※捏造


 ふとした瞬間に思うことがある。マネージャーだった頃に春奈が見ていたフィールドと、サッカー部の顧問になった今春奈が見ているフィールド。立ち位置はさほど変わっていないこと。それが当事者であることもあれば傍観者であることのほうがよっぽどだという事実が、春奈には時々痛むのだ。選手になりたいわけではなかった。けれど、もっとやりようがあったのではという想いは過去から現在まで、ボールを繋ぐ選手たちの傍らに佇みながら春奈の中で決して拭いようがないままに存在している。サッカー部であったことは間違いなかったけれど、危ない場所にも放り込まれていたから、考え過ぎている一面もある。けれど実際サッカーをしているんだから、スポーツをしているんだから、元気の良い子どもなんだからと笑って済ませることのできない理由で、サッカーを原因に傷付いていく人たちを、たった一本のラインを跨ぐことが出来ないが故に見つめていることしか出来なかった無力感は忘れてはいない。けれどそれ以上に刻み込まれたサッカーの素晴らしさを信じているから、その頃見つけた夢を春奈は迷うことなく叶えたし、母校でその原点のサッカー部に再び帰って来たのだ。知っている顔など当然ピッチにはなかったけれど、確かに受け継がれている雷門のサッカーを、その誕生を継承の始まりを間近で見ていた春奈には自然と誇らしい気持ちが宿っていた。
 十年前のように自由なサッカーが出来ないことを、春奈自身理不尽だとは感じていて、顧問としてそれを打破することの出来ないもどかしさも常だった。子どもたちに何もしてやれない大人。昔、仲間たちが迷い壁にぶち当たっていた際に的確に、時には婉曲にアドバイスを与えて状況を好転させてきた監督たちの様にはまだまだ程遠いのだと痛感する。それでも春奈はもう子どもではいられなかったから、マネージャーのような近さで選手に駆け寄ることも寄り添うことも出来なかった。見守ることがこんなにももどかしいとは、あの頃の春奈は知らなかった。

「豪炎寺さんはカッコいいですね」
「―――?」

 何度目かのタイムジャンプを行った天馬たちを見送って、春奈は隣に立つ豪炎寺を見上げた。彼はまだもう何も浮かんでいない青空を見上げていて、春奈の言葉に顔を下ろす直前、彼女は彼から視線を外した。出会った頃から見上げる位置にある彼の顔は、やはり変わらず丹精に冷静に整っている。円堂や鬼道といった春奈により身近な人間が雷門の監督を務め過ぎていく中、豪炎寺は漸く雷門に帰ってきた。尤も、いつの間にか頼まれていたアーティファクトの調達をこなしていたりと監督やコーチといったサッカーに携わっている印象はさほどない。「そんな歴史価値のあるものをどこから持ってきたんですか」と胡乱気に尋ねる春奈に「企業秘密だ」と豪炎寺は微笑む。相変わらず言葉の足りない人だと呆れるようでいて、変わらない在り方に安堵も覚えている。
 今の豪炎寺は、もう雷門のエースストライカーであった自分を過去にして、どこからどうみても立派な大人を務めている様に春奈には思えた。十年という年月を過ぎればそれは当然のことかもしれない。それでも春奈は寂しいのだ。先生という立場も相俟って、危険な場所に生徒を送り出すことを見送るだけの自分。彼等の成果に合わせてあっさりと記憶を改変させている自分。豪炎寺のように力になれることが何一つ見つけられない。きっと、覚えていなくとも自分は天馬たちのタイムジャンプを見送るたびにこんな払いようのない感傷に陥っているのだろう。豪炎寺は、知っているのだろうか。

「ねえ豪炎寺さん、私ってこれまでに何回くらい天馬君たちを見送ってるんでしょう?」
「……さあ、俺も毎回立ち会っている訳じゃないからな」
「そのことを全く覚えていないなんて、正直薄気味悪いです」
「そうか」

 春奈の問いに虚を突かれたように瞳を見開いた豪炎寺に、こういう会話はしたことがないのかしらと春奈は目星を付ける。探るような関係は嫌いだけれど、記憶喪失とは違う春奈の現在は、一々豪炎寺に説明を求めてはいられないのだ。欠けているといえば欠けている、満ちているといえば満ちているそんな春奈の記憶は心配を掛けるようなことではない。
 会話が少し途切れていた間に、二人とも視線を空に戻して、また春奈は口を開く。

