抱きしめただけで伝わるような恋ならば良かったのだろうか。何度も繰り返すうちに、リカはなんの戸惑いもなくマークの腕の中に閉じ込められるようになった。きっと、親愛の情だとでも思っているに違いない。あやすように自分の背中を叩くリカの手を、マークはいつだって振り払いたくて、引き寄せたくて仕方ない。飾り気のない細い指が触れるものが、この先一生自分だけであれば良いのになんて、日常生活すら困難にさせる願いを抱いて、マークは今日もリカを抱きしめている。

「マーク?」

 思えば、マークはいつもリカを困らせてばかりだったのかもしれない。何も告げず抱き締め、それ以上へ進まず、だが決して引き下がることすらしないのだから。「好き」と伝える意気地もないのに何故手を伸ばすのだろう。「一番」を渇望しながら、現状に味を占め足踏みするだけのマークを、誰一人として責めなかった。マークの恋心を認知している人間はごく少数、何より、相手がリカであるということが一種の諦めともなってマークの恋に影を落とし続けていることを誰もが知っていた。
 だけど俺は、リカを悲しませたりはしない。マークの密かな自負は、リカに向けて募った気持ちではなかった。たった一人、彼女に想われた自分のチームメイトへの対抗心。剥き出しにすらせず、マークは彼を羨んだ。言葉はなく、だけどきっと伝わったろう。視線に込めた熱は、立ち回り自体下手くそな癖に人の心の機微には無駄に敏い、彼にならば。
 病院の白ばかりの部屋、部屋の窓を開けカーテンを揺らしながら、ベッドで上体を起こし外を眺めながら彼は言った。「リカはとっても素敵な子だよ」と。マークと彼しかいない部屋で、彼は窓越しに映るマークにこれでもかという程に優しい目をして教えてくれた。知っていると、返せばきっと惨めだったろう。張り合うべき相手は確かに彼だったが、だけど違う。
 心の底からリカを想うならば、時期も場所も彼の具合も気にせず、なりふり構わず彼女を攫ってしまえばよかったのだと、その瞬間マークは悟った。ありありとリカへの慈愛を零す彼を、初めて憎たらしいと想い尊敬した。だが、それは恋では無いのだろう。語らずとも分かる。結局彼はリカを悲しませる。相手の一番欲しい物は与えてやれないから代替の気持ちを与えれば良いなんてことはありえない。何よりリカは、彼に一番欲しいもの、それ一つしか求めていなかったのだから。

「マーク、どないしたん?」
「どうもしない、」
「なら、」
「でも離さない」
「は、」

 ほら、また困らせた。顔は見えないけれど纏う空気で分かる。それ程に、リカだけを見て追いかけて来たのだから。露骨過ぎる接触と密着になんの疑いを抱かないリカは、きっと彼女が言うほど恋愛に重きを置いている訳ではないのかもしれない。それとも、単に自分に重きを置いていないだけか。
 リカを抱きしめながら、視線はいつも地面に向かう。伸びた彼女の影に口だけを好きと形作っても何一つ届かない。臆病な自分はいつからここにいたのだろう。自分に群がる女子達とどう接していたかを思い出そうとしても上手くいかないし、何より人の内面も知ろうともせず自分に媚びてきた集団とリカ一人を比べることすらマークにはおぞましいことだった。

「リカ」
「何?」
「リカはどうして…、」

 どうして、どうして、ねえ何で。続く言葉も、尋ねたいことも、きっとマークには沢山ある。どうして彼を好きになったの、いつまで彼を好きなの、どうして俺のそばに居てくれるの、どうして俺に抱きしめられてくれるの、どうして。

「俺を、好きに――」

 紡ぎかけた言葉は、揺らいだ涙腺と震えた声が止めた。泣きそうだ、内心で零せば熱くなる目頭にばかり意識がいってしまう。そもそも何と言いたかったんだろう。好きになってよ、好きになってくれないの、だなんて。浮かんでくる言葉は結局どれも身勝手でしかない。好きにさせるなんて格好付けてでも言えない。自信なんて最初からなかった。どうすれば生まれてくるのかも生憎分からない。
 中途半端に途切れた言葉を訝しむリカはマークを見上げ、今にも泣きそうな顔を見て驚いたように大きく瞳を見開いた。まだ零れていない涙を掬うようにマークの眼尻に細い指を添える。その仕草が優しくて、やっぱりマークは泣いてしまいたくなる。
 ごめん、困らせて。謝ることはきっと簡単だった。だけど、今自分に触れているリカの指先から感じる僅かな熱にすら浮かされそうな自分の弱さも愚かしさも、何だか愛おしくて仕方ないのだ。

「ごめん、好き」

 涙よりもあっさりと落ちた言葉が、流れる空気を変えた。だけど、それは決して冷たいものでは無かった。温かくて、優しくて、少しだけ寂しい。
 マークはもう一度リカを抱きしめる。リカはやっぱり抵抗しない。過去か今か。どちらかを思い涙し震える彼女の背中を、マークは優しくあやすようにさする。おずおずと躊躇うように自身の背中にまわされた腕の気配に、マークはただ静かに目を閉じる。彼は今、とても満ち足りていた。



―――――――――――

いつか僕を苗床に花が咲く日を
Title by『オーヴァードーズ』





第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -