※剣城←葵←天馬←黄名子(←?)フェイ


■空野葵は――

 空野葵は剣城京介のことが好きだった。誰にも打ち明けたことはないけれど。そうすることが正しいと抑圧されたわけでもないけれど、葵は剣城への好意をひた隠しにしてきた。剣城はそんな葵の好意には全く気付かず、自分から彼女を特別気に掛けるということもなく、ただ同じ部活のマネージャー、同級生、松風天馬の幼馴染くらいの認識で以て彼女を識別していた。
 それでも、剣城は時々葵に優しかった。特別だったわけではない。有り触れた誰にでも差し出される優しさ。ただその「誰にでも」の中に選ばれるにはしっかりと彼に味方と認識されなければならないことは明らかだった。部活終わりにクーラーボックスを運ぶのを手伝ってくれた。コーンやタオルを持ってふらついていたら大丈夫かと心配してくれた。珍しく忘れ物をしたらしい彼に貸与を申し出たら拒まずにお礼を言ってくれた。友だちとか仲間とか、他人を指すための言葉は幾つか葵の中に曖昧な差異で存在していた。そして少なくとも、その他人を身近な存在として指すための言葉を用いて表現しても許されるだろうと自惚れられるくらいには、葵は剣城と親しくなったつもりでいたし、実際彼も葵のことを一番身近な女の子として意識していたのだ。天馬や狩屋とは違う、同級生の男の子と二人きりになったとき、周囲に漂う空気が、剣城と一緒の時だけは微睡むように葵を包んであと一秒の延長を絶えず望ませる。剣城に好きになって貰いたい。そう願うことは恋する女の子である以上最上級の願い事だけれど、片想いで済まされる今が不幸せなんて思えないほど満ちている。そう、葵は思っていた。
 それなのに。
 空野葵は泣いている。めそめそめそめそ泣いている。蹲り、サッカー棟の影に身を置いて泣いている。
 理由は単純、剣城京介が今までより遠くに行ってしまったから。あの剣城が自分から女の子に積極的に関わっていく姿なんて初めてで、葵はとても悲しい気持ちになってしまった。理由は明確にサッカーをする為と提示されても、同じ条件の元に葵は出ていくことが出来ない。マネージャーと選手。その名称の違いは出来ることと出来ないことの違いも絶大で葵の行く手を阻んでしまった。
 戦国時代から帰ってくると突如現れた菜花黄名子というとても小柄な女の子。タイムジャンプをしていた葵たちには全く身に覚えがないけれど、剣城と勝負をしてエースストライカーの称号と背番号10を譲り受けた少女。この先エルドラドを倒しても打ち消されるか不明瞭なタイムパラドックス。周囲の部員が事実として記憶してしまった剣城の敗北。不満というより、実際に体験しなければ実感もわかないという風に剣城は近頃頻繁に黄名子に勝負を挑んでいる。練習にもなるから、誰もそのことを責めない。悪いことをしているわけでもない。だけど葵は、痛む胸の棘を感じ、引っこ抜くことが出来ない。練習を終えて、どんなに葵が大量の荷物を運んでいたとしても自主練として黄名子との勝負に熱中している剣城の視界に葵は映らない。真っ直ぐな彼の瞳が見据えている女の子は、菜花黄名子ひとりになってしまった。
 だから空野葵は泣いている。めそめそめそめそ泣いている。化身使い、マネージャー。一緒にタイムジャンプしているのだから何の変化も迎えるはずがないと高を括っていた自分の愚かしさを呪い嘆き、剣城を恋しく想いながら、彼女は泣いている。


