※魔法使いパロディ



 分厚い魔導書を何度も抱え直しながら、秋は軽やかに石造りの階段を下りて行く。黒いローブの裾をずってしまっている感触がして、授業が終わったら部屋に戻って洗おうと予定を組む。すれ違う同じ年嵩の背丈に頭を下げれば人間じゃなかったなんて事態にこの魔法学校に入学した当初は随分戸惑ったものだけれど、今では慣れきってしまった。寧ろ幽霊だとか精霊だとかそんなものにまで律儀に挨拶を掛けている稀有な生徒は秋くらいのものだった。だからか、秋の人外からの評判はすこぶる良かったりする。召喚術の授業では呼んでもいないのに自分にも何か用事がないかと魔方陣からひょっこり顔を出す連中だって多い。それが成績に加点されるかというとそんなことはないので、他の生徒たちは呼んでもいないのに出てくる精霊たちを邪険に扱う者もいる。「木野さんに迷惑かけてんじゃないわよ!」としっしと払われた彼等はこぞって舌を出すと秋のローブの中に逃げ込んでしまうのだ。
 そしてそんな風に秋を慕う幽霊や精霊たちに邪険に扱われているのが彼女の恋人である一之瀬だった。一之瀬自身は秋と同様に人外を使役することはあれどその為だけの対象だとは見ておらず穏やかに接する人間のひとりなのだが。自分の可愛い恋人が形容しがたい存在に纏わりつかれていることに、二人きりの時間を邪魔してくれるなよと軽い牽制を向けるだけで意に介さなかった。魔法使いである以上、境界線の曖昧な場所に立つこともあると理解していて、けれど時々ルームメイトのひとりであるディランと悪乗りをして悪戯を仕掛けては秋を含め幽霊たちに怒られている姿を目撃されることもある。珍しくもない、魔法学校の生徒だった。成績は割と優秀で、風の精霊と土の妖精との相性が良かった。秋は一之瀬の二つに水の妖精が加わって、後は学園内であれば万遍なく力を貸して貰っていた。
 授業は全て自分の得意な物、興味がある物を組み合わせて時間割を作成することが出来た。今年から秋が占術学の授業を取ることにしたと微笑みながら打ち明けた時、一之瀬は素直に「それは自分には向かない分野のベスト3に入るよ」と打ち明けていた。秋は「そうでしょうね」と頷いた。彼女の肩に乗っていたドワーフの子どもの霊がシシシっと歯を見せて笑ったのに杖先に風を纏わせて叩いてやった。そうすると秋は一之瀬を叱るのだ。悪循環。
 占術学の授業は古城の校舎でも一番辺鄙な東の塔を使用するため、次の時間も授業を入れている人間は急いで移動しなければならない。幸い秋は次の一時間を空けている為急ぐ必要はない。螺旋状になった石造りの階段を下りる途中、ガラスのはめ込まれていない窓から外を見れば何故か一之瀬が下から顔だけをひょっこりと覗かせた。高さは相当の場所なのだが、やあ奇遇だねと言い出さんばかりの自然な雰囲気だ。

「ねー秋、お昼ごはんどうする?」
「一之瀬君…。飛行術の授業だったの?」
「いや、これはただの時間短縮」
「それ違反じゃないの」
「だから見逃してね」
「この間意地悪したドワーフの子が告げ口しなければね」
「そうなると俺一気に敵が増えちゃうんですけど」

