた初潮とそれ以降月一で襲う痛みに蹲る茜を、蘭丸は困ったように、けれど心底心配そうに気遣い続けた。中学に進学して、同じ部活に入りさえしなければこんな風に毎朝蘭丸に起こされたり、一緒に通学したりはしないのだろう。その方が、ややこしい思春期の人間関係を乗り切るには逞しくあれたのかもしれない。進んでややこしい方向に舵を切る必要はないのだろうけれど、ふとした瞬間に茜は考えてしまう。蘭丸がいない、もしも。
 もしもそんな世界に放り出されたとしたら、茜はきっと広大な世界の隅っこを探し当てて、そこで蹲りながら泣いているに違いない。いないという前提の蘭丸が見つけてくれるのを待ちながら、いつまでも。蘭丸を当たり前として生活の一部に組み込んでしまった茜には、差し迫ってくる男女という性差がどうにも恐ろしくて仕方がなかった。そんなものを理由にきっと自分たちはあっけなく引き離されてしまうに違いない。だって、思春期だから。
 支度を終えて家を出ると蘭丸が待っていた。これもいつものことだった。毎日茜より先に準備を終えてこうして待っている蘭丸に、以前一度だけ先に行っていてくれて構わないと促したことがある。その時、蘭丸は「それだとお前が寂しだろ」と茜の頭を撫でながら笑って取り合わなかった。内心、茜が省略した本当はこれからも一緒に学校に行きたいけれどという本音をお見通しだったかのように。

「最近一人で起きれるようになってきたな」
「――蘭丸君が甘やかさなければ最初から出来たもん」
「何だそれ」

 茜の言い分を面白がっている蘭丸と保つスペースは人一人分程度。昔はもっと近かったと思い出せてしまうのは何故なのか。疲れてしまったと言えば流石に勝手だと蘭丸は怒るだろうか。幼馴染が異性というだけで恋愛感情を疑われてしまうことに、最初は中学に進学したばかりだからと心の中に譲歩のスペースを設けられた。それがいつまで経ってもやまない追求するような強い疑問の声に、茜は段々と耐えきれなくなってしまった。
 ――私が蘭丸君を好きだということに幼馴染だからって理由があることをどうして見ず知らずの人にまで詳らかに明かして見せなければならないの?
 そんな茜の言い分を理解してくれるのは、きっと彼女と身近な友人たちだけだ。面倒くさいねえと微睡むように全てを曖昧に溶かしたいと願う茜を抱き締めて撫でてくれたのは、同じ部活のマネージャー仲間の女の子だけ。男の子とか、女の子だとか。巡り会う男女が全て恋をするためだけに繋がるのではないということを、どうして簡単なこととして誰も受け入れてくれないの。
 霧野蘭丸のことが好きです。幼馴染として。それ以上もそれ以下もなく、茜の初恋は彼ではない別の人の元に傾いた。ただ、その相手が蘭丸の親友であったことはやはり茜の世界を見るスコープの狭さを如実に物語っていた。

「それにしたって、女子は朝練免除されてるのに茜も良く出るよなあ、感心感心」
「下心だよお、ダメダメ」
「……それにしたって、さ」

 二人が所属しているサッカー部の朝練は、マネージャーのみ参加自由と規定されていた。理由は単純に仕事がないから。初めのボール出しと最後のボールを仕舞うくらいだ。それでも茜は蘭丸と共に入部してから一度も朝練を休んだことはない。必要ないと言われている仕事を恩着せがましくこなすつもりもないので、ベンチで見学しているだけ。その際、趣味として長年続けているカメラで部員たちを撮影することもあった。朝練が終わりボールの片づけを手伝うまでじっとしているだけの茜を、部員たちはきっと蘭丸の付属品として認識しているのだろう。蘭丸と一緒に登校したいから。蘭丸がボールを蹴っているから。蘭丸がサッカー部だから。誰も彼もが茜の視線を辿ることなく無責任に安易にそう決めつけた。耳に入る憶測を、蘭丸だけは無言を貫いて、何も気付かずに近づいてくる親友には周囲が抱くイメージを自ら口にして植え付けた。神童拓人が山菜茜を認識するには、必ず霧野蘭丸という人間を介在させるように。
 茜が神童のことを好きだと気が付いたのは小学校の頃で、もしかしたら彼女自身仄かな想いにまだ気付いていない時期のことだったかもしれない。自惚れでもなんでもなく、生まれてから家族以外の一番近くで茜を見つめてきた蘭丸だったから直ぐにわかった。ピアノを弾く神童を追う視線を、これはやがて恋になるものだと見抜いてから、半ば意地で蘭丸は茜の幼馴染としての位置を保ち続けた。思春期の訪れとともに増えるからかいの声も笑顔で黙殺して。思春期だから離れるのではなく寧ろだからこそ離れられないのだと蘭丸は思う。茜はきっと、自分の幼稚さがそれを許していると思っているだろう。実際許されているのは蘭丸の幼稚さだということにも気付かず。茜の恋心は簡単に見抜けるのに、自分が彼女に向ける想いが恋か、執着かすらわからないまま彼は茜に優しく振舞い続けた。お兄さんぶって、彼女の両親に良い顔をして。恋であればいいのに。そうであれば、蘭丸はきっと後ろめたさなど微塵も抱かずに茜の隣を勝ち取る為に幼馴染という絆を利用できた。
 中学の進学と共にサッカー部に入り、そこにマネージャーとして茜も誘った。きっと蘭丸が引っ張らなければ彼女は写真部なり自分に見合った場所を見つけ収まっていただろう。けれどそこには蘭丸は収まれないから、茜の甘さに付け込んで離さなかった。神童もサッカー部に入ることは小学校の頃から約束していたから、それで勘弁して貰えると思った。結果として、茜は他のマネージャーと部活外でも遊ぶくらいには仲良くなっていたし翌年入部してきた後輩も可愛がっていて、なかなか今を楽しんでいる様だったから、蘭丸の中の罪悪感に似た感情も最近では顔を出さない。