■松風天馬は――

 松風天馬は空野葵のことが好きだった。誰にも打ち明けたことはないけれど。そうすることが正しいと抑圧されたわけでもないけれど、天馬は葵への好意をひた隠しにしてきた。葵はそんな天馬の好意には全く気付かず、それでも幼馴染とてして誰よりも近くで天馬のことを応援してくれた。それが好意ではなく厚意であることを天馬は毎度自分に言い聞かせながら彼女に礼を言う。せめて失望させることはないようにと。
 それでも葵は天馬に優しかった。四六時中一緒にいても恋人よりも姉弟みたいだと言われることが多かったから、思春期特有のざわめきに邪魔されることもなかった。同じクラスでも消しゴムやノートを貸して貰ったり、一緒に帰る途中で寄り道をしたり、秋からのお誘いで夕飯を一緒に食べることもあった。少なくとも天馬にとって一番長い時間を共有している女の子、それが空野葵だった。出会った頃から一向に変わることのない天馬と葵の関係。抱かれている親しみもきっと変わっていないだろう。だけど天馬の中では葵の存在価値は変わってしまった。以前とは違う意味で大切になってしまった。好きになってしまった。いけないことではないだろう。積み重ねてきた時間が、ふとした瞬間に愛しさを帯びることを天馬は知らなかった。わざとじゃないんだよと言い訳だって出来る。しかし葵を好きになって初めて天馬は今まで通り過ごせることが幸せかを知った。誰かに協力を仰ぐでもなく携帯に登録されているアドレス。打算を抱かずとも取り付けられる下校の約束。習慣と呼べる頻度で隣を歩きながら部活へ向かうこと。全部全部、このまま続いていけばいいのに。例えば、この恋が散ってしまったとしても。
 それなのに。
 松風天馬は泣いている。めそめそめそめそ泣いている。屈み込み、目の前で蹲っている葵の膝を抱える腕に触れながら泣いている。
 理由は単純、葵が剣城のことを好きだと泣いているから。薄々感づいていたはずの彼女の恋心に、天馬は情けなくも頭を殴られたかの如く衝撃を受けた。感づいていたから、散ってしまうことを前提に永遠を願ったというのに。目の前の葵は、体勢の所為もあってかいつもよりずっと小さく見えた。弱々しく震える肩に何度も手を置こうか逡巡して、結局触れたのは彼女の腕。大丈夫だよと安心させようと抱き締めるなんてことは出来ない。だってそれは卑怯だった。葵に対してでも剣城に対してでもない。他でもない天馬自身に。今まで散々利用してきた幼馴染という立場が、今この時に限って煩わしく思えた。もしここでその幼馴染の力に頼って彼女を抱き締めれば、自分はきっと彼女にこう言わなければならなくなるのだろう。
 ――大丈夫、葵は魅力的だから、剣城はサッカーに夢中になってるだけだから、だから大丈夫、俺は応援するよ。
 そんな言葉を、彼女の笑顔を取り戻す為に。自分の恋なんてどうなっても良いなんて嘘に塗れた心で。そして天馬は自分の恋心を殺さないで済むための道を選んだ。抱き締めて優しい言葉なんて吐けない。なんて利己的で、今まで貰った優しさを当然だと踏みつけるような恩知らず。でも好きなんだ。溢れる想いを、決して言葉にだけは乗せないように。
 だから松風天馬は泣いている。めそめそめそめそ泣いている。幼馴染、その言葉に甘えて確保されている居場所の意味を履き違えた自分の愚かしさを呪い嘆き、目の前の葵を恋しいと想いながら、彼は泣いている。


■菜花黄名子は――

 菜花黄名子は松風天馬のことが好きだった。誰にも打ち明けたことはないけれど。そうすることが正しいと抑圧されたわけでもないけれど、黄名子は天馬への好意をひた隠しにしてきた。黄名子の記憶の中では少なくとも、自分は雷門の選手として天馬に認められていたはずなのだ。お決まりの「女なのに」という見下すフレーズを、彼は使わなかった。やるからには一番になりたくて、エースストライカーの座を駆けて剣城と勝負をして、彼女は勝った。その時、部員たちは皆信じられないと固まっていたけれど、誰一人「女だから」と勝負を反故にしたり、彼女を閉めだしたりはしなかった。実力があるのだから選手として在籍すれば良いじゃないかと笑って迎え入れてくれた。それが黄名子にはとても嬉しかった。真っ先に黄名子に駆け寄ってきた天馬が「よろしくね」と手を差し出した瞬間、自然と握った手が暖かいと感じ取った瞬間。驚くほど自然に黄名子は天馬のことが好きだと思っていた。天馬たちがタイムジャンプをしていたことは知っている。何故自分が同行していないのかはさっぱり思い出せないのだが、それでも彼等が不在の理由を黄名子は知っていた。そして漸く帰って来た彼等を出迎えた黄名子に対する天馬の言葉は深く彼女を傷付けた。知らないと言われた。タイムパラドックスだと、いないはずの場所に突如現れたイレギュラーだと言われた。
 ――そんなん、悪い冗談やんね?
 天馬は笑ってくれない。黄名子の懇願を受け止めてくれない。エースストライカーを名乗った自分に「女の子なのに」と言った。ひどい。それでも時間が経てば天馬はまた仲間として自分を受け入れてくれた。だから黄名子はまだ天馬のことが好きなままだった。
 それなのに。
 菜花黄名子は泣いている。めそめそめそめそ泣いている。遠巻きに、身を寄せ合うように向かい合い泣いている天馬と葵の姿を見つめながら。
 理由は単純、きっと天馬は葵が好きなのだと気付いてしまったから。幼馴染だとは知っていたけれど、それでも男女という差を加味しても尚近過ぎる距離に、天馬に恋をしている黄名子はほんの僅かでも浮かんだ疑心を無視することは出来なくてこっそり尋ねたのだ。別々にではあったけれど、天馬にも葵にも。その時二人は揃って自分たちはただの幼馴染だと言いきった。だから安堵していた。
 ――あのね、私好きな人いるの。だから天馬とはただの幼馴染なんだよ。あ、勿論私に好きな人がいるっていうのは内緒だからね?
 人差し指を顔の前に立てて葵は笑っていた。好きな人がいるなら、それが天馬ではないなら大丈夫、彼等はただの幼馴染だと黄名子はその時思い込んでしまった。天馬のことが好きなのに、彼の気持ちに焦点を当てないだなんて。何て、盲目。遠目に視界に収まっている天馬たちを通り過ぎたいのに、黄名子のいる場所からサッカー棟を目指すには彼等の傍を通らなくてはならない。迂回すれば良い、だが足が動いてくれない。俯いて、強引に視界を遮断する。はらりと視界に落ちてくる長い髪。葵とは正反対の、運動少女にしては珍しい長さ。天馬に褒められたことがあるわけではないけれど、それだけが唯一自分の女の子らしさなのだと誇らしくもあった、それ。無価値だった。無意味だった。恋に落ちた瞬間から、きっと。
 だから菜花黄名子は泣いている。めそめそめそめそ泣いている。キャプテン、自分だけが日常的に天馬をそう呼ぶことにすら満ち足りて、彼もそのことを気に掛けてくれているんじゃないか、見込みのある恋なんじゃないかと自惚れていた愚かしさを呪い嘆き、それでもこうして一人ぼっちな自分を天馬に見つけて欲しいと願いながら、泣いている。


