空港までの出迎えは正直期待していなかったものだから、飛行機を降りてコンコースに到着するなり大声で名前を呼ばれた時は心臓が止まるかと思うくらいに冬花は驚いた。それが聞き間違えようのない恋人の声だったからか、大勢の前で注目を浴びるような形になってしまったからかはよくわからない。きっと半々といった所だ。
 ベンチに座って待っていたらしい綱海が冬花に向かって駆け寄ってくるのを呆然と見つめながら、直ぐに我に返って自分からも間合いを詰めた。大勢の人が行き交う空港内では、再会や見送りで声を張る光景も珍しくないのか先程綱海の声に釣られて此方を向いていた人たちも既に興味を失い各々別の対象へ視線を移している。にこにこと絶えることのない笑顔は電話やメールを交わすたびに頭に思い浮かべていたものと寸分の狂いもなく同じ表情だった。以前直接顔を合わせたのはいつだったっけ。その時間すら曖昧にしてしまうほどそのままなものだから、冬花はもしかしたら自分たちの時間は止まっているのではないかしらと突飛な想像に至ってしまう。そしてそうであるならば、横たわる距離を受け入れたこの遠距離恋愛も不安に変わることはないだろうにと嘆息する。綱海が自身の拠点を沖縄から移すことはないだろうし、それが彼らしいと納得している。では冬花が沖縄に乗り込むべきなのかと言うとそれはそれでらしくないなと首を振る。冬花はどうにも自分の名前が冠する季節がそこに不釣り合いな気がしてしまう。時には、綱海の隣に寄り添うことにさえ。けれど冬花は自分の名前が好きだったし、その季節だって嫌いではない。温かいものを温かいと抱き締められる、そんな優しい季節だから。
 定住は出来ないけれど、観光地としての知名度は伊達ではなく時々出向く分には冬花も沖縄を好いている。勿論綱海がそこにいるという大前提は必要だが、資金と時間のやりくりにさえなれてしまえば彼から会いに来てくれれば良いのにという不満は浮かばない。尤も冬花ばかりが遠出をしていたのではいつか負担になるとわかりきっているので当然綱海も定期的に沖縄を出て冬花に会いにやって来る。最近では小さい頃世話を焼いた男の子が雷門に進学したらしくその様子見も彼の腰を軽くさせているらしい。それが秋の親戚だったり、雷門のサッカー部で活躍し自分たちの知り合いの教え子になっていたり、冬花の担当している入院患者である少年と仲良くなっていたりと世間の狭さに随分と笑わされたものだ。同時に大人になったものだとも思う。自分たちが身を置く世界以外にも目を向けられるようになったということだから。
 冬花の手からキャリーバックをやんわりと、しかし有無を言わさず奪い取った綱海はその軽さに不思議そうに眼を見張った。それを至近距離で察しながら、確かに前回来た時よりも荷物が少ないかもしれないと冬花も無言で彼の疑問を肯定する。滞在日数はさほど多くはない。それでも旅行というには冬花自身に馴染んだ土地と過ごす人、日常の欠片を持ち込んだ場所にあれもこれもと不備を気にして荷物を膨らます程、もう初心者ではなかった。

「服は洗濯すれば良いし、足りないものは買い足せばいいかなと思って」
「まあ、そうだな」
「お土産も買うつもりはないし、荷物が増えることもないから鞄も小さくなっちゃった」
「買わないのか?」
「うん。きりがないから」
「ふうん?」

 その「きり」が何のことであるのか、綱海には正直曖昧だったけれど、冬花の中では確かに繋がっている事象なのだからそうなのだろう。贈る相手の範囲か、贈ることへの頻度か。人当たりが悪い訳ではないけれど、冬花はあまり交友関係が広くない印象を綱海は彼女と出会ってから今日まで変えていない。サッカーを通じて共通の友人はいるが、それ以外の場で冬花が形成する世界を綱海は知らないし、実はあまり興味がない。恋人としてそれは問題があるのかもしれないが、束縛するタイプではないし、冬花がぽんぽん属する集団を転じていくような人間でもなかったから気にしたこともなかった。綱海だって、海を愛する人間となら誰とでも仲良くなれるような気がするが積極的に他人を引き込んだり引き込まれたりはしない。行動範囲も決まって来るし、時間の束縛も金銭的余裕も大人になるにつれよりリアルに人間関係に影響してくる。特に時間は上手く遣り繰らねば個人の趣味につぎこめるものもつぎこめなくなる。沖縄と本土を遠いという人間が大半の中で、綱海だって近いとは言わないが同じ海に浮かぶ陸地であることには違いないとどこか悠長に捉えている。それを冬花が微笑んで「綱海らしい」と称することはあまり褒め言葉ではないのだろう。恋人という関係に落ち着いてから、これまでの敬語を取り払った冬花の物腰は驚くほど以前と変わらない。恋に身を焦がすタイプでないことは二人して同様だったが、手にした特別に思い入れを持ちそれを感情に表すかどうかは、冬花に関して言えばそうでもなかったようだ。関係を維持する為の交流は好意故苦痛なく義務でもなく自然と心が促すけれど。挟んだ距離に少しだけ冬花が抱いている不安の意味を、綱海は全く知らないのだ。
 自分の気持ちが変わらなくとも、相手が距離に負けて自分への恋を終わらせても仕方ないと冬花はいつか諦めることが出来る。そんな自分の薄情で傲慢な考え方が、彼女はいつだってやるせない。何故自分は想い続けているのにと上から相手を押さえつけようとするのだろう。どうして綱海の気持ちの方が自分より浅はかだと決めつけているのだろう。それは冬花ばかりが海を挟んだ恋の終わりに怯えているからだ。身構えておけば耐えられる。それをしない綱海の純粋な自分への信頼は一種の恐怖だった。だから区別してしまうというならば、冬花はもっと言葉にして綱海を自分に繋ぎ止めておくべきなのだろう。齢を食えば権利を得るのか、何の装飾品もない冬花の左手の薬指が待っているもの。いつもならきっと拘らない。ただこうして顔を合わせて、目の前で変化する表情を、匂いを。愛しさとして思い出してしまったら冬花は今到着したばかりの沖縄を去る日のことを考えずにはいられない。何故離れなければならないのか。自分たちの生活の拠点を定めたのは自分自身であるくせに悲しくなる。

「なあ冬花、今日はこれからどうする?」
「――どうしよっか。夕飯の買い物をして…時間が余ったら海に行く?」
「そっか、取りあえず買い物だよなー」

 片手で冬花の荷物を引きながら、もう片方の手を冬花の手と絡ませて綱海は歩き出す。ホテルなんて綱海を理由に沖縄を訪ね始めてから一度も利用したことがない冬花は空港から彼の自宅へ向かう道程もおおよそ覚えてしまっている。一番近い食料品店も。何年通しても代わり映えしない品揃えも。だから夕飯のレパートリーも工夫しないと出来るものと出来ないものがある。綱海は冬花が作ったものならば何でも美味しく完食してくれるのだが、それを知りながら純粋に料理の腕で喜ばせたいという女の子の意地がある。
 諸々の不安を隅に追いやって、冬花は今日の夕飯について考える。これからの数日間は直ぐ近くに綱海がいるのだから。少なくとも、それは冬花にとって幸せなことだ。綱海にとっても同様に。どれだけ悩んだって、やはりお互いの隣が一番居心地がいいのだからどうしようもない。
 もう何度も目に焼き付けた海が、きっとまた冬花を待っている。



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貴方とならどこでだって呼吸できるよ





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