「私にも出来ることがあったら良いのに」
「………音無?」
「天馬君たちが過去から戻って来るたびに彼等がしていることを忘れていたらおかえりだって言ってあげられないじゃないですか」
「仕方ないさ。俺たちはもう土俵が違う」
「…豪炎寺さん?」
「天馬たちと同じ土俵で役割を探しても何もない。俺たちは大人で、勝手に未来を託して、見守るしか出来ないときもある」
「――そうじゃないときも?」
「あるだろうな。音無は彼等の先生で顧問なんだ。帰りの目印にはなってるんじゃないか?」

 空を見上げながら、春奈を見つめることもなく豪炎寺は会話に応じている。横顔に浮かぶのは、少しだけ寂しそうな色。落ち込んでいる春奈を励ませたらいいなとは思っても、語られる言葉は豪炎寺の中での真実のみ。だからこそ、その中に確かに音無春奈は必要だという答えを与えてくれる。勿論、それが完全回答の正解だとは春奈も思ってはいないけれど。
 いつの間にか、またまじまじと豪炎寺の顔を見上げていた。そして、案外この人は自分を大人として慕う天馬たちがいるからこそ平静を保てるのであって、こんな風に彼等を見送ってしまえば春奈と同じように無力感に苛まれる寂しがり屋なのかもしれないと気付く。ならば二人して肩を並べることは、ただの慣れあいなのかもしれなかった。
 ――円堂監督がいたら何か違ったのかしら。
 こんな考え方は、古いのだ。春奈は知っている。もしも天馬たちが同じ言葉を発しても、そこに込める意味合いはきっと違う。天馬たちは背を押して貰える。乗り越えるのは自分たちだ。けれど春奈は、隣で念じている。自分の目の前で傷ついたり悩んだり、だけど自分では救ってやれない生徒たちをどうか助けてあげてと。そしてそれを出来ると思い込む根底は、いつだって十年前の円堂なのだ。輝かしかったことは間違いなくとも、少し引きずり過ぎているなと自嘲する。そんな眩いばかりだった円堂だって、今は囚われの身で、春奈は一時事故で死亡していたと信じ込んでいた。事実としてその一件は存在していたのだ。

「…自分の力で全部どうにかしたいって思うのはもういけないことなんですね」
「いけなくはないだろう。ただ出来ない。それを理解して受け入れなくてはな」
「――大人って、思ったより窮屈なんですね」
「そうだな」

 春奈の不満そうな言い草が、子どもじみていながらも大人になった自分たちの心境を的確に表していて豪炎寺は思わず口端を上げた。見送るだけはもどかしい。それは確かに豪炎寺だって感じていることだ。けれど、今戦って未来を勝ち取らなければならないのは自分ではなく天馬たちなのだ。それを、豪炎寺はもう納得した。歴史の修正に巻き込まれない記憶が、まだ自分には出来ることがあるという余地があったからか、割と容易く。春奈には、どうやらそれが難しいらしい。悩んだままでも良いと思ってしまった。その方が、感情を閉じ込めないあの頃から変わらない春奈らしさだと勝手ながらに豪炎寺は思っているのだから。
 見上げた空は快晴で、雲すら流れては来ない。天馬たちが向かった先もこんな晴天であったら良いのだが。気休め程度の案じは結局どちらでもいいこと。彼等なら大丈夫だなんて無責任な信頼を寄せて、豪炎寺は次の行動に素早く映れるようにとそろそろ次回のアーティファクトを入手しに出かけなければならない。これはこれで、なかなかの無茶を押し付けられているのだが不満はない。その役割の有無と気持ちの充足感だけが、豪炎寺と春奈の決定的な差異なのだ。忘れてしまうかもしれないとして、豪炎寺の天馬たちの為と銘打てる用件に春奈を連れて行くことは出来る。だが春奈は雷門の教員としての仕事がある。それを放棄するのは己の義務を履き違えているだけだ。だから春奈は、より自分の環境を窮屈だと感じるのかもしれない。自らの夢として掴んだ場所にいるのだと理解しながらも感情が納得しないのだ。
 豪炎寺に言わせれば、天馬たちが帰って春奈を見つければきっと条件反射のような当然として彼女に「ただいま」と声を上げそうなものだが。もしくは、天馬たちが帰って歴史修正が成されるよりも先に一仕事を終えて帰って来た自分に春奈が「おかえりなさい」と言ってくれればそれで十分なのだけれど。それはそれで勝手なことだなと、豪炎寺はひとり心の中で春奈に謝罪した。



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許してあげなさい






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