■フェイ・ルーンは――

 フェイ・ルーンは困ったように事態を傍観している。腕を組み、葵、天馬、黄名子の三名を視界に収めながら。元来この時代に無関係の自分が、更に無関係な他人様の恋愛事情に関わってはいけないという常識に似た思い込みがあるから、直ぐには動き出せない。大切な仲間が皆それぞれ涙していたとしても。
 天馬たちの付き合いは濃いが短く浅い。自分の情報を殆ど公開せずとも、天馬たちが遭遇する事態への手持ち情報が少ないため、解説さえしていれば自身への詮索はどんどん後回しになり次第にする必要もなく仲間の枠にぴったり収まっていることに多少の罪悪感はある。それでも、フェイでも予測し得なかったイレギュラー、菜花黄名子が絡んでの事態となると対応も色々と難しい。もしエルドラドを倒しサッカーを取り戻した途端彼女もいなかったものとして歴史修正の対象になるのであれば、フェイは彼女とあまり関わり合いを持たない方が良いという立場を取らざるを得ない。特に天馬たちは。フェイも全てを終えれば彼等の前から姿を消す身であるから、黄名子と関わり合いになる上では特に問題はない。別れを前提にした付き合いが健全かどうかは知らないが。
 そんな、フェイにとって無関心ではいられない存在である黄名子が泣いている。視線の先には天馬と葵。立ち位置、様々な事態を一歩引いて見てきたが故察してしまうこともある。一方通行の恋に差し伸べる手なんて在るはずもない。捻じ曲げることは出来るかもしれないが、それも人の心が相手となると難しい。放っておくのが一番だった。だって彼等はサッカーを蔑ろにしてまでその恋を追い駆けたりはしないのだ。優先順位が物事の全ての重要さを明確に示しているとは言わないが、少なくとも今はその優先順位を言い訳にしても良い筈だった。
 それなのに。
 フェイ・ルーンは彼等を見つめている。じっとそっと見つめている。出来ることなどないけれど。するつもりもないけれど。
 理由は単純、きっとこの矢印の終点まで、その全ての方向をフェイは知っているから。当事者と、彼等と四六時中一緒にいる仲間たちは何故か不思議な程この点に無頓着かつ無知だった。それが、これまでは吉と出ていたのだろう。部活として円満に活動していく為にはきっとそれが一番だった。
 この場にいない、無自覚な当事者のことを思う。罪な男だねと茶化してみようか。きっと彼は理解できずに眉を顰めるだろう。その眉を困ったように下げて、瞳を潤ませながら君を見つめている女の子がいることを知らないの?その女の子を想って、幼さだけで形成だれた繋がりを必死に繋ぎ止めようと笑っている男の子がいることを知らないの?その男の子を想って、無遠慮な言葉で抉られた傷を笑顔で覆いながら駆けている女の子がいることを知らないの?フェイの問いは風の中に消えて、この場にいない彼の周囲をも吹き抜けるだろう。
 だからフェイは見つめている。ただ見つめるだけだ。剣城を想い泣く葵を、葵を想い泣く天馬を、天馬を想い泣く黄名子を。見ているだけの部外者。そうである筈なのに、今一筋自分の頬を伝った涙すら他人事のようにフェイはただ傍観者として彼等を見つめている。



―――――――――――

いびつな相似
Title by『ハルシアン』





「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -