※卒業・お別れ

 正直、移ろう季節の様子に目を向けたり感慨に耽ったり、そういう人間なら誰しもこなしてきたであろう行動を、円堂はこれまであまりしてこなかったように思う。きっと、周囲の人間に任せ過ぎてしまったのだろう。誰かが春が来たと言えば駆けだし、夏が来たと言えば駆けだし、秋が来たと言えば駆けだし、冬が来たと言えば少し厚着をして駆けだしてきた。結局自分には、サッカーしかなかったのだ。
 誰かが言うには、春が来たらしい。そして明日、円堂は雷門中を卒業する。寂しいといえば寂しいし、あっけないといえばあっけない。当日にならなければよく分からないだけかもしれない。一人、もう訪れる頻度の減ってしまったサッカー部の部室に座り込みながら思う。式典行事前日ともあって在校生には部活をすることなく帰宅するよう、数週間前に配られたプリントに書いてあったような気もする。だから、今この部室にだって円堂の後輩たちの姿は見えない。
 何故今更一人部室を訪ねたのか。その理由は、円堂にも実はよく分からない。寂しかったのか、懐かしかったのか。気紛れの記念か何かか。卒業という概念は理解しても身に迫らない今、円堂はぼんやりと周囲を見渡すしか出来ない。
 思えば、此処に今や誰もが認める世界一のゴールキーパー、円堂守の全てがある。始まりも、終わりも。刻々と迫る終わりは、円堂を心地よい絆から解き放って先へと押し出す。抗うことは不可能だ。
 高校は、やっぱりサッカーの推薦で取った。サッカーしかないから。誰かが揶揄した言葉に、円堂は思わずその通りだと頷いた。だからサッカーを選ぶんじゃないか。
 休日だけではあるが、既に高校の練習に参加している円堂にとって、此処はもう通い慣れた部室ではなかった。引退直後、まだ頻繁に部活に顔を出していたことを咎めたのは風丸だった。

「終わったんだよ」

 そう寂しげに呟いた彼に、円堂は無言で従った。最高の三年間だったのだ。辛いことも多くて。だから嬉しいことが嬉しいと分かる。努力が出来る。ただ前ばかり見て走り続けてきた円堂に寄越された、過去を振り返る大量の時間は、何故だか只虚しく感じられた。
 手を取り合った仲間たちが各々選んだ道を、円堂は知らない。只離れてしまうのだろう。だけど、その誰もが頑張れよなんて手を振らずとも頑張るだろうから。明日までは何も気付かない振りをしていようと思う。交換し合った携帯のアドレスも必要ないほど交わした言葉が、あっけなく解けていくなんて、まだ、知らない。

「円堂くん、」

 夕暮、時間が過ぎるのは早いのだなあ、と円堂が部室を出た瞬間。聞き慣れた声に臥せていた視線を上げれば、そこには秋がいた。どうして此処に、と思ったが彼女の手の中にまた見慣れたこの部室の鍵が握られているのを見つけ気付いた。きっと彼女は、自分が今日こうして部室にやってくるのを見越して鍵を開けておいてくれたのだろう。部活が無い日に部室が開いていることに、ちっとも疑問を感じなかった自分が少しおかしかった。

「ありがとうな、秋」
「どういたしまして」

 秋が微笑んで、風が吹いて短い髪が風になびく。一瞬、円堂は秋を見間違えた。三年前の春。同じようにこの部室の前に立った瞬間の彼女が過ぎった。ああ、秋は変ったなあ。当たり前に埋もれて気付かなかった。もう彼女は、あの橙のジャージを着て自分達だけを母の様に見つめることなどないというのに。

「秋、髪伸びてたんだな」
「うん、ちょっと伸ばしてみようかなって」

 振り返ってみて思う。随分自分は彼女と共にいた。苦労ばかり掛けた。それでも、一人ぼっちの自分と一緒に一歩を踏み出してくれた彼女に、感謝している。ありがとうと告げるには多分少しだけ早い。だけど必ず伝えよう。木野秋という人間がいなければ、今の円堂守はいなかったかもしれないだなんて、大袈裟な台詞でも添えて。

「円堂君、ちょっとだけ、いいかな」
「ああ、」
「改めて言うのって恥ずかしいけど、ありがとう」
「…は、」

 円堂がたった今先延ばしにしてしまった言葉を、秋は少し赤くなりながらこの場で囁いた。まさか秋に礼を言われるとは思っていなかったから、円堂はぽかん、と口を開けて固まってしまう。秋は楽しそうに笑っている。
 円堂君は人気者だから、明日ちゃんと話せるかわからないもの、と言う秋の表情は諦めと呆れの入り混じった笑顔。円堂はその表情が、あまり好きだとは思えなかったちょっと前の、普通の笑顔の秋が好きだった。

「いや、秋が声掛けてくれれば、話すよ」
「うん、そうだね。……きっとそうだね」

 そういえば、円堂は秋の進む道を知らない。でも多分、自分とは違う道を行くのだろう。円堂の進む学校はスポーツには秀でているが、学問はそれ程ではない。マネージャーであった秋が、自分と同じ学校に進む理由などないのだから。秋は高校でもサッカー部のマネージャーをするのだろうか。していて欲しいと思う反面、やめて欲しいと思う。自分の知らないサッカー部で微笑む秋を、円堂はまるで別人を描くような気持で想像してみる。しっくりこないのは、未来のことなど知る由もないからだと、そう思っていたい。

「俺、秋と同じ高校が良かったな」
「円堂君?」
「そんで、また秋がマネージャーやったりしてさ、中一の春みたいに」
「……遅い、遅いよ」
「うん、ごめん」

 いつだったか、風の噂が告げた。秋は、自分が好きなのだと。あの時、何故か自分は俺の好きだよと返して、それが正解だと疑いもしないでいた。きっと間違ってはいなかった。だけど、堪え切れなくなったのか泣きながら蹲ってしまった秋の姿を見ていて、漸く気付いた。あの時、この言葉を秋に言ってやれば良かったのかもしれない。当たり前のように、一緒にいたいと言ってやれば、良かったのかもしれない。全てが可能性の話でしかないけれど、それでも。
 秋の正面に座り込み、膝を抱えている彼女の手を握る。気付けば円堂も泣いていた。力なく絞り出した謝罪は安っぽくて、相応しくないような気がした。

「ありがと、ばいばい」

 春が来た。きっと直ぐに夏が来て秋が来て冬が来る。そのどんな中にあっても円堂はサッカーをしているだろう。だけど、秋はいない。たったそれだけのことで、円堂は明日すら来なくていいと思えた。



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間に合いましたか、手遅れでしたか
Title by『オーヴァードーズ』




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