※剣城(→)茜→拓勝
※戦国時代


「この時代の格好、便利」
 山菜茜の呟きに、剣城京介は「そうですか」と幾分そっけない声を返すしか出来なかった。彼女と違って戦国時代に来てからもサッカーをするときはユニフォーム姿に戻っている剣城としては、やはり現代の、自分たちの時代の服装の方がやりやすいという感情が先に立つ。茜の言葉には同調できず、ただそれが彼女の意見なのだと納得するだけ。茜も特に共感を求めているわけではないのだろう。そもそも、男女という差は勿論、ワンダバの趣味なのではと疑いたくなる程度に、個々に衣装のバリエーションが富んでいるのだから。茜の格好は、葵とも水鳥とも被っていない。衣装自体は色が違うだけで同じ着物という部類のものを着ている葵は、最初は物珍しさではしゃいでいたけれどやはり制服だったりジャージの方が楽だと言っていたような気がする。
 今も剣城は見慣れた雷門のユニフォーム、茜は淡萌黄の着物姿のままだ。この時代に来てから、誰かに不審がられるといけないからと茜のトレードマークであるピンク色のカメラはキャラバンに置いたままになっている。変わらずサッカーをしている自分たちの、特に神童拓人の写真を撮ることもなくじっと練習を見つめているだけの山菜茜というのは珍しい。いつもはいつシャッターチャンスが訪れても対応できるようにと胸の前に掲げられているカメラ。それがないということは、彼女にとっても手持無沙汰な状態らしい。茜を挟んでいる葵を水鳥は、手を口元に添えて激励の声を飛ばしたり、拳を突き上げてしっかりしろと檄を飛ばしてくるのに、彼女は体の前で手を握っているだけ。これからお辞儀でもするのかと言わんばかりのゆったりとした姿勢。何の主張もしない唇。いつもならば、それは彼女のカメラのシャッター音が担っていたもの。
 ――私は此処にいる、私は此処でちゃんと見ている。
 本人にはそんなつもりはないのかもしれない。それでも剣城はそれを頼りに彼女の存在、位置を探ることが出来る。ボールを持ってピッチを駆け上がる瞬間、耳に届く音、慣れきって視線を向けることもしないけれど、ああ彼女は今自分を見ているのだと実感する。そしてそのままシュートを決めれば、彼女は他のマネージャーとは違うタイミングで褒め言葉を寄越してくれる。仲間たちが練習なり試合の途切れるホイッスルの音が鳴った瞬間に近付いてきて「さっきのシュートは凄かったね!」だとか「パスコースも開いてたんだから次は譲れよ」だとか次々に声を掛けてくれるのに対し、茜は完全に練習が終了してから剣城に近付いてくる。そして手元のカメラを彼の方に向けて収めた写真画像を見せながら「このシュート、格好良かった」と微笑むのだ。剣城と茜の繋がりなんて、それくらい。彼が雷門のエースストライカーとしてゴールに絡む機会が減ればそれだけ彼女との接点も消えて行くものだと、剣城はそう思っている。
 FWとしての活躍とカメラ。繋がる媒体を片方失くしてしまっては、彼女はもう自分には話しかけて来ないだろう。練習の合間、タオルで汗を拭っている剣城にお疲れさまとドリンクを差し出してきた茜に色々と思ってしまうのは、そんな理由からだった。まして次いで寄越された言葉は「この時代の格好、便利」だったから猶更。いつもならば、彼女は神童拓人にドリンクやタオルを差し出しているはずなのにと周囲を見渡せば彼は自分たちから少し離れたところで誰かと話し込んでいた。神童が壁になっている所為でよく見えないが、肩越しに覗くお団子頭が近頃自分たちの面倒をよく見てくれているお勝という女の子だということを理解する。成程、と剣城は頷く。他人様の恋愛事情に興味もなく、どちらかといえば疎い方だが状況が状況なだけに流石の剣城もなんとなくの範囲で気付いている。きっと、あのお勝という少女は神童のことが好きだった。店先で水を引っ掛けてしまっただけの相手。そのあと服を乾かして行先も告げずに行ってしまった彼をわざわざ探してまで豆腐の差し入れをして、他にも色々と世話を焼くようになった。彼女の弟の太助が自分たちと親しくなったことが一層それを気安くさせたのだろう。
 ちらり、と隣の茜を見る。彼女は剣城と同じものを見ているようで。表情は困ったような、悲しいような複雑なものだった。剣城は、憧れと恋の違いを説明できない。山菜茜が一種のミーハーに似た気持ちで神童を追い駆けていた時期を、彼は雷門に属しながらも目を背けて過ごしてきた。神童ばかりをより至近距離で収めようとしていたカメラのピントが彼以外の人間に向き始めた時、彼女はきっと神童拓人のミーハーではなくサッカー部のマネージャーだった。だからそこから先の神童への感情の名前を、剣城は知らない。
 恋でなければいいと思う。何となく、気付いてしまった所為で歯痒いから。茜の手は剣城がタオルを受け取ってしまってからは相変わらず体の前で組まれている。その小さな手に少しだけ力が籠もったような気がして、剣城は慌てて彼女から視線を逸らした。泣かれたらどうしよう。慰めるなんて出来ない。お勝と話している神童の顔は確認できないが、きっと迷惑だなんて微塵も思っていないだろう。それが恋愛感情と直結するとは思わないが、茜が特別でないということにはなるんじゃないか。剣城は、世話になっている自覚があってもやはりお勝はこの時代の、自分たちとは超えられない隔たりがあるものと冷静でいられる。太助と親しくなっているくせにと思われるかもしれないが、友情と恋情は違うものだから問題ない。