 授業以外で校内を飛び回ることは事故に繋がるからと禁止されている。教師たちにバレたら即刻反省文を課されてしまう。一之瀬は成績も良いがそれ以上に友人との付き合いも良いので、子どもらしい範疇でやんちゃをすることを迷わないし厭わない。反省文もそれなりに経験して、言葉の並べ方を覚えてしまえばただの作文でしかない。秋にそう本音を打ち明けると、困った顔で苦笑された。「一之瀬君には、何か呪文を禁止したりする実刑の方が身に沁みるのかもしれないわね」と。確かにそれは痛いけれど、罰則である以上無期限の禁止は殆どありえない。この学校にいる間に身に付けるのは大抵授業で使用する呪文。どれか欠けてしまえば不便を被ることがある。勤勉な連中は自主学習の中で様々な魔法を覚えていく。一之瀬もいくつかこの先学校というまっとうな場所では教えて貰えないであろう魔法を覚えていたりもする。邪な物ではなく、秋だって実家筋に伝わる治癒魔法などを個人の修練で会得しているし、珍しくもない。ただ一之瀬はそういう類の魔法を悪戯には用いない。子どもの内に披露するカードは少ない方が何かと後々やりやすいと思っているからだ。
 だから、現在の一之瀬を本気で反省させたいのであれば罰則を魔法関連に探すのは見当違いも甚だしかったりする。一之瀬の目下最大の悩み事は、最初こそ寛容な態度で気にも留めていなかった妖精や幽霊たちがこぞって秋に懐ききっていることなのだ。嫌われて小石を投げられるような連中よりよっぽど出来た彼女を持って誇らしい半面、二人きりの時間が滅多に訪れなくなってしまったことも事実で。秋は魔法使いである自分たちが魔法を使用する際に呼び出す精霊たちを使役関係から離れればか弱い存在だと思っているらしく優しくなるし甘やかす。時にちょっかいを掛ける一之瀬を嗜めるほどに。そういう時に、一之瀬は少しだけ優先順位が違うんじゃないかとへそを曲げてしまうのだ。
『カズヤが妖精になれば甘やかして貰えるんじゃないか?』
 無責任な笑い話の種として言い放った友人であるマークの言葉。それじゃあその他大勢に紛れるだけで特別性は皆無じゃないか。真剣に憤慨して見せれば意外だなと目を瞬かれ、「これだけの恋慕となれば妖精なんて可愛らしく純粋なものにはなれるはずがないな」と前言を撤回された。失礼な奴だと呆れながらも強ち間違いじゃないなと納得も出来てしまうのだから、一之瀬から秋へ向かう気持ちは本物だ。子どもであることが弱点になるくらい大袈裟に強く深い。これだけの気持ちを幼馴染という積み重ねを無くして出会っていたら秋の心を手に入れる為にその手の禁術にだって手を出していたかもしれない。正気と狂気をないまぜにした、独占欲を吐き出せるだけの格好悪さを自分に許してやれないから、一之瀬はいつだって茶化した態度で秋の周囲を覆う物を許して見せる。許す振りをする。
 魔法使いである以上彼等に力を借りることがある。魔法使いである以上彼等を無視することは出来ない。魔法使いである以上彼等を排除する術だって身に付けている。何を一番重視すべきか。一之瀬にとってはどれでもなく秋の気持ちだけが最優先で重視される。彼女は人外を厭わず優しく微笑みかけ受け入れる。だから一之瀬は動けなくなる。そんな醜い嫉妬を恋愛対象外にまで見境なく向ける自分の姿を秋は想像も出来ないだろう。それだけが、一之瀬が感じられる秋からの優しさだった。

「一之瀬君聞いてるの?」
「ねえ秋、お昼ご飯は二人きりで食べたい」
「――え?」
「最近妖精も精霊も幽霊も飽きるほど傍に置いたじゃない。そろそろ秋を俺に返してよ」
「私、一之瀬君の所有物じゃないんだけどな」
「そりゃあそうだよ。秋が召喚されたらほいほい呼ばれて出向いちゃうような精霊と同じだったら俺は耐えられないもの」
「――変なこと考えるのね、」
「連日秋の肩にドワーフが引っ付いてたせいで今も幻覚でアイツの顔が秋の隣に見えるようだよ…」
「それは単に疲れてるんじゃない?毎日ちゃんと寝てるの?」
「それがこの間入れ物の写真立を置いてあった机にぶつかって落としちゃった女幽霊が枕元で小言呟くから昨日は全然眠れなかった」
「一之瀬君…」
「これは本当にわざとじゃなかったんだってば!謝ったし、写真立だってちょっと欠けちゃったとこもきちんと直して机に積もってた埃だって拭き取ったのに最近の生徒たちは私たちのこと見下してるだのなんだの俺に関係ない小言延々と唱えてるんだよ…。土門たちは他の友だちの部屋に泊まらせて貰ってるしで腹立たしい!」
「仕方ないなあ、じゃあお昼休みは久しぶりに二人で静かに過ごそうか。温室に行く?ちょっとでも眠るなら膝貸すよ」
「―――!…ありがとう」

 自分の要求が秋に飲まれたことに、恋人関係であるにも関わらず一瞬信じられないと驚いてしまった。一之瀬の為に、普段纏わりつくことを拒まない人外たちにお引き取り願うと言う。きっと心底申し訳なさそうに謝ったり、頭を下げたり。そんなへりくだらなくても良いんじゃないというレベルで秋は彼等を対等に扱うのだろう。それでもその対等以上に上等な位置に一之瀬を据えてくれている。単純な事実がとてつもなく嬉しい。
 今から昼休みが楽しみだ。けれど折角の二人きりを眠って過ごすのは勿体ない気がする。しかし秋の膝枕は一之瀬が眠らないのならば提供して貰えないだろう。取りあえず、昼休み前に一之瀬にはあと一つ授業が残っているので答えはその間に決めれば良い。決定事項は、温室の周囲に妖精だとか精霊だとか幽霊だとか奴らが入って来られないように結界を張ることだ。




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うつくしく行儀の良いひとたち
Title by『ダボスへ』





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