――季節の変わり目は落ち着かない。
 リカの言葉に、マークは一体何の話だと首を傾げた。その時彼女はもう、先日久しぶりに遊んだ友人の話に話題を移していたから聞きそびれてしまった。運動神経に伴う反射神経もなかなかに優れている部類だとマークは自負していたのだが、リカの身軽さにはてんで対抗できないのだから情けない。女の子の話題の移り変わりが激しいのは驚くこともない普遍的事実だったけれど、マークがこれまでそうしてころころと変わる話題に付き合う振りをしてその実適当な相槌を返していただけだったことが明るみに出て責められているようで肩身が狭い。好きでもなかった女の子の話にどれだけ親身に耳を傾ける必要があるかなんて、マークは全くないとしか思えなかったのだ。ランチの話がそれを共にした友人の話になりその友人との会話から恋愛感をズラズラと並べられた挙げ句にその理想にそぐわない友人カップルを批評して見せるのはどういうつもりなのかがわからない。興味ないなと一言で切り捨てて場を後にしなかっただけでも偉いと思っていたのだが。
 因みに一之瀬にこの手の相談事を持ち込むと迷うことなく明朗に答えを差し出してくれる。

『簡単な話だよ。取捨選択して自分を押し付ける。甘えさせてくれないなら甘えさせるべきじゃないよ。疲れるでしょ』

 だってその子はマークの特別じゃないんだから、と一之瀬は笑っていた。端からそんな一緒にいて気が滅入るような相手を自分の間合いに潜り込ませるなと。出会い頭に自分の本質に正直な我が儘をぶつけて、ある程度の許容が得られれば自分から譲歩もするし獲得も出来る。一手目で引いてしまうような相手ならばこの先隣にいても腹の底ではお互い口に出せない不満を抱えながら生きて行かなくてはならなくなるしと開き直っている。そういうのは傲慢じゃないかなと窘めるマークの真摯さを一之瀬は理解しながらも自分の価値観を曲げるつもりはない。マークがそれを許容するしかないとこれまでの経験が教えてくれる。だから一之瀬もマークからの進言に耳を傾ける。取捨選択とはこういうことだ。合う合わないがある人間関係の中で、合う人間で積極的に周囲を固めるというのが一之瀬のやり方だと示しただけのこと。
 そして自分にとって運命的な相性を持つ人間とは、そんな小細工を施す暇もなく結び付きを強めているものに違いないとも一之瀬は思っている。だからマークは何も悩む必要はないのだ。彼の悩みは、いつの間にか隣にいた人間の話がどうでも良すぎて困っているということなのだから、正直「切り捨てろ」以外の返事が思い浮かばない。だってマークはもう彼の運命の相手を理想で覆いながらも定めているのだ。何を今更他人のことで悩んでいるのだろう。しかしこういう所がマークの美点であり、我等がユニコーンのキャプテンとして抜群の信頼感を誇る一因なのだろうなと納得も出来た。
 だけどもし一之瀬にマークに対する不満があるとすれば一つだけ。頻繁に自分にばかりリカとの恋愛相談を持ち込まれること。彼女の以前の恋心を知っていてこれなのだから、存外マークは自分以上に図太い人間なのかもしれないと、一之瀬は密かに嘆息している。


 マークが一之瀬にリカへの恋心の相談を持ち込むことに特別な理由があるとすればそれは単に彼に知っておいてほしいからだ。自分がリカを好きだということ。そしてリカは一之瀬のことが好きで、彼はその想いを言葉尻を柔らかにぼかしながらも拒んだということ。そのことを忘れて欲しくないというだけの理由。つまり我儘で、自己中心的な保険だ。
『俺はリカを好きで、リカは昔カズヤのことが好きだったけど、カズヤはリカを振ったんだからこの先だって彼女を好きになったりはしないよな?』
 そういう保険。我ながら憶病だなとは思うけれど、リカの身軽さをしっているマークには傍目には一之瀬への想いを吹っ切ったように見せている彼女がやはりと彼を想い続ける道を選ぶことが一番怖い。想うだけじゃ駄目なのかと聞かれれば、駄目なんだろうなと自分に落としどころを用意するしかない。好きになった相手に同じように好きになって欲しいと思う。それが恋をするということだ。想うだけなら恋でなくても良い。友情でもなんでも。
 その場にいなくとも一之瀬を挟んでお互いを認識し合ったマークとリカは、初対面から晒された彼女の恋を当然の様に共有しなければならなかった。協力するとかそういった類の共有ではなく、常識として、前提として刷り込まれた。浦部リカは一之瀬一哉が好き。そして自分はそんなチームメイトに恋をしている女の子の友だちなのだという立ち位置の証明。いつしか時間が流れてリカの恋は終わったけれど、マークは彼女から受け取った前提を取り払っていいものかを確認しそびれた。好きの文字を過去形に変化させてまだ残しておいた方が良いのか、それとも忘れてしまっても良いのか。共通点を失くして交流さえ途絶えてしまうのならば、マークは一之瀬を挟み続けながらでもリカと繋がっていたかった。彼はもう、ずっとリカのことが好きだったから。
 二人きりで会うことを拒まれない間柄は彼女からすればただの友人に過ぎないのかもしれない。それはわかっているけれど、サッカーばかりのマークが時間を割いてリカに何度も声を掛ける理由を探ってはくれないものかと淡い期待を抱くことだって、彼はいつまでも止めることが出来ない。それは普段のマークの異性に対する距離感を把握している人間でなければ難しいことだろうに。