 サッカーをしているのだから、場所そのものは広々としている筈なのに。剣城と山菜、神童とお勝のいる場だけがそれぞれ隔離されてしまったかのように狭く、剣城たちの方は空気が重い。沈黙が耐えきれなくなって、その場を離れようかとも思うけれど出来ない。離れるにしたってきっと無言でそれをするべきじゃない。それは茜が剣城よりも先輩で、剣城よりもか弱い女の子だから。神童の視線を現在独り占めしているお勝と同じ、女の子。何が違うのか、どうなってしまうのか、剣城にもきっとわからない。
「――良いんですか、あれ」
「……何が?」
「あれ、神童先輩とあの人。最近よく一緒にいますけど」
「うん。…そうだね」
「茜さんは神童先輩が好きなのかと思ってたんで、ああいうの、嫌なんじゃないですか」
「―――ちょっとだけ、でも最初の内だけだよ。だって、あの子は最初から本気だったもの」
「……は?」
「あの子は最初からシン様のことが好きだったんだよ。良いなあ」
「それは――」
「私は憧れだったから。それをシン様に知られてるから。きっと、届かないね」
 茜の言葉に、剣城は怪訝そうに眉を顰めた。想いに優先順位があるなんて知らない。ましてそれが他人同士の気持ちの重さを測るだなんて有り得ない。茜の言葉は、どれだけ自分が神童に恋心を抱いていても憧れから始まった恋は届かないと諦めている。神童に、憧れだけを先に届けてしまった代償だと。お勝は最初から神童のことが好きだったから、恋をしていたからそのひたむきさが受け入れて貰える。神童に真っ直ぐに届くのだと。
 それは違うと思う。剣城ははっきりとそう確信している。だけどそれを言葉にできないのは、今それをしたら自分が声を荒げてしまうような気がするから。いつの間にか俯いて肩を震わせている茜を責めるような真似はしたくない。届くことを諦めても、消えない恋心は茜の視線を神童に導いていく。その先で、彼の傍にいるお勝。何も感じない筈がないのだ。言葉で幾ら取り繕っても、心はただ剥き出しで傷を負う。ぼろり、と零れた涙は大粒だった。声も上げず、ただ涙する茜の傍を、剣城は益々離れられない。
 とうとう茜は組んでいた手を解いて着物の袖口で涙を拭う。神童たちには背を向けて。被っている頭巾の端を引き寄せて必死に涙を拭う。幼い少女の服装にはどこか不釣り合いな袖頭巾は、髪型を崩さないから重宝されたというのに、今の茜は頭巾ごとおさげも巻き込んでしまっている。きっと髪も乱れてしまうだろう。それでも、どれだけ髪や心が乱れてもそれを感情としては現さないように努めてきたのだ。少しずつ痛みを積み重ねて、本人が思っていたよりずっとその防波堤は低かった。ぼろぼろと落ちる涙は絶え間なく、それでも茜は声を上げることをしない。その姿がただ痛々しくて、剣城は頭巾の上から彼女の頭を抱え込むように自分の方へ引き寄せた。何も見て欲しくなくて、誰にも見て欲しくなくて。今の自分たちの体勢の方がよほど注目を集めそうなものだが、不意に視界の端で水鳥が天馬たちを自分たちとは反対方向に追いやっているのが見えた。これは、任されたということで良いのだろう。
 無言で泣き続けて、どうにかしてその涙を留め置いてから、茜はのろのろと顔を上げて剣城を見た。目尻も鼻も頬も赤みを帯びて、不安げな幼子のように頼りない。それでも次の瞬間、茜はふわりと微笑んだ。それは剣城の為のもの。「もう大丈夫」とあからさまな嘘を寄越す彼女は最後に指先で眦に残っていた涙を拭い取るとまた手をおろし体の前で組み直した。
 唐突に、茜の言っていた「この時代の服装、便利」という言葉の意味を理解した。それは、彼女の場合被っている袖頭巾の所為で表情の陰りが読み取られにくいから。涙を拭った着物の袖口はこうして手を組んでしまえば体側に向くのでシミになっても気取られないから。茜はもうずっと泣いている。ひとりで、こっそりとお勝には張り合えないのだと諦めてしまった瞬間から。理解して、剣城はやはり茜の傍を離れられないと思う。離れたくないと思う。だって、どんなに涙を仲間たちから隠したって、そんな泣き腫らした顔じゃあなんの説得力もない。
 剣城は先程彼女から渡されたタオルを彼女の顔に押し付けた。汗臭くはなっていないと思う。茜の悲しげな顔も痛ましい表情も見たくないと思う。それが、ただ彼女が先輩で、同じ部活の仲間で、女の子だからなんて簡単な理由であるかどうか、もう剣城には自信がなかった。だって、こんな離れがたさも、茜を案じる為に神童たちへ向く視線の回数も。剣城にはもう、何故だかさっぱりわからないのだ。



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一途になってほしかったんだ
Title by『ハルシアン』


袖頭巾は江戸時代のものみたいですね。





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