「なあ茜、今度の日曜部活休みじゃん?その日暇?」
「うん、暇」
「神童がピアノのコンクールらしいんだけど行くか?」
「……蘭丸君は行くの?」
「いや、ちょっと都合悪いんだ」
「――じゃあ行かない」
「は?」

 蘭丸が切り出した話題に、一瞬彼の顔を見上げた茜は答えを告げると直ぐに前を向いてしまった。意外な反応に蘭丸は驚きで言葉が出て来ない。単純に、好きな相手に親友である蘭丸を介さずに向き合うことが怖いだけかもしれない。けれどそれにしては反応があまりに冷ややかだった。

「蘭丸君は私が神童君のこと好きだと思ってるでしょ」

 無言で歩くしか出来ない蘭丸に追い打ちを駆けるように、今度は茜が口を開いた。身長差と視線の向きも相俟って、見えているかはわからないが頷いた。その反応を受けて、茜はふっと口元に寂しげな笑みを浮かべる。立ち止まって、蘭丸の顔を見つめて「やっぱり、蘭丸君は男の子だね」と言う。首を傾げる蘭丸に彼女は淡々と「女の子って言うのはね、誰かの恋心に気付いたら、周囲に確認してそれが確かだっていう裏を取らないといけない生き物なのよ」と教えてくれた。それをせずに、一人胸に仕舞い続けてくれた蘭丸は、優しくて、男の子だ。だけど、仕舞い続けて古びてしまった情報は新しいものに更新することも必要なのだと。

「私の初恋はシン様。でも神童君はもう、ただの友だちだよ」

 口元だけの笑みは、今度は緩やかな柔らかい微笑みに変わる。一瞬吹き抜けた風が蘭丸のいた世界を入れ替えてしまったかのように何かが壊れる。これまでの思い込みと、自制と我儘。誰よりも隣を望みながら、手だけは伸ばすまいと微笑み尽くで抑え込んだ気持ちは、まだ恋とは名付けていなかった。それだけが、引き返せるという安心材料であり幼馴染として茜を守る場所にいたという蘭丸の矜持だった。それが、今この瞬間にあっさりと壊される。
 神童が好きだから、神童がいるからサッカー部に入ったのだと思った。朝練に参加する理由だって同じだと思っていた。茜だって、蘭丸のその認識を肯定するように振舞って来たのに。そもそもそれが自分の為に一歩譲ろうとする蘭丸への彼女からの気遣いだったのかもしれない。だとしたら、これまでの自分の葛藤が随分間抜けなことのように感じられる。

「……俺さ、神童がいるから断られないって期待して、お前のことサッカー部に誘ったんだけど…。もしかしてその時から既にそれってお節介だった?」
「――?蘭丸君、俺が入るからどうって誘ったよね?」
「…そりゃあ表面上そう言うしかないだろ?」
「じゃあどうしたって私神童君がサッカー部だなんて知り様がないよ。ひとりで話し掛けるなんて出来なかったもん」
「――へ?」
「蘭丸君がサッカー部に入るって言うから入ったんじゃない」

 「忘れちゃったの?」と蘭丸の顔を覗き込む茜はどこか楽しそうだ。いつも彼女を自分より下の庇護対象として振舞う蘭丸が自分の前でここまで混乱した顔を見せるのは珍しいからだろう。人知れず見抜かれていた恋を、また人知れず終わらせた茜は実際蘭丸が理想とするほどもう子どもではない。大人でないにしろ、蘭丸には理解の及ばないこともありえる程度には女の子として熟し始めている。
 神童に抱いた初恋は静かに散って、蘭丸の前で晒すにはもう残骸すら微か。新しい恋を勇んで探しに行くほど茜は積極的ではないし必要性も感じていない。だからもう暫くはこのままでいれるのだと思う。周囲がいくら好奇の目に二人を晒しても知らんふりをする。些末なことに傷付いて手放せるほどお互いが気楽な存在ではなかった。おくびもなく大切な人だと思うし言えてしまうから複雑なのだ。
 毎朝携帯電話の送信フォルダと受信フォルダを一つずつ埋め合いながら、時折自分たちの足場を不安に思いもするけれど。幼馴染として過ごした日々が裏打ちしてくれるように、蘭丸は茜のことが大切で茜は蘭丸のことが大切だった。それだけで、毎朝示し合わせて一緒に登校するくらい当然のことになる。あとはいつの間にか開いてしまった一人分のスペースを再び埋めるきっかけを掴むだけ。だけどそれだって、きっとそう遠いことではないのだろう。



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鳩と永遠について
Title by『ダボスへ』





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