 数日後、マークは一之瀬からリカが風邪で寝込んでいるという情報を貰った。よりによって一之瀬からという現実に硬直するマークに、彼はわかりやす過ぎるよと肩を竦めた。心配しなくても自分から近寄って収集した情報じゃないし、寧ろ伝達係を務めてあげたことに感謝をして欲しいくらいだと、一之瀬はマークの肩を叩いてその場を後にした。すれ違いざまに「塔子が怖くってさ」と小さく呟かれた言葉に食いつくことはしなかった。マークも、彼女のことは少し怖いと思っている。リカの隣に立ちながら、時折睨まれることを自覚しない訳にはいかない。
 威嚇されているんだろうなと理解しながらも好きは好きだから。マークは彼女の自宅まで訪ねて行くことにした。途中スーパーに寄ってスポーツドリンクやゼリーと言った口当たりの良いものをいくつか購入する。一人で訪ねたことがない訳ではないけれど。扉の前に立つとそういえば予定もなしに突然チャイムを鳴らすのは初めてだなと気が付いて怯む。手はもうチャイムを押しているのだから、意味がないと言えばそれまでだけれど。
 暫くの間を置いてから、ゆっくりと開いた扉の隙間からリカが顔を覗かせる。体調が良くないというだけあって、顔には若干生気が欠けている。リカはマークに気が付くと一瞬だけ笑みを浮かべたが、直ぐに申し訳なさそうに謝罪を口にした。遊びにはいけないと思っているのだろう、この顔色を見て外に連れ出そうとするほど空気の読めない人間ではないよとマークは見舞いに来たという旨を告げて、意外だと瞬くリカに何とか部屋に入れて貰った。

「よう知っとったね。ウチが寝込んどるってこと」
「カズヤが教えてくれた。カズヤは多分トウコに聞いたんだと思うよ」
「ああ、塔子も朝にわざわざ寄ってぷりぷり怒りながら出掛けて行ったわ」
「怒ってた?」
「体調管理をちゃんとせなあかんやろって」
「ああ」
「でもウチ季節の変わり目はほんと落ち着かん。毎度寝込むわけじゃああらへんけどどうにもなあ」
「ああ、落ち着かないってそういう…」
「…?マーク?」

 先日聞きそびれたリカの言葉の意味を漸く見つけることが出来た。季節の変わり目に落ち着かないのは彼女の体調。成程、そういうことは良くあるだろうと納得する半面、目の前で現在進行形で体調を崩している彼女にどこかすっきりとした気持ちで対面するのは失礼だろうか。もやもやと抱えていたものが解消された爽快感が、思わず表情に浮かんでいなければいいのだけれど。
 マークのそんな願望は見事に打ち砕かれていたらしく、彼の表情の変化を見止めたリカは訝しげな視線を送る。それに沈黙を返しても引き下がるリカではなくて、マークは正直に先日リカの「季節の変わり目は落ち着かない」という言葉をきちんと聞いていなかったことを白状する。

「そんなことでずっと悩んどったん!?」

 信じられないと声を上げるリカに、マークは恥ずかしさで頭を下げる。気が小さいと思われただろうか。しかし直ぐに彼女は面白いと笑い出した。自分の何気ない言葉に真剣に向き合ってくれる人間がいることは素直に喜ばしい。そう、マークに礼を述べてくれるリカに、彼はそんな立派なものじゃないんだよと言い訳したくなるのを必死に堪えた。言ってしまえば、根底の恋心を打ち明けずに話を続けることが不可能になってしまう気がした。今はまだ、告白する勇気なんてこれっぽっちも持ち合わせていないのだ。
 それに今想いを告げたら怒られそうだ。風邪をひいて、おでこに冷えピタを貼り半纏を羽織り当然化粧もしていないリカは間違いなく恋愛の二文字を全く意識していない状態だろうから。好きの欲目でどんな格好のリカでも好きだと思うマークの主観はこの場合全く意味を持たない。健康体で化粧もばっちり、臨戦態勢を整えたリカに突撃して玉砕するくらいの覚悟を決められない内は、この恋は実らないのだろうなとマークは思っている。勿論、玉砕なんてしたくはないが。
 取り敢えずこのお見舞いが少しでも好印象を残してくれれば良いなあという邪な願望も仕方がないと割り切る。マークが買ってきたゼリーを嬉しそうに食しているリカを前にならそれくらい許されるだろう。スポーツドリンクとゼリー数個の出費で、彼の財布はなかなか甚大な被害を被ったのだから。頭の中で「好きならしょうがないんじゃない」という言葉が一之瀬の声で再生される。全く以てその通りなのだから困ったものだ。
 マークはリカが好き。それだけで、季節の変わり目も関係なくマークは落ち着きがない。恋はきっと、そういうものだ。



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それは石ころではありません
Title by『ダボスへ』





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